こわもて飼い主と、猫たち(2)


 翌日。

 あらかじめ黒永の連絡先を聞いていた紡生は、駅近くの喫茶店にきていた。

 猫に詳しい人が見てくれると告げれば、すぐにいくという返事が返って来たからだ。

 やはり、相当困っていたようだ。


 さて、それは良いとして。

 ちらりと視線を店内に向けると、まばらにいた客の視線を感じる。それらは、隣に座るミケへと注がれていた。

 紡生はもう慣れていたが、ミケは現代では珍しい和服を着ている。それが珍しいのだろう。「コスプレ?」「撮影?」という小さな声が、先ほどから聞こえてくる。大方、どこかの俳優だとでも思っているのだろう。


(……まあ、ミケさん、顔はいいもんね)


 性格はともかく、見た目は驚くほど目を引く。

 髪は三色だし、大正ロマン的出で立ちだし。ただでさえ目立つのに、今日は少し冷えるからと外套がいとうまで羽織ってきたときは、さすがに一言申したくなった。


 とはいえ注目の的になっている当の本人は、我、関せず。運ばれてきたグラスについた水滴を、あくびをしながら眺めていた。

 紡生にすら聞こえている小声が、ミケの耳に届かないわけがないというのに、全くの無反応。オール無視を決め込んでいた。


「で、そいつはいつになったら来るんだ?」

「え? えーっと、もうすぐじゃないかな」

「はぁーあ。ダル。ねむ。来なきゃよかった」


 ミケはやる気のない声を上げて、ソファに沈んでいく。


「ちょっと、ミケさん」

「んー」


 返答すらうつらうつらとしていて、放っておいたらすぐにでも眠ってしまいそうだ。


「寝不足ですか?」

「おー。猫だからな」


 完全にふわふわとしている。これは何を聞いてもダメそうだ。こんな調子で黒永の話を聞いてくれるのだろうか。少し不安だ。

 と、ちょうどそのとき。外から走ってくる黒永を見つけた。あちらも紡生を見つけたらしく、店に入ると迷いなく席へとやってくる。


「ごめん。待たせたね」

「いえいえ、こちらこそ。急な申し出で申し訳ありません」

「いやいや! 小宮さんには気を使ってもらっちゃって」

「いえいえ。全然!」


 いえいえ合戦と注文を終えて、ようやく腰を落ち着ける。


「……それで、そちらのお兄さんが、猫の専門家かな? 初めまして。黒永です」


 差し出された手を眺めたミケは、しかしふいっと顔を反らした。


「ちょっとミケさん!」


 あまりの態度に冷や汗をかく。ミケの不愛想度を舐めてはいけないと言われていたのに、忘れていた。


「すみません。この人、人見知りでして。でも、猫のことは本当に詳しいので!」

「あはは、全然大丈夫さ。俺、見た目がこんなだから、よく怖がられちゃうんだよね」


 自虐じぎゃく的に笑う黒永は、どこか遠くを見つめていた。恐らく、今までにも似たようなことがあったのだろう。

 失礼な態度にも怒らずに笑ってくれるなんて、やはり、人は見かけによらないものだ。


「ありがとうございます。この人のことは、ミケと読んでください」

「ミケ? なんだか、猫みたいな名前だね」

「あぁ、えっと。三毛門みけかどさんだから、ミケさんです」

「なるほどね。じゃあ、ミケさんと呼ばせてもらおうかな」


「おい。御託ごたくはいい。さっさと始めろ。オレも暇じゃない」


 なかなか始まらない本題にしびれを切らしたのか、ミケは鋭くそう言い放った。


「もうミケさん!」

「あはは、いいよいいよ。そうだね。始めようか」


 あまりに失礼な態度に、苦言をていしようかと思ったが、黒永に止められた。どうやら黒永も、早く話を進めたいようだ。

 紡生は渋々ではあるが、テーブルに向き直った。


