忍び寄る危険(4)
「あっ! 来たわね。待ってたわ、紡生ちゃん」
社の中に入ると、既にアメが待っていた。何やら真剣な表情で、床に広がった資料に目を落としていたが、紡生に気がつくとすぐに駆け寄ってきた。
「まず謝らせて。ごめんなさい!」
「えっ⁉」
深々と頭を下げたアメに、慌ててしまう。だって、アメは神様だ。神様に頭を下げられたら、そりゃあ慌てるというものだ。
「や、やめてください! 大丈夫ですから。それに、アメちゃんが謝る必要なんて……」
「あるのよ。あたしが、巻き込んでしまったの」
「巻き込んだ?」
「そうよ。貴方をあわせ屋に迎えたのは、あたしだから。まさか、そこからつながると、思ってなくて……」
「ええ?」
いまいち話が見えない。アメはいったい、何に対して謝っているのだろう。
助けを求めて
「えっとね、電話で
紡生はこくりと頷いた。
あのときはミケに追い出されたショックが大きくて、あまり気にならなかったけれど、今になって思うと電話口でも分かるほど、困った声だった。よほどのことが起こっているのだろう。
「僕ね、ミケ君にいわれてから、他の地域でも異変がないか、調べていたんだぁ。でも異変が起こっているのはこの街だけだった。だからより深く調べたらね、今、騒がれている毒餌の事件にたどり着いたんだよ」
「毒餌に……?」
神余は静かに頷いた。
聞くところによると、神余は紡生たちがギンを見つける前から、毒餌のことを知っていたらしい。
「でも、どうやって?」
「僕は五つの神社を管理しているだろう? 神様たちは、それぞれの街を見守るために、
「なるほど……」
ミケは普通の猫たちに情報を貰っていた。それと同じように、他の神様の眷属たちに力を借りたのだろう。
神余は管理者として五つの神社を渡っていく際に、互いの街の情報を共有する役目もになっているらしい。
何か異変があれば、すぐに連携できるようにしているそうだ。
「それで、犯人はすぐに見つかった。でも、少し問題があってね。……これを見てほしい」
神余はそう言って、床に広がっていた資料から、一枚の写真を取り出した。
「? この人……」
名前は知らない。けれど、青白い、不健康そうな男には、なんだか見覚えがあった。
どこで見たのかはあやふやだが、最近のことのような気がする。
記憶を思い起こそうと唸る紡生に、写真がおろされた。
「やっぱり、見覚えがあるんだね。最近あったのかな?」
「たぶん……?」
「そうか……」
神余とアメは顔を見合わせた。二人とも困ったような、不安そうな顔をしている。
不思議に思っていると、眉を下げた神余が静かに口を開く。
「紡生ちゃん。落ち着いて聞いて。君は、この人に、狙われているらしい」
「⁉」
思わず息を呑んだ。
(わたしを……狙っている?)
「な、なに? どういう?」
「理由は分からない。けれど探るうちに、犯人が君を
「なんで……」
毒餌を撒く様な人間に、狙われているかもしれないという事実に、足がふら付く。
だって、狙われる理由が分からない。
男のことなど、顔を見たことがある程度の認識しかないのだ。恨まれることをした覚えもなかった。
「理由をしるは、犯人のみ。でも君が狙われているってことは、ミケ君も気がついていた」
「え?」
「ミケ君、初めから君があわせ屋にはいるのを、反対していたんだってね。そのときになんて言っていたか、覚えていない?」
あわせ屋に入ったとき、ミケには散々言われた記憶がある。
「トロそうなやつにはできない」だとか、「お守りなど御免だ」だとか。
そう答えると、神余は少しだけ笑った。
「それらは全て、人間である紡生ちゃんを、危険な目に遭わせたくないからこそ、出た言葉じゃないかなぁ」
「……え?」
「ミケ君が、
「それは……」
確かに、優しさに触れたことは何度もある。
どれも分かりにくいけれど、人を心配しているからこそ、強い言葉になってしまうということも――。
「あっ」
そこまで考えて、ハッとなる。
神余の顔を見れば、神妙に頷かれた。
まさか、今回のことも、そうだと言いたいのだろうか。そうだとするのなら。
「……ミケさん、わたしを心配して?」
「そう。だから、なるべく君を一人にしないようにしていた。少なくとも、ミケ君がいるときは寄ってこなかったんじゃないかな。何か、思い当たる節はないかい?」
「そう言えば……」
黒永の一件を解決したとき。帰りが遅くなったからと、送ってくれたことがある。
あれはまさか、犯人から守る為だったというのだろうか。もしかして、知らず知らずのうちに、守られていたのだろうか。
「でも、じゃあ、なんであわせ屋から追い出したの?」
男につけられていたことに気がついて、守ってくれていたとしたら、いきなり
「それはあたしから説明するわ」
小さな声に振り返れば、力なく
「昨日の朝、猫社にも依頼が入ったの。迷い猫のね」
「それって、一か月半前に
追い出される前、ミケは確かにそう言っていた。
