こわもて飼い主と、猫たち(1)
あわせ屋に初めてやってきた日から、一か月が経った。寒空に縮こまっていた桜の蕾も、ようやく膨らんできている。来週にでも咲き始めるだろう。
猫社には立派な桜の木がある。猫社ができた江戸時代からずっとあるそれは、境内を埋め尽くすほどの花びらを落とすらしい。とてもきれいな光景になることだろう。
「はあ」
紡生は春への期待がつまった蕾を見ながら、重く大きなため息を吐きだした。
「なあに? 大きなため息ねぇ。依頼が上手くいかなかったの?」
どろんと音をたてて、
「アメちゃん。ううん、そう言う訳じゃないよ。今日も、見つかったし、今ミケさんが送ってくれているところ」
「そう言う割に、うかない顔をしているじゃない?」
「……だって。毎度のことながら、殆どできることないんですもん」
迷い猫の捜索は、基本的にミケの
というのも、猫は嗅覚も聴覚も、人間よりもよほど良い。
猫が本気で逃げるのなら、人間では捕まえるなど不可能だ。だからこそ
その点ミケなら、猫同士のコミュニティもあるし、猫の身体能力を活かして捜索ができる。
それに捕まえなくても、話を付けて案内をしてあげれば、それで終わり。
猫同士の方が言葉が分かる分、迷子の猫に負担をかけずに戻してあげられるのだ。
「ここ数回の依頼じゃ、完全になにもできなかったですし」
初日に活躍(という程でもないが)できたのは、ハチが怪我をしていたからだ。
人間と関わる必要のない場合、紡生は必要とされない。だから思い悩んでいたのだ。
「なにか、できることがあればいいんですけど……」
「なーに言ってるの? ミケだけだったら、ハチの件は難しかったと思うわよ」
「そうですか……? でもたぶん、ネコちゃんへの態度を見れば、たぶん悪い人だとは、思わないんじゃないかなって」
ミケはたしかに、言葉足らずで誤解を受けやすい。けれど猫に関しては、誰より真摯に向き合っている。じっくり見ていれば、分かることだ。
だから紡生のサポートが必要なのか、最近は分からなくなってきた。
「あのねぇ。ミケの
そんな紡生に、アメは目を吊り上げて、キャンキャンと吠えた。
「ぶ、不愛想度?」
「そうよ! 今でこそ人と話をするようになったけどねぇ、昔なんて、人間とは一言も話さなかったのよ? それどころか人間にも猫にも怪我を負わせるし……。ほんと大変だったんだから!」
アメがいうには、当初は「帰せるのなら、なんでもいいのだろう」という考え方だったらしい。
まだ外に居たいとぐずる猫は、力でねじ伏せて強制連行。人間に疑われたら、実力行使で逃亡。まさに「問題事は力で解決」を地で行っていたそうだ。
(ずいぶん、やんちゃだったんだなぁ)
「今でこそ、最初から手を出すことはないし、最低限の会話はするようになったけれどさぁ……。会話が下手過ぎて、勘違いを量産するし、態度も改めきれないし……」
「あぁ……」
そういえば、初対面の時は有無を言わさずに投げ捨てられたっけ。と紡生は思いだした。
あの時もこちらの話は全然聞いてもらえなかったし、説明もされなかった。だから、ただ単に感じの悪い、乱暴な人だと感じた記憶がある。
ミケと関わることがあの一度だけだったら、紡生もミケを勘違いしたままだったに違いない。
「そんなミケが、怪我した子相手にして、なんの問題も起こさなかった。飼い主と猫の仲も悪化させずにね。これは、すごいことよ!」
「え、ええ? そんな大げさな」
「大げさじゃないわよ! 今まで怪我をしている子を相手にしたときなんて、ひどかったわ。ミケが怪我を負わせたとか言いがかりをつけられたり、通報されたり……。お互いにいい結果にならないことが殆どだったんだから!」
アメは昔を思いだしたのか、苦虫をかみつぶしたような顔をした。口は引き結ばれ、目は半目。眉はないのに眉間にシワが寄っている。猫なのに、表情が分かりやすい。
(神様も苦労しているんだなぁ)
紡生は愛想笑いを零した。
でもそうか。
「アメちゃんやミケさんにも、できないことがあるんですね……」
「そりゃあそうよ! だから紡生ちゃんの助けが必要なの。今だって、猫社をきれいにしてくれている。それだけで、本当に助かっているんだから!」
