怨霊と遭わせ(1)


“建設中につき、立ち入り禁止”


 そう書かれた看板の奥。養生ようじょうシートがかかったままの建物は、ひっそりと息を殺していた。

 駅近という好立地にも関わらず、一向に工事が進まないそれは、放置されて数年になる。

 何ヶ月か前に、足場の崩落事故があり話題になった。危険だからと、近所の住民すら近づかない場所だ。


 そんな危険のあるかもしれない建物の中は、ほこりや砂が降り積もっている。

 けれど一本だけ、何者かが通った跡が残っていた。その道を辿ると、四階の一室へと続いている。


 独特な獣臭さが充満する部屋の中には、いくつものゲージが転がされていた。

 その中心に、痩身そうしんの男が一人、ゆらゆらとやって来た。


 ライトを片手に暗闇の中を歩いてくると、落ちくぼんだ眼窩がんかの奥で、血走った眼がゲージへと向けられる。

 その中から何かを取り出すと、横に置かれていた台の上にのせた。


 乱雑に乗せられたのは、一匹の猫だった。

 その体は力なく横たわり、時折苦し気な息が吐き出される。健全な状態とは言い難い状態だ。猫はそれでも男を恐れる様に、前足を動かした。


「はっ、はは、はははは!」


 猫の様子を見た男は、息を荒げ、恍惚こうこつとした表情になった。

 男は、猫をいたぶるのをたのしみにしていたのだ。猫が自分を恐れ、逃げようとするのが心地いい。

 まるで自分が絶対的な強者になれたかのような、そんな気分を味わえるからだ。

 すぐに死んでは面白くないからと、最近では、じわじわと弱らせてから殺すようにしている。


 しばらく苦しむ猫を眺めた後、男は台の上に置いてある袋を掴んだ。

 業務用の殺虫剤だ。分量を量り、水に溶いて薄くしたものを注射器に入れると、再び猫に向きなおる。


「さあ。今日も楽しもうじゃないか……!」


 猫は必死に暴れようと、台の上でのたうち回る。そのたびに置かれていた物が落ちて、音を立てた。その中には赤黒く変色したナイフもある。


「ああ、鬱陶うっとうしいな。昨日仕入れたばかりの奴だから、まだ抵抗する力が残ってやがったか」


 男は鬱陶しげに目を細め、落ちたナイフを拾い上げると、暴れる猫の体を押さえつけた。


「足を切ってやるよ。本来なら捕まえるときに切り付けてやるんだが、お前は自分からすり寄って来たもんな? ハハッ。バカなやつ」


 下卑げびた目つきで憐れな猫を見下ろす。


 今日選んだのは、小柄な三毛猫。

 この遊びを初めてからしばらく経った今、なぜか近寄ってくる猫もいなくなった。

 ふらふらと外を彷徨さまよっていた、首輪付きの猫をかどわかしたこともあったが、今はそれもほとんど見かけない。


「前に逃がしたやつがいれば、もうちょっと楽しめる時間も伸びたのにな。最近は猫を見つけること事態が難しくなってきて、困るよ」


 逃がした猫はキジトラだった。見つけて足を切りつけたまではよかった。だが、反撃にあって逃げられてしまった。


「ボクの腕に傷をつけたあのクソ猫は、ボクの手で殺してやりたかったのに……。あのクソ生意気そうなガキ。あいつが邪魔をした」


 いつだったか。獲物えものを物色していたときに、急に話しかけてきた、女のガキだ。

 あの女が、クソ猫によく似た猫を、病院に連れ込むのを見た。保護されてしまえば、もう手が出せない。


 男はその後も、獲物を探し続けた。しかしそれ以降は、一匹も狩れない日が続いた。

 野生の猫は警戒しているのか、不思議なほど見つけられなかったのだ。

 だから、標的を飼い猫に変えた。それなのに。


「あの女、ことごとく邪魔しやがって」


 首輪猫を探すたびに、あの女を見かけた。そして気がついた。あの女のせいで、猫が狩れなくなっていたのだと。