通常、猫の捜索は時間が経てば経つほど困難になる。行動範囲も広くなるし、事故や病気の可能性も上がるからだ。
けれど依頼を受けたのだから、対象の猫はまだ生きているはずだ。
それなのに、この話の流れで、その話題が出てくるということは……。
「……まさか」
嫌な予感が胸に広がる。
だって、ミケの近くにいれば、安全なのはず。
それなのに、追い出してでも遠ざけなければならない理由があったとしたら、時を同じくして入ってきた依頼のせいとしか思えない。
もしも迷い猫の捜索に、毒餌が絡んでいるとしたら……。
救いを求めて視線を向けるが、首をふられてしまった。
「そのまさかよ」
耳を伏せたアメは、目を伏せてつぶやくように語っていく。
昨日の朝、無事を祈られた猫の名は、ルルー。
願われて
それは即ち、対象が既にこの世にいないことを指すのだそうだ。
「……しかも、ルルーの魂が、
「怨霊って、確かこの世に残って悪さをする魂ですよね? それに、『あわせ』の仕事って……?」
今までのあわせの仕事ではないとでもいうような言い草に、首をかしげる。
そんな紡生に、アメは少し悩んでから口を開いた。
「あわせ屋には、いろんな仕事があるの」
はぐれてしまった縁を繋ぐ「再会」、別々の想いを繋ぐ「結合」。
これらは紡生もあわせ屋の仕事として実感してきた。良い飼い主と、猫たちの絆を取り持つ仕事だ。
「そして最後に、『遭遇』。
アメの言っていることはわかる。
「紡生ちゃんのいう通り、怨霊はこの世に留まって悪さをする。でも本質は抱えた負の感情が強すぎて昇れなかった、
「消滅って」
「普通の魂たちが天に昇り、来世に向かうのだとすれば、消滅はその輪に還ることもなく、永遠に消え去ることを意味するわ」
「そんなっ!」
悲痛な声がでる。だって、それが本当なら、ルルーは……。
「犯人にいたぶられて殺された、被害者なんじゃないの⁉」
猫たちは何も悪いことをしていない。
訳も分からず怖い思いをして、苦しめられて、
それなのにその先に待つのが、苦しみ続けるか、消滅かだなんて、あまりにも救いがないではないか。
猫たちのことを思うと、悔しくてたまらない。
「だからこそ、あわせ屋があるのよ」
「え?」
「だって、無念を抱えた猫たちがたくさんいるというのに、犯人だけ今ものうのうと生きているなんて、あまりに
怨霊に遭ったら、どうなるのか。それは紡生には分からない。けれど、自らの罪を、その結果を、目の当たりにするはずだ。犯人にとっては、これ以上ない罰だろう。
「だから、遭遇……」
「そうよ。そして怨霊がこれ以上苦しまないように、
アメは悲しそうに目を伏せた。
「危険もあるし、悲しい現実を目の当たりにする。だから、貴方には知らせないつもりだった。ミケも、あたしもね。……でも
目をつけられたとすれば、あわせ屋の仕事をしているときだろうと、アメは言う。
「あわせ屋に来たからこそ、巻き込んでしまった。きっとこの仕事をしていなかったら、この男に狙われることはなかった。ミケはたぶん、そこまで予想していたのね。だから、紡生ちゃんが加わることに反対していた」
ミケが嫌がるのは、人とうまく付き合えないからだと思っていた。けれど、違った。その裏で、紡生を守ろうとしてくれていたのだ。
「じゃあ、追い出したのも……?」
「……ルルーの依頼がきて、怨霊がいると分かった。そしてその怨霊は、貴方を狙う犯人についている。あわせ屋に関わる限り、どう転んでも危険が及ぶわ。だからこそ、貴方を追い出したのだと思う。事を終えるまで、家に
「…………なによ、それ」
結局全て、ミケの優しさだったと言うのか。本心とは、全くの逆だったのだろうか。紡生を危険にさらさないように、自分が恨まれても止めようとしていたのだろうか。
そんなの、気が付ける訳ない。言ってくれないと、分からない。
いつもいつも、ミケの優しさは――
「分かりにくいのよ……」
ジワリと目の奥が熱くなり、喉が震える。
ミケに、嫌われたと思っていた。ミケが言ったことは、全て事実だったから。
怒鳴られて分かったのだ。例え誰かの役に立ちたいと思っていても、紡生にはその力がないと。
そのくせ、問題事に首をツッコんでばかりだった。
だから嫌われた。だから追い払われた。当然のことだったのだと、飲み込もうとした。
でも、嫌われたわけでないのなら……。
何をすればいいのか、分からないことばかりだけど。けれど一つだけ確かなことがある。
(このままじゃ、ダメだ)
だって決めたのだ。ミケの助けになると。認めさせてみせると。
それなのに、自分だけ守られている訳にいかない。
「アメちゃん。教えてください。ミケさんは、今どこにいますか?」
「紡生ちゃん、ダメよ。貴方をこれ以上危険な目に遭わせられない。ミケに任せておきなさい」
アメは小さく首をふった。それでも、引くわけにはいかない。
ミケは、恨まれ役を買って出て、危険に飛び込んで、そして怨霊に引導を渡す。その役目を、一人で請け負った。いったい、どんな思いだっただろう。
