決意と、名前


 白檀びゃくだんの良い香りが満ちる部屋。仏壇の上には、ルルーの写真が飾られている。

 紡生は手を合わせ、冥福めいふくを祈った。


 紡生とミケは、蒼樹あおきの家へとやってきていた。

 あわせ屋として、最後の仕事をしに。


「今日は来てくれてありがとうねぇ」

「いえ。お約束通り、首輪をお返しに参りました」


 蒼樹は大切そうに首輪を受け取り、胸の前へと運ぶ。その目には涙が浮かんでいた。


「ありがとう。本当に、首輪も、……あの子の体も見つけてくれて、本当に……」

「いえ。……生きて帰してあげられたら、よかったのですが……」


 猫社に祈りが届いたときにはもう、ルルーは生きてはいなかった。だから仕方がないことではある。過去は変わらないし、悔やんでも生き返るわけでもない。

 それでも蒼樹のことを思うと、胸が痛くなる。彼女はずっと、ルルーの無事だけを祈り続けていたから……。

 ルルーの遺体が見つかったとき、そしてマイクロチップの番号が一致したときの、蒼樹の慟哭どうこくが、今も忘れられない。


 あれからも泣き続けたのだろう。蒼樹の目元は赤く擦れていた。

 それでも、紡生たちに笑みを見せる。


「いいの。あなた達がいなければ、あの子は今もまだ、冷たい土の下に、誰にも見つけられずにいたのだから。こうして供養くようしてあげられるだけでも、ありがたいことよ。今日は神余かなまるさんはご一緒じゃないのね。彼にもお礼を言いたいのだけど」

「ああ、神余さんは今ちょっと、警察に……」


 神余はあの日、裏で手を回してくれていた。

 ルルーの体を見つけたときの警察の相手を、ミケと紡生が猫社に誘導しているときには犯人の拘束を。そして今日は、通報者として、事情聴取を受けている。

 彼が社会的に必要な手続きを担ってくれたおかげで、紡生たちも思う存分動けたのである。まさに縁の下の力持ちだ。


「犯人も捕まえてくれたそうね」

「ああ、はい。偶然、怪しい動きをする人を見かけたので」

「本当に、感謝してもしきれないわ。これで、ルルーも少しは報われたかしらね」


 蒼樹は微笑みながらも、ふと寂しそうな表情を浮かべる。やはり感情の整理がつかないのだろう。


「……蒼樹さん。こんなこと言われても信じられないかもしれないですけど、聞いてください」


 紡生は意を決して、口を開いた。


「今日連れてきたこちらの三毛門みけかどは、猫と話すことができるんです。そして、ルルーちゃんからの言葉を、預かってきたんです」

「そうですか。……ルルーは、なんて?」

「えっ。し、信じてくれるんですか?」


 蒼樹は驚くことなく、真っ直ぐに紡生の言葉を聞いていた。そこには疑いの視線は微塵みじんもない。

 それに逆に驚いて声をあげれば、蒼樹はおかしそうに笑った。


「ふふ。失礼だけれど、初めは『猫社の神託』って、あまり信じていなかったのよね。でも、あなた達はこうして。助けてくれた。だから、どんな話だろうと信じると決めていたの」

「そ、そうですか」

「それで、ルルーの言葉というのは?」

「あ、そうですね!」


 紡生は隣にいるミケに視線を向けた。

 ミケは頷き、口を開く。


「『きっと生まれ変わって、またあなたの元に行くから、待っていて。愛してくれて、ありがとう』。それがあいつの、最後の言葉だ」


 あのとき。浄化の炎に包まれながら、ルルーが笑ったように見えた。

 一瞬だったけれど、きっと気のせいではない。


 たった数言。あの時間では、それだけしか聞こえなかったらしい。

 けれど。


「…………そう。っ、ルルー、が……そう言ってくれていた、んです、ね。ありがとう、って……っ!」


 蒼樹には伝わったようだ。

 今まで堪えていた涙が、せきを切ったように流れ出した。


「……ある人に、言われたことがある。あの世には、輪廻りんねというものがあると」


 その様子を見ていたミケが、ふいにそう零した。


 輪廻というのは、魂の罪が清算されれば、輪に戻り、新たな生を受けるっていうものだという。


「そして、前世で深い関係を持っていた者とは、引かれ合うように出会うものなんだそうだ。だからきっといつか。あんたのもとにやってくる。それがいつになるかは、分からない。明日かもしれないし、一


