忍び寄る危険(2)


「じゃあ、そう言うことで」

「ああ分かった」


 あわせ屋につくと、ちょうどアメが来ているようだった。

 居間から聞こえてくる声はどこか固く、紡生に気がつくと忙しそうに出ていった。


「おはようございます。依頼ですか?」

「……まあな」

「今日はどんな?」

「……捜索依頼だ。一か月半くらい前に脱走したやつの」

「一か月半? 結構時間が経っていますね」

「まあ、そうだな。……てかあんた、なんて顔してんだよ」

「どんな顔?」

「いつにも増して、辛気しんき臭ぇ顔。どうせ昨日のことを気にしてんだろ」


 なんとなく歯切れの悪いもの言いに感じた。

 が、昨日の話をしに来たのも事実だった。紡生はとにもかくにも、先ほど聞いた話を告げた。



「……毒、か」


 話をし終えると、ミケは口を歪めた。ぼそりとつぶやくように漏れた言葉には、不快の色が濃く滲んでいる。


「あいつは、生きてはいるんだよな?」

「うん。でも、助かるかどうかは、あの子の気力次第みたい。……でも、助からない可能性の方が高いって、ニュアンスだった」

「……そうか」


 ミケは何かを考えるように口に手を当てて黙り込んだ。


「……ねえ、ミケさん。なんとかできないのかな。ほら猫社って猫の健康も祈られるでしょ? だったら何か、助ける方法とか……」


 こうしているうちにも、あの猫の命の灯が消えてしまうかもしれない。それなのに自分はなにもしてあげることができない。それがたまらなく怖かった。


 もしも猫社に祈ることで、あの子が助かるのなら、どれだけでも祈るつもりだ。

 けれど……。


「ムリだな」


 無情にも言い切られてしまった。きっぱりとした口調だ。


寿命じゅみょうを延ばすとか、病を治すだとか。そういう物理的なことはできない。オレはもちろん、アメにもな」

「……そう、なんだ」


 紡生だって、本気でそう考えていたわけではない。けれど、こうもきっぱり言い切られると、なんだかやるせない。

 結局、あの猫の為にできることなど何もない。それが分かっただけだ。紡生は無力感のまま、口を開いた。


「……なんで、そんなことするのかな」


 猫を捕まえて、時間をかけて苦しめて、最後にはゴミのように捨てる。

 何がしたいのか、どうしてそんな非道ひどうなことができるのか、到底分からない。


「人間にも、いろんなやつがいるってことなんだろ」

「いろんなって」

「弱いものをいたぶるのを、趣味にしているやつとか。ストレス発散の為に、他のなにかに当たるやつとか」

「それは……」


 投げやりに答えられる言葉を、否定できない。

 そういう人がいるというのは、紡生とて分かっている。それでも理解などしたくなかった。

 そんな紡生の様子に、溜息が零される。


「人間は動物を下に見る奴が多い。違う種族だから、何をしてもいいと思っているやつすらいる。それは昔から変わらない。自分と違うから、嫌いだから、しいたげる。遠ざけるとかじゃない。存在を排除しようと躍起やっきになる。そういう悪意をもったやつが、いなくなることはない。そういうやつに当たったら、どうしようもねぇ。……諦めるしかねえんだよ」


 諦めるしかない。その言葉が、深く紡生の胸に突き刺さった。


「なんで……? どうして、諦めろ、なんて」

「災害と同じだからだ。ただ、運が悪かっただけ」


 ミケはいつも通りの態度で言ってのける。それがとても悲しかった。


「……ミケさんは、それで平気なの?」

「オレ?」

「だって、あの子、ミケさんの知り合いなんでしょう?」


 昨日、あの猫を見つけたとき。ミケは確かに呆然として「ギン」とつぶやいた。それがあの子の名前なのだろう。

 地域ネコとして、ミケに協力していたのかもしれない。そんな子が、悪質な犯人にいたぶられた。毒を飲まされて、生死の境にいる。


 紡生は、もし知り合いがそんな目にあったら、平気でいられる自信などなかった。

 きっと犯人を突き止めて、罪を償わせようとする。誰に諦めろと言われても、一人でも。きっとそうするだろう。


「わたしは……絶対に、許せない。許したくないよ」


 それはミケだって同じじゃないのだろうか。

 少なくとも、今まで紡生が接してきたミケなら、きっと自分と同じことを言うと思っていた。

 それなのに、なぜ。諦めろだなんて、言うのだろうか。


「猫だって、同じ命なんだよ? 虐げて苦しめて、まして殺すなんて、許されるわけがない! さくら猫だろうが、飼い猫だろうが、誰だって誰かにとっては大切な家族で、仲間なんだから!」