 だから女を排除しようと思った。ちょっとナイフをちらつかせてやれば、怖くて家から出られなくなるだろう。それにうまくいけば、他の愉しみ方もできるだろうと思った。


「でも、うまくいかないものだなぁ。……まあいい。このバカな猫が、来てくれたからな」


 そんな中現れた三毛猫は、まさしく男にとっての救世主だった。これでたまったフラストレーションを解消できるのだから。

 男は愉悦にひたった顔で、ナイフを振り上げる。


「――それが、あんたのやり口か」

「っ⁉」


 ふいに聞こえた声に、男は反射的に後ろのドアを振り返った。

 けれど、ドアは閉まったまま、動いた気配はない。音もしなかった。では声は、どこから聞こえてきたのか。

 首をひねる。確かに聞こえたのだ。しかも、自分のすぐ傍から聞こえたはずだった。

 もしかしたら警察が潜り込んでいたのかと、部屋を照らしてみるが、やはり何もいない。

 今この空間には、自分と三毛猫しかいないのだ。


「だれだ……? いっ!」


 鋭い痛みが、腕に走る。押さえつけていたはずの猫が、腕をひっかいたのだ。

 三毛猫は手から逃れると、ライトの明かりが届くぎりぎりの場所へ着地した。

 毒を食べて弱っていたはずだが、その動きはどう見ても弱っているようには見えない。


「予想通りのくそ野郎で、助かるよ」

「え……?」


 そしてまた、声がした。猫から、声がしたのだ。


「ね、猫が……しゃべっ⁉」


 男は愕然がくぜんとして、後ずさる。台に腰が当たり、ライトが落ちた。ガシャンと激しい音を上げたライトは、くるくると回り、猫を照らして止まった。

 壁に伸びた影の尾がゆらゆらと揺れている。やがて一本の尾は、二又ふたまたに割れていく。


「なんだ。猫がしゃべることが不思議か?」

「げ、幻覚げんかく? 幻聴げんちょう⁉ ど、動物が、しゃ、しゃべる訳ない!」

「おいおい、傷つくな。あんたが知らねぇだけで、動物は言葉を理解しているんだぜ? ……まあ、知ろうともしなかっただろうがな」


 猫はそう言って笑うと、空中に跳んだ。するとどういうことか。着地する時には成人男性の姿に変わっていた。琥珀色の目をした、着物姿の人間だ。


「オレはあわせ屋、ミケ。初めまして、じゃねぇよな」

「な、なに、なんなんだ⁉」

「分かってんだろ。柴田しばたつよし

「なんで、ボクの名前……」

「探らせてもらったぜ。連続猫殺し犯さんよ」

「‼ ボ、ボクは殺しなんて……」


 柴田は半狂乱で叫ぶ。顔は青くなり、額には大量の汗を浮かべていた。


 猫がしゃべって、人間の姿になって、自分の罪を指摘された。

 まるで悪い夢のようだ。夢ならば、早く覚めろ。そう祈ってみても、目の前のミケは消えることはない。


「このに及んでいいわけか? 言っとくが、俺には通用しねーぞ。あんたの匂いが、ハチからも、ギンからもしていたからな」

「は? ハチ? ギン? な、何の話だ」

「オレは、人間より鼻が利くんだ。それより、あんたに聞きたいことがある」


 ミケは眼を細めた。


「なんで、こんなことをした?」


 とがめるような口調で鋭い視線を向けられ、柴田は身を縮こませる。けれど、それでやめてやるミケではない。


「なぜ、猫たちを殺した?」

「し、知らないっ!」

「あんたは、自分より小さなものしか狙わなかったよな。やり返されるのが、怖かったか?」

「ち、違う!」

「なんであいつを狙った? 猫を助けていたのは、オレもだっただろう」

「なんで……、知って」

「気がつかないとでも思ったか? オレがいたときは、そそくさと逃げて言っていたもんな。ようするに、あんたは自分より弱そうな相手しか狙わない、外道げどうだってことだ」