神様でもどうしてもできないことがあるのだ。
それなのに、人間の自分がなんでもできる訳がない。神様のように縁を見ることなどできないし、ミケのように猫になることもできない。種族に備わっていない力を欲しても、叶うことはない。
それでも、人間だからこそ、自分だからこそできることがきっとあるはずだ。
「だったら、頑張らないとね!」
自分なりに、自分にできることを考えて見よう。
そう言えば、アメは嬉しそうに頷いた。普通の猫のように紡生の足に頭を擦り付け、ゴロゴロと喉を鳴らす。撫でてやれば、お腹を見せてねころんだ。
「あはは! ここか? ここがいいのか?」
背中を地面に付けてぐりぐりと体を捩るアメを撫でていると、背後に人の気配を感じた。
振り返ると、鳥居の手前に、ビニール袋を下げた五十代くらいの男性が立っていた。
彫りの深い一重の目に、短くそろえられたスポーツ刈り。浅黒い肌も相まって、そっちの道の人に見える。
一瞬警戒したが、鞄の中からはビンの先端が覗いているところを見るに、参拝客だろう。
紡生は正面の道を譲るために立ち上がると、バチリと目が合った。
「こんにちは。あれ? ここって
男性は見た目に反して気さくに話しかけてきた。
「こんにちは。あ、えっと、管理者です」
「そうなんだ。今は掃除中でした? お疲れ様でーす」
「ありがとうございます。すぐ退くので」
「あっ、まって!」
「⁉」
「足元に猫ちゃんいるじゃない⁉ その子、君の子?」
男性はアメを見つけるなり、低姿勢で近づいて来た。
たぶん、怖がらせないようにという配慮なのだろう。
でも、こわもての男の人がうさぎ跳びみたいな恰好で近づいてくるのは、ちょっと……。いや、だいぶ怖い。
アメもびっくりしたようで、尻尾を広げて横っ飛びをして、紡生の後ろへと隠れた。
「あぁ~。怖がられちゃった……。ごめんね、驚かすつもりはないんだ」
男性は残念そうに肩を落とし、ぴたりと止まる。
これ以上近づくつもりはないのか、両手を上げていた。
どうやら見た目と違って、怖い人ではないようだ。というより、ただの猫好きに見える。
「猫、お好きなんですか?」
「そりゃあもう! かわいいし、見ているだけで癒されるし、存在が天才じゃん⁉」
声を大きくした男性が、目を輝かせながら熱く語る。全身全霊で猫を愛しているようだ。
男性の熱意に、紡生は細かく震え、息を荒く吐き出した。
「わっかります‼ もはや何をされても、可愛いんですよね!」
全力の肯定だった。首がちぎれんばかりに頷き続ける。
「そうそう! 踏まれても、蹴られても、かじられても!」
「あくびかまされても、ビンタされても、邪魔されても!」
「だよね! 分かるよね!」
「分かります! 分かります!」
二人は固く握手を結んだ。猫大好き同盟ができた瞬間だった。
そのままいかに猫が尊いのかという話に発展。あっという間に意気投合。
猫社に来る人間が、猫嫌いなわけがない。なぜなら愛猫の幸せを願う人間しか猫社に来ないから。
それが例え、こわもてのいかついおじさまであっても、普通そうな女子大生であっても、猫好きならば打ち解けられるのである。
「いやぁ~。小宮さん分かってるね~」
「
こわもての男は黒永というらしい。二人の子供も巣立ち、今は猫と二人暮らしなのだそうだ。
紡生たちは挨拶もそこそこに、猫愛プレゼンを始めた。
「どんな子なんですか?」
「茶白のオスなんだけどね。ほら見て。可愛いでしょ? とらじろうって名前なんだ」
差し出されたスマートフォンには、ずらりと茶白の猫・とらじろうの写真が並んでいた。
ピンクの鼻に、ゴールドの目。ふっくらした肉体は、触ったらもっちりとしていることだろう。
「はあ、可愛い! おててだけ白くて、靴下履いているみたい!」
「そうなのよ。名前つけるとき『タビ』にするか迷ったんだけどさ。やっぱ男の子だから、強そうな名前のほうがいいかなって思って」
「それでとらじろうか~! いいじゃないですか~!」
「小宮さんのところはいるの?」
「あ~……」