「じゃあ、改めてお話をお伺いしますね」


 黒永の話はこうだった。

 今回の心配の種は茶白のオス、とらじろう(二歳)。先住猫に黒猫のメス、アズキ(九歳)がいたが、二週間前、病で虹の橋を渡った。

 その後、とらじろうに異常行動が見て取れるようになった。


「具体的には夜泣きとか、何かを探すような仕草をするとか。そういうものでね」

「だからとらじろう君の気持ちが晴れるように、祈りにきたんですよね」

「そう。あの子が頼れるのは俺だけだし、可愛そうで見ていられなくてね」

「動画は撮って来てくれました?」

「ああ。これでいいかな」


 差し出されたスマートフォンの再生ボタンを押す。映し出されたのは、壁に向かって鳴き続けるとらじろうの姿だ。


 動画が始まってすぐ、ミケが覗き込んできた。

 先ほどまでは話も聞いているのかどうか分からない態度だったのに、今は画面にくぎ付けだ。

 真剣な表情で、とらじろうを見つめている。


『アオーン、アオーン』

『とらじろう、どうしたの?』

『アアー、ナエーン』

『もうね、いないんだよ』

『ウナン、ナオーン』


 とらじろうは、何もない場所を見つめて、悲痛な声を上げている。明らかに、普通の声ではなかった。まるで、何かに呼びかける様に必死な声だ。

 やがて短い動画が終わり、皆が顔を上げる。


「これでいいかな」

「ミケさん、どうです?」


 紡生が見ても、とらじろうが何を訴えているのかは分からない。ただただ、可哀そうな声が聞こえるだけだ。でもミケなら。何か分かるかもしれない。

 そう思い、声をかけると、隣から息を吐きだす音が聞こえた。ミケは目を覆い、ソファの背もたれに沈んでいく。


「……あんた」


 ふいに、黒永へと指を向けた。


「え? 俺?」

「そうだ。あんたって、魂とか、見える?」

「は?」


 ミケは、唐突にそんな話題を振った。

 黒永も何を聞かれたのか分からないというようにポカンとしている。紡生は、天を仰いだ。


(ミケさん、言い方ーーー‼)


 この話題の振り方はまずい。どう考えても、宗教勧誘だ。絶対に警戒されるに決まっている。その証拠に、先ほどまでなごやかだった黒永の顔もこわばっていた。


 紡生は慌ててミケの脇腹をつつく。これ以上何かを言う前に阻止しなくては。

 びくりと体を震わせたミケは、ぎろりと睨んできた。恐らくくすぐったかったのだろうが、今はそんなこと気にしていられない。


「なんだよ」

「言い方ってもんがあるでしょう⁉」

「なんで。オレ、間違ったこと言ってないけど」


 ミケは首を傾げた。本当に何が不味いのか分かっていない顔だ。


「現代でその切り出し方は、身構えられちゃうって!」

「はあ? 大体いつもこういう切り出しだったけど」

「あーー。なるほどね」


 紡生は理解した。アメが言っていた「不審者に思われて通報されかけた」という話は本当のことだったのだと。

 口ぶりから察するに、何度も初対面の人に先ほどの言葉を投げかけたのだろう。

 そんなもの、通報待ったなしだ。普通に距離を置くし、逃げるだろう。


「ミケさん、あのね。普通の人に神様とか魂とか、気軽に話しちゃダメなんだよ」

「なんで」

「やばい宗教の勧誘だと思われるから。お金をだまし取られると思うんだよ。今の人たちは」

「……?」


 ミケは相変わらず分からないと首をひねっていた。

 忘れがちだが、ミケは妖。人間とは価値観などが違うのだろう。妖にとっては魂や神などは、見えて当然のモノなのかもしれない。


(これは人付き合いが苦手という話じゃなくて、人間の常識とかルールとかを知らないから起ってきた悲劇では?)