想像するだけで苦しくなる。だからこそ、
「……支えて、あげたいの」
自分にはなんの力もないけれど、傍で寄り添うことはできるから。それが自分にできる、唯一のことだと思うから。
紡生は歯を食いしばって、顔を上げた。
「ミケさんは確かに、人にはない力を持っていますよね。……でも、傷つかないという訳じゃない。肉体に傷を負わなくても、心はきっと、誰よりも傷つきやすい」
「それは……」
アメは口ごもった。アメだって、きっととっくに気がついていたのだろう。
ミケは、なんだかんだ言いつつ人を見捨てられないし、憎まれてでも守ろうとする。
そんな優しさを持った彼が、平気で傷つけ殺した犯人と
きっと、心に深い傷を負う。
「毒餌事件にしても、怨霊にしても、一人だけで背負うなんて、過酷すぎるよ。だから、傍に行きたいの」
「……それを、ミケが望まないと知っていても?」
「わたしの仕事は、ミケさんをサポートすることです。だったら、傍にいなきゃ」
あわせ屋の一員になった、あの日。アメは紡生に、ミケのサポートを頼んだ。
ミケを助けてほしかったから。支えてほしかったから。
今なら分かる。アメも、ミケを心配していたのだ。だから、紡生を呼んだ。ミケを一人にしないように。痛みを、分け合えるように。
だったら、その期待に応えたい。応えられる、自分でいたい。それが例え、望まれていないとしても。
「……それに、ミケさんみたいなひねくれ者の相手は、自分勝手な人にしかつとまらないでしょう?」
いつか、ミケにも言ったことだ。
そっちが勝手に守ろうとするのなら、こっちだって勝手に守ろうとしてやる。
何度突き放されても、傍に行ってやると決めたのだ。決めたのなら、諦めない。
紡生の目には、強い意思が浮かんでいた。
アメはしばらく呆けていたが、やがてクスクスと笑い声を上げた。
「似た者同士か。昔から変わらないなぁ」
「え? なんです?」
「昔ね、貴方によく似た人がいたの」
「よく似た人?」
アメは懐かしそうに、目を細めた。
その人は、猫社を建てた当時の、
「そんな子だから、妖であるミケを、気味悪がるでもなく、受け入れたの。ミケもその人と共にいるために、あわせ屋の仕事を受け持つようになった。……でも」
人は自分と違うモノ、訳の分からないモノを恐れてしまう生き物だ。
だから妖を恐れた人々に、殺されてしまった。妖を
「ミケはずっと、自分を責め続けているわ。『自分に会いさえしなかったら、あんな目に遭わなかったのに』って。今でもあわせ屋をしているのは、きっと
「そんな……」
ミケが人を遠ざけたがる理由が分かった気がした。
関わり合えば、また同じことになってしまうかもしれない。それを誰よりも恐れているのだ。
「だからね。貴方はどうか、傷つかないであげて。それが、ミケを守ることにもつながるはずだから。そう約束できるのなら、あたしも協力を惜しまない」
アメの真剣な目に、紡生もゆっくりと頷いた。
そのまましばらく紡生を見つめると、やがて諦めたように困った笑みを浮かべた。
「神様としては、止めなきゃいけないところなんだけどね。仕方がない。後で怒られるとするかー!」
「アメちゃん……!」
「言っておくけど! 引き受けると決めた以上、でき得る最高の結末を迎えられるようにするわよ!」
沈んでいた調子が、元に戻っている。尻尾は上がり、寝せられていた耳もピンと立っている。
そしてアメは床に置かれた資料から、一枚の紙を咥えてきた。手に取ると、怨霊になる前のルルーの資料のようだ。
「そうと決まれば、まずはミケのところじゃなくて、ルルーの
「媒体?」
「そう。怨霊になるほど強い感情が残っているのなら、この世にルルーの物が残っているはず。それを探すわ」
「え? でも」
「貴方に頼んだのはあくまでサポート。戦闘じゃないわ。支え方はたくさんある。
対人はミケに任せなさい。貴方にできるのは、怨霊の方」
「怨霊の? でもわたし、
「それは分かっているわ。だから媒体を探すの」
媒体を見つけ、怨霊の元に持っていくことができれば、自我を取り戻すことができるかもしれないらしい。
「自我が戻れば、対話が可能になる。といっても、その可能性は数パーセントしかない。でも自分が何者なのか、思いだしてくれれば
要するに、恨みや怒りなどの負の感情以外の
「そうすれば、ミケの助けになるわ。それに」
もしかしたら、恨みを脱ぎ去って、本当の望みをかなえてあげられるかもしれない。そうすれば、アメの
僅かな希望が灯る。
「でも、可能性は限りなく低いわ。それに、これをやるとなれば、怨霊の前に行かなければいけない。危険はつきものだわ。それでも、やる?」
紡生は、
「やるよ。ミケさんも支えてみせるし、ルルーちゃんも、天に送る。できることはなんでもやる」
やる前から諦めてなるものか。
迷いはもう、消えていた。自分がなすべきことが、ようやくわかったのだから。
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