 悔しくて、悔しくて。つい言葉が荒くなっていく。


「簡単に諦めることなんて、できないよ。ねえ、本当に何もできないの?」


 医療関係のことはできなくとも、犯人探しならできることもあるかもしれない。

 あわせ屋や猫社なら、なにか手がかりが集まるのではないだろうか。


「警察よりも早く、突き止められるかもしれない。そしたら、被害を受ける子を減らせるかも――」

「やめとけ」


 続く言葉を、鋭い声が遮った。そして静かに首を振られる。


「あんたはもう、関わるな」

「――どうして!」

「警察だって動いているんだろ。だったら任せておけ」

「でも!」

「でもじゃない」

「だって、知り合いの猫ちゃんが、やられたんですよ⁉」

「……だからなんだ。それに、あんたにできることなんざ、なにもない」

「っ! なにかあるかもしれないじゃないですか! それに、ミケさんだって、そんな顔しているくせに!」

「っ」


 ミケの顔は、苦しそうに歪んでいた。

 悲しみ、怒り、恐れ。それらがない交ぜになったような顔だ。あの猫を見つけたときにも、していた顔。本当はミケだって犯人を許せないのだろう。

 それなのに、なぜ。


「ミケさん、言ってくれたじゃない。できるかできないかは自分次第だって! だったら――」

「……っもういい加減にしろ! 現実をみろよ!」

「っ」


 苛立った眼差しが、紡生に突きささる。荒げられた声には、明らかな侮蔑ぶべつが込められていた。


「ただの人間に、何ができるって? あんた、自分がなにか特別な存在にでもなったとでも思ってんのか?」

「そ、んなこと」

「あるだろうが。自分で解決できないことに首を突っ込んでさ。引っ張り回される、こっちの身にもなれよ! いい加減、うんざりなんだよ!」


 初めてだった。今まで何度も鬱陶うっとうしそうな目線や、呆れた視線を浴びてきた。けれど、初めて。すべてを否定するかのような言葉を、視線を向けられた。


「――そんな風に、思っていたの?」


 胸がえぐられるほどの衝撃を覚えた。心臓が締め上げられているようで、息が苦しくなる。

 だって、少しは歩み寄れたと思っていた。近づけたと思っていた。

 人付き合いの苦手なミケに変わって、ミケの想いを相手に伝えれていると。自分にはなんの力もないけれど、あわせ屋の一員として、できることをしていたつもりだ。

 だから少しは認めてもらえていると、思っていた。

 なのに――。


 すがるようにミケを見つめるけれど、すぐに視線を外されてしまう。それがすべてを物語っていた。


 ――ああ、本当に。


 この人にとって自分は、足手まといのトラブルメーカーでしかなかった。

 初めの頃より近くなった歩幅も、不器用な優しさも――すべては、思い違いだったのだ。


 じわりと、視界が滲んでいく。その先で、ミケの顔が歪んだのが見えた。


「……もう、ここに来るな。あんたは……必要ない」


 その言葉が鉛のように心を蝕んでいく。


 誰かの役に立ちたかった。それがミケの、猫社の為になるのなら。なんだってやれると思っていたのに。その気持ちすら、必要ないと切り捨てられたのだ。


 ふいに、シュンと音がした。


 気がつくと、紡生は屋敷の外にいた。

 ミケの姿どころか、あわせ屋に入る門すら、見当たらない。ただ薄暗い路地裏が続いているだけだ。


 あの空間は、ミケと神とで作り上げた場所だと言っていた。だから、ミケが拒めば、領域からはじき出すこともできるのだろう。

 つまり、それほどまでに拒まれてしまったということだ。


 もう、ここにはいられない。


 紡生はふらふらとよろめきながら、路地裏を出ていく。ぶ厚い雲に覆われた空が、ついに泣き出した。


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