こわもて飼い主と、猫たち(4)


 喫茶店を出ると、すでに日が傾き始めていた。

 黒永は泣きはらした顔をしていたが、別れ際にはすっきりとした表情になっていた。

 だから安心して手を振って見送る。


「黒永さん、元気出たみたいでよかったですね」


 すがすがしい気持ちだった。やはり、誰かの役に立つのは気持ちがいい。

 そう思い隣にいるミケに笑いかける。


「ミケさん、今日はありがとうございました。一緒に来てくれて」

「……別に」


 ミケは、黒永の消えていった道を眺めながらそう返す。

 そっけない返事だったが、その声には満足そうな色が滲んでいた。

 口は悪いし、突き放すような態度は相変わらずではあるが、恐らく、まんざらでもないのだろう。


「ふふ」

「なんだよ」

「別に?」


 思わず笑みがこぼれてしまった。たちまち睨まれるが、それが照れ隠しだということに、紡生はもう気がついていた。

 それを口にすれば、へそを曲げられてしまうだろう。だから紡生は何も触れずに微笑んだ。


「……変な奴」

「ミケさん程じゃないよ。それにしても、生まれ変わりかぁ。ロマンチックな話ですよねぇ」

「なに、急に」

「だってほら。黒永さん言っていたでしょ? アズキちゃんを奥さんの生まれ変わりのように思っていたって」

「……生まれ変わり、ねぇ」


 独り言のようにつぶやかれた言葉は、どこか暗く沈んでいた。

 不思議に思って見上げると、やたらと真剣な表情と目が合う。


「……あんたは、生まれ変わりを信じるか?」

「え?」


 ふいに掛けられた言葉は、不安げに揺れていた。

 強い風が吹いた。夕暮れに伸びる影が、ミケの姿を覆う。


 紡生はふいに不安に襲われた。

 このまま答えなければ、ミケがどこかに行ってしまうような気がする。夕暮れの赤に溶けて、消えてしまうような気がしたのだ。


 気がつけば、ミケの腕を強く掴んでいた。


「……なに」

「分からない」

「は?」

「分からないよ。わたしには魂も見えないし、死んだらどうなるかなんて、想像できない。……でも」

「でも?」

「……この世に絶対なんてない。だからきっと、生まれ変われないってこともないんだと思う。だから、大切な人に会える、会いに行ける可能性があるって信じたい」


 別れが縁を引き裂いたとしても。それでも、いずれまた、出会えることもあるかもしれないから。


「わたしは、少しでも可能性があるのなら、きっと会いに行こうとすると思う。大切な人がいるなら。……それは、皆同じなんじゃないかな」

「……そうか」


 そう答えると、薄く笑われた。

 頭に手を置かれ、ぐりぐりと撫でられる。


「ちょっと! 髪の毛乱れる!」


 思わず両手で抵抗すると、あっさりと離れていく。

 そこに不安そうな空気はなく、いつも通りの意地の悪い顔があった。


能天気のうてんきなあんたらしいな」

「なに? なんで急にディスられているの?」

「褒めてるんだよ」

「絶対うそだ!」


 ミケは背中を揺らして歩き出す。数歩進んで、振り返った。


「何してんの。帰るんだろ」

「え、あ、あぁ。はい。……て、そっちはあわせ屋とは逆方向ですよ?」

「送ってく」

「え?」


 紡生は目を見開いた。だっていつも紡生を置いていくミケが、送っていくと言ったのだ。なんとなく気味が悪い。


「聞き違い?」

「失礼な奴だな」


 体を抱くようにして言えば、眉を寄せられてしまった。

 だがそういうミケ自身も、らしくないことを言ったと思っているようだ。せわしなく首をさすり、居心地が悪そうにしている。


「あんたの家、あのビルの近く通るんだろ」

「ビル……? ああ、あの駅の近くの?」


 ハチを探しに、空き地に入ったときに話していたビルのことだろう。


「うん。近くは通るけど、あの話を聞いてからは、前は通らないようにしているよ」


 あんな話をされたら、昼間であっても近づきたくない。

 それに、何ヶ月か前に崩落ほうらく事故もあった。普通に危険なので、今後も近寄るつもりはない。


「ならいいが、あの近くを、出歩いていてもおかしくない。それに……」


 ミケはそこで不自然に止まってしまった。

 何かを言われるのも怖いが、言いかけて止まるのも、怖い。


「え、なに?」

「……いや」

「怖い怖い。なによ?」

「……知らないか? 今は逢魔が時。闇を好むものが動き始める時間なんだぜ」


 ミケは少しだけ悩むそぶりを見せてから、そう口にした。


「え」

「まあ、ついていかなくていいというなら、帰ろうかな」

「お願いします。ついてきてください」


 紡生は速攻で頼み込んだ。泣きべそをかきながら、縋りつく。不安を煽る様なことを言われてしまえば、怖くなるに決まっている。


 ミケはそんな紡生を楽しそうに眺めると、再び歩き出した。紡生の家の方へ。



 ◇



 駅を越えて、大通りを抜けたときだった。

 ふと、酸っぱい臭いが、鼻をついた。


「っ、なんの匂いだろう? ねえ、ミケさん。……ミケさん?」

「――ギン」


 ミケは突然、足を止めた。血の気の失せた様子で、前方へと視線を注いでいる。

 不思議に思って視線を辿っていくと――十数メートル先、道路脇に、一匹の猫が倒れていた。


「!」


 心臓が、嫌な音を立てる。車に轢かれてしまったのだろうか。

 慌てて駆け寄り、様子をみる。


(……! まだ息がある!)


 猫は浅く息を吐き出していた。けれど様子がおかしい。


 車にはねられたような外傷がいしょうはないのに、痙攣けいれんを起こし、泡を吹いていた。

 近くには吐き戻した痕跡こんせきもある。先ほどの酸っぱい臭いは、この臭いだったのだ。


 医学に精通していない紡生でも、すぐに治療してもらわなければ、取り返しがつかなくなると分かる状態だ。


(病院、……病院に!)


「ミケさん! 戻って、病院に……!」


 今は一刻いっこくを争う。隣にいたミケに声をかけるが、返事がない。

 振り返ればミケは呆然としたまま、固まっていた。


「ミケさん!」

「っ!」


 もう一度叫べば、ようやく我に返ったようだ。すぐにこちらに向かってきた。

 紡生たちはすぐに猫を抱えて走り出す。


 背に迫る夕日が、毒々しいほど赤く染まっている。何もかもを飲み込んでしまいそうな、不気味な赤色だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る