 確かに妖には、人間たちの事情など分からないのかもしれない。けれど、妖側の事情も、人間が知るわけがない。


(……人間のことを、ちゃんと教えてあげないと)


 そしたら少しは仕事がしやすくなるかもしれない。紡生は戻ったら、その辺りの価値観の違いなどを勉強しようと決めた。


「……はあ。要するに、疑われなければいいんだろ?」

「え? うん、まあそうだけど……。え。なんでわたしを指さすの?」


 ミケは黙って紡生を指をさした。意味が分からず、首をかしげる。


「あんたがいるだろ」

「⁉」

「人間の価値観なんて、知ったこっちゃねえな。だからオレは話すべきことだけ話す。あんた、オレが話すことを人間に合わせて説明してやれ」


 ミケはそう言って、黒永へと視線を送った。どうやら本当に、丸投げするつもりのようだ。


(……まさか)


 紡生はようやく、アメが言う「サポート」の全容を掴んだ。

 ミケは、人間には寄り添うつもりがないのだ。けれど人間相手の仕事はなくならない。だからこそ紡生を引き入れたのだ。現代人の感覚が分かる、紡生を。


 要するに「魂」や「神」や「霊」と言った存在を、嘘と思われないように要約して説明しろということだ。

 ミケ一人だと、宗教勧誘のように思われるから。疑われて反発され、業務に支障が出てしまうから。


(無茶ぶりが過ぎるよっ!)


 いくらなんでも難易度が高すぎやしないか。

 確かに、初対面でもある程度は話すことはできる。けれど、話術に自信があるわけではない。紡生だって理解していない話を、要約する自信などあるわけがなかった。


「茶白が夜に鳴くようになったのは、あんたが原因だ」

「お、俺?」

「ここに、黒猫の魂がいる」


 ミケは、黒永のスマートフォンに映る壁を指していた。身を乗り出してスマートフォンを覗き込むと、キャットウォークの足場があるのが分かる。

 じっくり眺めてみても、紡生にはただの空間にしか見えない。けれどミケには、確かにアズキの魂が見えているようだ。


 ミケは動揺している紡生を待つことなく、口を動かしていく。

 このまま一人で話を続けさせれば、間違いなく、勘違いが加速してしまう。もう腹をくくるしかない。やるしかないのだ。


 紡生は覚悟を決めて、黒永へと向き直った。


「黒永さん、ごめんなさい。一つ、お伝えし忘れていたことがあります」


 そう告げれば、黒永は体を震わせた。警戒の色が濃く現れている。

 恐らく、紡生たちのことも、宗教勧誘の人だとでも思っているのだろう。どうにかここから離れようと機会を伺っている様子だ。

 けれど、このまま帰られると困るのはこちら。帰すわけにはいかない。多少強引にでも、話しを聞いてもらわなければ。


「ここにいるミケさんは、生死を問わず猫と話ができるんです」

「は? 猫と? ……それって、テレビとかでやっている動物と話せる人間ってこと?」

「はい。だから今日、来てもらったんです。とらじろう君が何を訴えているのか、分かるかと思って」


 思っていた展開と違ったのだろう。黒永は戸惑いの色を見せながらも、浮いていた腰を落ち着けた。


「……俺は、テレビのあれは演出だと思っている。ペットと話せるなんて、そりゃあ、いいなとは思うけど。でも、会話は出来なくても、ペットの気持ちを察することはできるし」

「そう言ってもあんた、茶白の訴えが分からなくて参っているんだろ」


 黒永の主張に、ミケが指摘をいれてしまった。途端にぎろりと睨まれる。

 紡生はすかさずミケの脇をつついて黙らせ、話しを続けた。


「テレビの真偽しんぎは、わたしにもわかりません。でもミケさんは本物だって言い切れます」

「……証拠は?」

「物的な証拠はありません。彼と違って、わたしは猫の言葉も分かりませんし、魂とかのことも分かりませんから」

「じゃあなんで……」

「前にお話ししたでしょう。わたしも猫と暮らしていたと」

「ああ。大往生した猫ちゃんだったね」

「はい。むぎを亡くした時、わたしも黒永のように悩んでいたんです。もっとできたことがあるんじゃないか。本当に幸せだったのかって……」


 今なら確信をもって「むぎは幸せだった」と言える。だが当時の紡生には、とてもじゃないが自信などなかった。

 答えの出ないことを延々と考えて、むぎと過ごして幸せだったころの記憶を上書きしてしまいそうだった。

 ミケに出会っていなければ、紡生はきっと、今も後悔ばかりを数えていただろう。


 人間は、楽しかったことや嬉しかったことよりも、辛いことや悲しいことの方が記憶に残りやすいから。


「でもミケさんと出会って、むぎの気持ちを知ることができた。……あの子、わたしの元気がないからって、心配してずっと引っ付いてくれていたみたいで……。あのとき、確かにむぎを感じたの」


