管理人のお仕事と、囲炉裏ごはん(4)
「はぁー! 美味しかったぁ! ミケ君、また腕を上げたねぇ」
「はいはい。お
満足そうに腹をさする
その間、一秒たりとも箸が止まることはなかった。
おにぎりも味噌汁も、神余の胃袋に合わせて用意されていたようで、次々と台所から持ってこられたときには驚いたものだ。
紡生は三個も食べるとお腹いっぱいになってしまったので、追加分は食べられなかった。
後で知ったことだが、どうやら中に大根の葉を炒めた物を入れていたり、ちりめんを入れていたりなど、様々な味が用意されていたらしい。
もしも次の機会があったら、他の味もぜひ食べてみたいものだ。
「ねえねえ、紡生ちゃん」
「ん?」
そんなことを考えていると、膝に僅かな重さがかかった。
下を向けば、アメの前足が、ちょこんと乗っていた。
「ンンッ。……どうしたの、アメちゃん」
ふにゃんと折れた、前足の可愛さよ。紡生は心臓をみごとに打ち抜かれ、変な声を上げた。
アメは部屋の隅にある長持へと向かっていくと、半分ずらされた間から入り込む。
がたがたと揺れた長持の中から顔を出したときには、ブラシが咥えられていた。
小走りでやってくるアメは、再び片手を紡生の膝に乗せて、キラキラとした眼差しを向けてくる。
どうやら食後の毛繕いタイムのようだ。やってくれという催促なのだろう。
「うっ」
紡生は胸を抑えてうめき声を上げた。そして震える手のままブラシを受け取る。
猫からのお願いに、応えないわけにはいかないのだ。
後頭部は細かく添わせるように。そして首の後ろ、肩、背中へと徐々に滑らせていく。
強すぎず、弱すぎず。長年、愛猫のブラッシングをしていたおかげで身についた、ブラッシングテクニックであった。
「あぁ~。そこそこ~」
「あご下ですね。わかりました」
「こっちも~」
「足もですね。承知です。尻尾はどうします?」
「尻尾はイヤ!」
猫の言葉が分かるって、素晴らしい。紡生はアメのゴロゴロ音を聞きながら、そう思った。
ブラッシングをしてほしいところも、何を食べたいのかも分かるのだ。
つまり、猫の気分に合わせることができる。
それすなわち、紡生の理想であった。それを体現できていることに感動し、夢中でブラシを動かす。
「あああ~~。痒い所にちょうど届く~」
アメはものの数分で気持ちよさそうに伸びた。
「あ~気持ちいい~。今まではミケに頼んでたけど、やっぱり全然違うわね。ミケ、
「へえ、そうなんだ?」
ニヤつきながらミケを見れば、相も変わらない不機嫌顔で睨まれてしまった。
「アメの注文が多いだけだろ」
「違うわよ! 力込め過ぎ! 毛が全部はげるかと思ったんだから!」
「オレはこれくらいでちょうどいいんだ」
「
アメは首だけをミケに向けて唸った。どうやら、二人の毛質はだいぶ違うようだ。
「あれ? そう言えば、ミケさんはブラッシングしなくてもいいんですか?」
ふと気になった。ミケも、妖とはいえ、猫だ。
毛繕いはしているだろうが、週に二度くらいはブラシで梳いた方がいい、というのは変わらないだろう。
アメはミケがブラッシングしてくれるとして、ミケをブラッシングしてくれる人はいないのではないだろうか。
「あっ、そうよね! じゃあミケも、紡生ちゃんにやってもらえば?」
「はあ⁉」
ミケは酷く焦り始めた。逃げるように腰を浮かして、全身で「嫌だ」と主張している。
それを見たら、なんだか、ブラッシングしたくなってきた。
「ミケさん、やろうか?」
「いらねぇ。やめろ」
「遠慮はいらないよ? 少しだけ。少しだけだよ。大丈夫」
「遠慮じゃない。近寄るな変態」
「ひどくない⁉ 別に抜け毛で小さなぬいぐるみ作るとか言ってないのに!」
「発想が怖ぇよ。なんだよその、呪われそうなぬいぐるみ」