「うううぅぅぅっ……」


 責める口調に、柴田は頭を抱えうめき声を上げる。地面に伏して丸くなった。


「……そんなことをしていても、あんたの罪は変わらないぞ。報いは受けてもらう」


 柴田はその言葉に、弾かれたように顔を上げた。


「うるさいっ! うるさい、うるさい、うるさい‼ なんでボクばっかり怒られなきゃいけないんだ! いつもいつも‼」


 血走った目でミケを見上げ、歯噛みする。


「なんでボクばかり搾取さくしゅされなきゃいけないんだ? ボクは使い捨てられたのに!」


 柴田はちょうど二月前、仕事をクビになっていた。散々こき使われ、一生懸命にこなしていたのに、後輩に罪を着せられて、追いやられたのだ。

 そんなときに、一匹の猫が目の前を通り抜けていった。毛艶がよく、愛されている顔をして、地に伏す自分を、嘲笑あざわらうかのように。通り抜けていったのだ。


「獣風情ふぜいが、ボクよりいい暮らしをしているなんて、許せないっ!」

「……だから殺したのか?」

「そうだよっ! 別にいいだろ? あんな下等生物が死んだところで、誰も困らない! 替えの利く存在だろうがっ!」


 恨みがましい眼には、くらい熱が籠っていた。憤怒ふんぬともとれる色だ。


「自分が不当な扱いを受けてきたから、猫を殺した?」

「あぁ、そうだよ! ストレスが溜まるんだ。はけ口くらい用意しても、許されるはずだろ! ボクに罪なんて、ない!」

「そんなことの為に……、殺されたのか……?」


 呆然としたミケから、小さな呟きがもれた。

 ミケの顔は、絶望に染まっていた。けれど、激高げきこうする柴田は気がつかず、理不尽極まりない主張を叫ぶ。


「ボクは獣より優れた生き物だ! こいつらをどうしようと、勝手だろう! 有意義に使ってやっただけ、感謝してほしいくらいだ!」


 柴田は、自身の身勝手さを理解していなかった。

 自分があたかも偉いかのように振る舞い、自分だけの都合でしかものを考えられない。

 自分が不当に扱われたからと言って、なんの罪もない生き物をいたぶって良いという理由にはならない。それを分かっていないのだ。

 だから自分より小さく弱いであろう生き物を痛めつけて、自尊心じそんしんを保とうとする。

 それが柴田の全てだった。


「……もういい」


 ミケから低く冷たい言葉が漏れた。その長い指で、柴田を真っ直ぐに指す。


「あんたにも、見せてやる」


 闇の中に浮かんだ琥珀色の目が、ギラリと光った。黒い炎が、ミケから立ち上る。その炎は意志を持っているかのように、柴田だけを取り囲んだ。


「うわああ!」


 柴田はたまらず叫んだ。炎にのまれて、無事なわけがない。

 けれど、様子がおかしい。不思議なことに、どれだけ時間が経っても全く熱くないのだ。

 疑問を浮かべると、くつくつと笑う声が聞こえた。


「安心しろよ。この炎は焼くためのもんじゃない。見せるためのモンだ」

「み、見せるって」

「さて、なんだと思う」

「な、なんなんだ、お前! ボクが何をしたっていうんだ!」

「それを、今から分からせるんだよ」

「はあ⁉ お前には関係のないことだろう⁉」

「関係ない、とは言い切れないな。なんせ、あんたみたいなやつは、見られているのだから」

「なにい、って……」


 柴田の言葉はそこで途切れた。


(黒い炎が消えた。それはいい。それはいいの、だが……)


 柴田の首筋を、一筋の汗が流れ落ちた。

 この場には、柴田とミケ意外には誰もいなかったはず。それなのに――


(ボクの背に、なにかが、いる)


 おぶさっているような、しがみ付かれているような重みを感じるのだ。

 それだけじゃない。腰には爪をたてられているような痛みが、首筋には湿った風が。それぞれ不規則的に体を這っていく。

 恐ろしい感覚だ。体中が拒否反応を示している。鳥肌が、止まらない。


「どうした? ほら。見てみろよ」


 張り付けた笑みを浮かべる目の前の男が、柴田には得体のしれないモノに見えた。


 自分は今、何と対峙している? 何を、背負っている?