紡生は少しだけ口ごもった。立ち直ったとはいえ、むぎのことを思いだすと寂しくなるのは仕方がない。
「……いたんですけどね。少し前に」
黒永ははっとして口を
「ごめん」
「いえ全然! 歳でしたし、
「何歳だったの?」
「二〇歳でしたよ」
「二〇⁉ 人間
「でしょう? ちゃんと看取ることもできたし、穏やかだったから……。きっと天国で元気にしてますよ」
「小宮さん……」
そう告げると、黒永は痛ましそうに紡生を見た後、自分の手をじっと見つめた。
「……あのさ、変なこと聞くけど。猫がちゃんと幸せだったかなって、考えたことない?」
「そりゃあもちろん。何度も考えましたよ。でもむぎは幸せだったって、そう思っています」
「そっか。本当にそうだったんだろうね。……いいな」
「? 黒永さん?」
紡生を見る黒永の目は、心底羨ましそうだ。
そしているうちに、大きなため息が漏れる。
「俺は、そうは思えなくてね。実は、とらじろうの他にもう一匹、黒猫がいたんだ。アズキっていう名前の、女の子がね。でも、二週間前、病気で……」
アズキという黒猫は、まだ若かったのに死んでしまったそうだ。だから、幸せだったと胸を張って言えないのだという。
先ほどまでピンと伸びていた背中は、自分の体を抱くように丸められていた。
「
「黒永さん……」
「ってごめん! こんなこと言われても、困っちゃうよね!」
黒永は慌てて手を振った。意図せず暗い話を持ち掛けてしまったと、後悔しているようだ。
「まあでも、それもあって今日はお参りに来たんだ」
「アズキちゃんの
「それもあるけどね。とらじろうがさ、最近元気なくて。病院に行っても異常はないって言われたから、たぶん、同居猫ロスだろうってさ。あの子が頼れるのは俺だけなんだし、しっかりしないと思って」
だからとらじろうの気持ちが晴れるようにと、願いにきたらしい。
自分も悲しくて落ち込んでいるだろうに、それでも真っ先に猫のことを心配しているのだ。
そんな黒永に、紡生は胸を痛めた。
自分はむぎの魂と引き合わせてもらって、言葉を交わし合えた。
ミケやアメと出会えたからこそ、立ち直れたのだ。
けれど黒永はたった一人。たった一人で、それでも今生きている猫の為に、乗り越えようとしている。それがどれだけ難しいことなのか、身をもって知っていた。
だから、自然と思っていた。この人の力になりたいと。
気がつくと口を開いていた。
「あの――」
◇
「で? なんでオレがそいつに会うって話になってるんだよ」
いかにも不機嫌です。と言わんばかりに寄せられた眉に、思わず苦笑いをこぼす。
あの後、紡生は黒永の力になれたらと、戻ったばかりのミケに話しを持ち掛けた。
ミケの性格上、渋られるとは思っていたが、予想以上に嫌そうだ。
「だって、放っておけなくて」
紡生はすべての猫を幸せにする、という
それに黒永は、自分と同じタイミングで大切な猫を失った。それなのに、今いる猫の為に気丈に振舞おうとしている。そんな人を放っておくなど、できるはずがなかった。
どうにかしてあげたい。そう思うのは必然だったのだ。
ただ、自分だけではどうにもしてあげられない。だからこそ猫と話せるミケを頼ろうとしているのだ。
「ね、お願い。お礼ならするからさ」
「だから、なんでオレが。お人よしも大概にしておけよ」
「でも、黒永さんだけじゃなくて、とらじろうくんも寂しがっているらしいですし。それに、ほら。黒永さんも猫社にお参りしたわけだし、あわせ屋へ依頼されるかもでしょ?」
「気持ちの問題なんて、願掛けしたところでどうにもならねえよ」
「でも気分が晴れることも、あるかもしれないじゃないですか。わたしにしてくれたみたいに、アズキちゃんの想いを伝えてあげるとか……」
「それでそのアズキが幸せじゃなかった、って言っていたらどうするんだ? 安易に引き受けて、望んでいる言葉が聞こえなかったら?」
「それは……」
「人間は、自分の信じたいことしか信じない。事実を言ったところで、
「そこをなんとかぁ!」
それでも引っ付いてまわる紡生に、ミケはイラ立ったように立ち止まった。
「あんたさぁ、なんでそんなに必死なわけ?