 ミケはそこで少し言葉に詰まった。

 言うか、言わないか。迷っているようだ。


 紡生はそっと、ミケの背に手を添えた。大丈夫だと、後押しするように。

 すると、ミケは一つ息を吐き出して蒼樹を見つめた。


「それでも、待っていてほしい。忘れないでやってほしい。それがあいつの願いだと、思うから」


 その言葉は、ミケ自身の願いのようだった。

 もしかしたら、ミケも待っているのかもしれない。過去に亡くしたという、大切な人が、生まれ変わってくるのを。

 だからこそ、同じような状況の蒼樹に、諦めないでいてほしいのだと思う。


 蒼樹もミケから何かを感じ取ったように、しっかりと頷いた。


「ええ。ずっと、ずっと待っているわ。本当に、ありがとう……!」


 ◇


 昼下がりの街を、肩を並べて歩く。

 蒼樹の深い礼を受けて家を後にした二人は、沈黙のまま歩いていた。


「……なあ」

「はい?」


 しばらく歩いたとき、ふと足を止めた。

 物憂げな表情で、何かを言おうと、何度も口を開いては閉じてを繰り返している。やがて、覚悟を決めたように紡生を見据えた。


「……動物虐待ぎゃくたい検挙けんきょされるものは、年間で百件を超える。そのうち猫は半数以上だ」


 悲しい話だけれど、検挙される数はここ数年、増え続けているらしい。

 百という数字だけでも多いと思う。けれど、実際は表ざたになっていないだけで、もっと多くの動物たちが被害に遭っているという。


「そいつらが全員、怨霊になるとは限らない。けれど、恨みをもって、復讐を願うやつだって、確かにいる。今回のことも、そのうちのほんの一件にすぎない。あわせ屋には、ああいう依頼もやってくるというのが、今回のことで分かっただろ。あんたが思っているより、きれいな仕事じゃない。それでも、あんたは続けるのか?」


 ミケの琥珀色が、紡生を映す。真剣な表情は、紡生の覚悟を問うていた。



 紡生は、目を閉じて考える。 


「正直、思っていた仕事じゃないことはありました」


 戸惑ったこともあるし、怖いと思ったこともある。楽しいことばかりじゃないのは、間違いない。危険な思いも、するだろう。

 それでも。


 紡生は少しだけ笑った。


「私たちだからこそ、救えた子もいた。それは間違いありません。それに救えたのは猫ちゃんだけじゃない。その飼い主も、繋ぎ合わせた絆を実感して、救われている。それって、とっても尊いことだとおもう」


 猫と人の絆を間近で見られると、幸せな気持ちになる。もちろん、辛い現実を見なきゃいけないのは、悲しいけれど。


「それでもわたしは、「あわせ屋」を、誇りに思います」


 春を運ぶ柔らかな風が、二人の間を抜けていった。

 紡生は乱れた髪を耳にかけ、微笑みかける。


「だからやめるなんて、言いませんよ!」

「……。そうか」


 ミケの髪も、風に揺れる。

 その合間から、柔らかい笑みが見えた。


「……すずだ」

「え?」

「オレの名前。三毛門みけかどすず。どっちでも、好きに呼ぶといい」


 ミケはそう言ってスタスタと歩いていく。


 紡生は言われたことを理解して、満面の笑みで追いかけていく。


「錫さん!」

「……なんだ」

「えへへ、錫さん!」

「……」


 名前を教えてくれたことが嬉しくて、何度も呼んでいたら、額を小突かれてしまった。

 けれどそれもうれしくて、笑みをこぼす。


「ちょっとは認めてくれたって、ことですね!」

「調子のるな。認めたって言っても、ちょっとだけだ」

「ちょっとでもいいもんねー!」


 そのまま小突き合いながら歩いていく。

 自分たちの帰る場所。あわせ屋へ、向かって。


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