 見てはいけない。見たらだめだ。


 そんな気持ちとは裏腹に、柴田の首はゆっくりと回っていく。まるで、何かに急き立てられるかのように……。



「ひっ……!」



 短い悲鳴がもれた。


 黒い、ドロドロとしたが、いた。


 ぼとぼとと何かを落としながら、それでも背中にへばりついていた。人間でも、動物でもない、原型のない、何かが。

 それこそ、怨霊おんりょうと呼ばれるもの。負の感情の塊そのものだった。


 心臓が縮み上がり、呼吸が荒くなっていく。

 柴田は目を見開き、瞬きすらできない。見たくないのに、目を閉じることも、首を前に向けることもできないのだ。


 黒い何かには、二つの赤い目がついていた。その二つの怪しい光が、まるで喜ぶように歪んだ。そのとき。


 ――グオオオウウウアアア


 地を這うようなうなり声が、部屋に響いた。

 使っていた注射器が割れ、猫を閉じ込めていったケージがひしゃげる。

 血の付いたナイフが、柴田の目の前で紙屑のように丸められた。


 ――次は、お前だ――


 そう言われているようだった。


「う、うわああああぁぁああ‼」


 柴田は弾かれたように走り出した。

 ライトを持たぬまま闇の中を駆けるが、乱雑に置いておいたケージに躓き、顔から転んでしまった。


「よく見えるだろ。そいつらが」


 直ぐ近くから声が降ってくる。いつの間にか柴田はミケの足元に来ていたのだ。


「助けて! 助けてくれ!」

「なんで、オレが?」


 柴田はミケの足にすがりつきながら懇願こんがんする。

 けれど降ってくるのは、底冷えするような視線と、拒絶のみ。


「そいつらは待っている。自分たちを殺した、あんたが息絶えるのを」

「嫌だっ! とって! 取ってくれ! 頼む!」

「いやだね。あんたが撒いた種だ。こいつらが苦しんだ分だけ、苦しんで、死ね」


 ミケは凍り付く様な笑みを浮かべた。

 だって、許せなかった。ミケにはずっと、猫たちが見えていたから。苦しんで死に、恨み事をささやき続ける、その様が。


 初めに気がついたのはハチの捜索をしていたときだった。

 張り出されたチラシを眺めていた柴田の足元に、恨みと恐怖に囚われた魂見た。それこそが今回の依頼主の飼い猫、ルルーだったのだ。

 ルルーは、初めの被害者なのだろう。


 つまり、実に一か月以上前から。地域ネコや、迷い猫を捕まえては、この場所に連れ込んでいたのだろう。鬱憤うっぷんを晴らす、たったそれだけの為に。


「青果店の猫、ハチの傷も、あんたの仕業だな」


 紡生と共にした初めての仕事。あのとき、保護したハチからも、微かに柴田の匂いがした。

 脱走して、不安で彷徨っているところを、偶然柴田に見つかってしまい、いきなり切り付けられたのだろう。

 先ほど、ミケにしようとしていたように……。


「……ギンにも、あんたの匂いが染みついていた。元の匂いがしなくなるくらい長い時間、ここにいたってことだ」


 彼らの絶望はいかほどのものだっただろう。それを考えると、気分が酷く沈む。ミケは手を強く握った。


「いったいどれだけの悲劇を産んだ? どれだけの命をもてあそんだ?」


 悲劇を繰り返すことで、ルルーの魂が核となり、犠牲ぎせいとなった猫たちの恨みが集約された。その結果、人一人覆いつくせそうなほど、巨大な怨霊となってしまったのだ。


「そいつらは、あんたが背負うべきごう、そのものだよ。それに気がつかせるのが、オレの仕事」


 怨霊は、見えない人からしたら、ないのと同じ。その恨みも、悲しみも、当事者には届かない。


 だが、そうは問屋とんやが許さない。


「あわせ屋の仕事は、無念を、恨みを、当事者に引き遭わせること。こいつらの痛みを、なかったことになんてさせねぇ」


 ミケの言葉にあわせるように、怨霊が柴田にのしかかる力を強める。

 重さに耐え兼ねた柴田は、潰れる様に膝をついた。


「重いいぃぃ! たす、たすけて」

「心配すんなよ。すぐには死なねぇさ。あんたがやったように、な」


 柴田の顔は、絶望に染まった。自分がやったように、ということはすなわち、じわじわとゆっくり、苦痛を与えていくということ。


 ぶるぶると体が震える。おびただしい量の汗が、顎から落ちていった。

 今でさえ重みで潰れてしまいそうなのに、これがずっと続くなんて、耐えられるわけがない。

 柴田は顎が震えるのもそのままに、涙を浮かべてミケを仰ぐ。

 どうか助けてくれ、と願いながら。けれど――


「自業自得だな」


 最後に見たミケの眼はどこまでも無機質で、闇そのもののような炎が、昏くくすぶっていた。


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