「じゃあ、ミケさんは力になってあげたいと思わないの?」
「思わないね。人間に深くかかわったところで、報われることなんてない」
「報われることがないって……。どうしてそう思うの? やってみないと、分からないじゃない」
何をやっても意味などないのだと言いたげなミケに、思わずむっとしてしまう。
努力が全て報われるとは思っていないけれど、だからと言って全てが報われないかと聞かれたら、そうだとは思わない。仮に良い結果が出なくても、その過程で学べることだってあるはずだ。
「それにミケさん、『できる、できないは他人が決めることじゃない』って言ってくれたじゃないですか」
包丁も持てなかった紡生に、ミケはそう言った。
包丁が持てないやつに、料理などできないと言われ続けてきた紡生にとっては、その言葉が嬉しかった。努力を続けていれば、いつか
誰もが無駄だという努力を、ミケだけは否定しなかったのだ。
「それなのに、他でもないミケさんが、そんなこと言わないでよ」
「報われない」だなんて、言ってほしくなかった。
だって、「できる、できない」は、いつだって自分次第だから。初めから報われないと思ってやっていては、本当に報われなくなってしまうから。
「……はあ」
数秒の沈黙の後、溜息をついたのはミケだった。
不機嫌そうなしかめ面のまま、頭をガシガシと掻き、振り返る。
「なんであんたが、そんな顔してんだよ」
「……そんな顔って、どんな」
「不満そうな、しみったれた顔。すごい不細工」
「はあ⁉ いきなりの
紡生は美人かと聞かれたら、自信をもって美人だとは答えられない。たれ目だし、目と目の感覚が少し近いから。
でも、失礼だとは思わないのだろうか。これでも
怒りを乗せてミケを睨めば、ニヤリと笑われた。
「そうそう。そんくらいの顔の方が、まだマシじゃん」
「ひどい! これ、怒り顔なんですけど⁉」
怒っている顔の方がマシってどういうことだ。もしかして、本音なのだろうか。
紡生は不安になり、慌ててカバンから手鏡を出す。映った顔は、どう考えても可愛いとは言いがたいものだ。
これがマシって……。
「ミケさんにはわたしはどう見えているのよ……」
「ぶはっ。すげーシワシワな顔っ!」
頬を引きつらせていると、ミケが耐えきれないというように噴き出した。
キッと睨めば、両手を上げて降参のポーズをとる。
「分かったって。そう怒るなよ」
「これで怒らない人、いないと思うけど」
「悪かったって」
「……本当に、そう思ってる?」
「思ってる、思ってる」
ちらりと様子を伺うけれど、相変わらず意地の悪い顔だった。こちらの反応を楽しんでいるに違いない。
そっちがその気なら、こっちにだって、考えがある。
「……いいわ。じゃあお詫びに、明日は一緒に来てもらうから!」
お詫びとして、黒永に会ってもらうのだ。
「はあ?」
「あーあーあー。じゃないと機嫌治んないなぁ」
「いや、だから」
「不細工呼ばわりは傷ついたし、アメちゃんに言っちゃおうかな。女の子に不細工はないよね、って言ってくれると思うし」
何かを言おうとするミケに、被せる様に言葉を紡ぐ。
アメの名前を出せば、ぐぬっと言葉を飲み込んだ。こう見えてミケは、アメに弱いところがある。それを見逃す紡生ではなかった。
「あーあ。ミケさん、怒られちゃうね?」
「……はあ。もうわかったよ。行けばいいんだろ、行けば!」
「あはっ! やったー! 絶対だよ!」
「はいはい。もう分かったから、さっさと帰れ」
ミケに追い払われるように手を払われるが、構わない。
紡生は先ほどの不機嫌も忘れ、上機嫌のまま帰っていったのだった。
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