 肉体がなくなって、誰にも見られないようになっても。それでも傍にいてくれた。

 あのとき、確かにむぎを感じられたのだ。


「わたしとむぎだけしか知らない話も、してもらえました。だからミケさんの言葉は、むぎの言葉だって思えた。……すぐに信じろなんて言いません。嘘だと思っていても構いません。でも、一度だけ話を聞いてくれませんか?」


 真っ直ぐに、言葉を紡ぐ。感じたことを、そのままに。

 想いが届いてくれることを願って見つめれば、黒永はぐっと唇を引き結び、視線だけで続きを促してきた。どうやら、一先ずは聞いてくれるようだ。


 紡生はほっと息を吐き、スマートフォンへと目を向ける。


「ここに、アズキちゃんの魂が?」


 この先はミケに確認しながら、どういう状況なのかを探っていくしかない。

 ミケは頷いた。やはり、まだこの世に留まっているらしい。


「動画でも分かるの?」

「時間と距離が空いている分聞きにくいが、何を言っているのかも大体は分かる。なんのために、残っているのかもな」

「さっき、とらじろう君が鳴くようになったのは、黒永さんが原因だって言っていたのはなんで? それとアズキちゃんの魂がここにいるのが関係しているの?」


 ミケは言葉が足りない。だからこそ分かるように質問をしながら、答えを見つけていくしかない。


「茶白は、ここに黒猫の魂がいることに気がついている。だから鳴いているんだ」

「どういうこと?」

「……あんた、もしも知り合いがそこにいるのに、触れなかったら、どう思う?」


 心底呆れましたという視線が送られる。癪に障る顔だったが、いちいち怒ってもいられない。


 気分を変えて、想像してみることにする。もしも。例えば母親が、家にいるのに触れなかったら。ただじっと、そこにいるだけだったら。


「……心配する、かな」


 ただいるだけで、いつもと様子が違う。そんな状態の知り合いがいたら、何かあったんじゃないかと心配する。気になって、気になって仕方がないだろう。


「茶白も同じだ。そこに黒猫がいるのに、いつもと様子が違う。それに……」


 ミケはそう言いながら、目線を黒永へと向けた。

 同じように黒永を見れば、ミケの言いたいことが分かった気がした。


「そっか。黒永さんの元気がないから……」


 「犬は人につき、猫は家につく」という言葉がある。

 犬は飼い主が行く場所についていくが、猫は住み慣れた家を選ぶという意味だ。


 猫にとって、慣れ親しんだ場所テリトリーから無理やり移動させられる引っ越しや外出は、相当なストレスになるのだ。

 引っ越し後、元の家にまで戻ったという話もある。猫はそれほど環境テリトリーの変化に敏感な生き物なのだ。


 家猫にとっての縄張りは、もちろん家の中。

 先住猫がいたのなら、初めからとらじろうのテリトリーは、アズキを含めて考えられていたことになる。

 そのアズキの様子がおかしい。そしてもう一人の仲間である黒永の元気がない。

 そんな状態が続けば、テリトリー内で何かが起こっていると感じていても不思議はない。


「そうだ。こいつは相当不安がっている。縄張りがいつもと違うんだからな。黒猫のことは戻せないが、茶白を思うのなら、いつも通りのあんたに戻る必要があるんじゃねぇの」


 つまり、とらじろうが普段の調子に戻るには、黒永自身が元の調子になる必要があるということだろう。

 ミケの鋭い視線に射抜かれた黒永は、俯いてしまった。

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