ミケは相当引いたのか、血の気の失せた顔で体を抱きしめた。
「失礼な。呪われるわけないじゃん。むしろ全国の猫飼いたちは、一回はやってるとおもうけど」
ブラッシングで採れた毛が多ければ、小さな猫の形にするだろう。それが猫飼いという者達の習性なのだから。
「やっていたとしたら、猫側はもれなく引いていると思うぞ」
「えー?」
本気で嫌がられ、項垂れる。
そんな紡生たちを眺めていた神余が、笑い声をあげた。全員の視線が、そちらに向く。
「笑ってごめんねぇ。でも、賑やかになったねぇ。いいことだ」
「よかねぇよ」
「でもミケ君も、楽しそうじゃないか」
「どこがっ」
ミケを見る神余は、穏やかな笑みを浮かべていた。まるで、子供を見守る保護者のような顔だ。
「相変わらずだねぇ」
「はあ? 何が」
「ふふふ。さあねぇ? じゃあ僕は、そろそろお暇しようかな」
神余ははぐらかして、玄関へと足を向けた。本当にもう行くようだ。ここにいる人は、もれなくマイペースである。
「――なあ」
その背中に、短く声が掛けられた。
「どうしたかな、ミケ君」
振り返った神余は、首をさするミケをまっすぐに見上げる。
ミケはしばらく目線を彷徨わせていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「この街に、異変が起こっている。他の街に行く可能性もあるから、気をつけろ」
異変とは何だろうか。紡生は首を傾げたが、そう言えばと思いだす。
以前迷い猫を探していたとき、地域ネコの数が減っているという話が出たことがあった。恐らく、そのことだろう。
「分かったよぉ。ちょっと調べてみる」
「ああ。頼む」
神余は少しだけ考えるそぶりを見せ、すぐに微笑んだ。そして紡生に視線を送る。
「ねえ紡生ちゃん。連絡先を交換しない?」
「え?」
「アメちゃんはもちろん、ミケ君も携帯電話とか持っていなくてねぇ。連絡手段が訪問くらいしかないんだよぉ。でもそれだと、何かあった時困るでしょぉ?」
確かに、ミケがスマートフォンや携帯電話を持っているところなど、見たことがなかった。
それに神余の言う通り、猫社の臨時的な管理を任された身としては、上司に当たる神余の連絡先は聞いておきたい。
紡生はスマートフォンを取り出した。
「あ、ココ電波届かないから、外でやろうか」
「え? あっ、本当だ」
スマートフォンをみれば、確かに画面の表示は圏外になっていた。
そう言えば、あわせ屋は半分神域みたいな場所にあると言っていた。いわゆる異空間には、電波など届かないらしい。
神余を見送るついでに外へ出ると、ちゃんと電波を受信できた。
「はい、僕の連絡先ね」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「こちらこそ。……ねえ紡生ちゃん」
「はい?」
「どうか、ミケ君の傍にいてあげてね。あんなに楽しそうな彼、初めて見たからさ」
「ええ? そうですか? めちゃくちゃ嫌そうな顔されましたけど」
紡生は今までのミケの顔を思い浮かべる。神余は楽しそうだと言ったが、しかめ面しか思い浮かばない。
「ふふ、だからこそだよ。いい意味で、君から刺激を受けているんだろう」
「? どういう……」
「ふふ。まあ君は君らしくいてね、ってこと」
「はあ」
よくわからなかったが、頷いく。
紡生とてあわせ屋をやめるつもりはない。だから、ミケとは離れることはないだろう。
そう告げると神余は、安心したように微笑んで去っていった。
紡生がその言葉の意味を理解するのは、それか数日後のことだった。
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