管理人のお仕事と、囲炉裏ごはん(4)


「はぁー! 美味しかったぁ! ミケ君、また腕を上げたねぇ」

「はいはい。お粗末様そまつさま


 満足そうに腹をさする神余かなまるがそう声を上げたのは、囲炉裏いろりを囲んでの食事が始まってから三〇分後のことだった。


 その間、一秒たりとも箸が止まることはなかった。

 おにぎりも味噌汁も、神余の胃袋に合わせて用意されていたようで、次々と台所から持ってこられたときには驚いたものだ。

 紡生は三個も食べるとお腹いっぱいになってしまったので、追加分は食べられなかった。


 後で知ったことだが、どうやら中に大根の葉を炒めた物を入れていたり、ちりめんを入れていたりなど、様々な味が用意されていたらしい。

 もしも次の機会があったら、他の味もぜひ食べてみたいものだ。


「ねえねえ、紡生ちゃん」

「ん?」


 そんなことを考えていると、膝に僅かな重さがかかった。

 下を向けば、アメの前足が、ちょこんと乗っていた。


「ンンッ。……どうしたの、アメちゃん」


 ふにゃんと折れた、前足の可愛さよ。紡生は心臓をみごとに打ち抜かれ、変な声を上げた。

 アメは部屋の隅にある長持へと向かっていくと、半分ずらされた間から入り込む。

 がたがたと揺れた長持の中から顔を出したときには、ブラシが咥えられていた。


 小走りでやってくるアメは、再び片手を紡生の膝に乗せて、キラキラとした眼差しを向けてくる。

 どうやら食後の毛繕いタイムのようだ。やってくれという催促なのだろう。


「うっ」


 紡生は胸を抑えてうめき声を上げた。そして震える手のままブラシを受け取る。

 猫からのお願いに、応えないわけにはいかないのだ。


 後頭部は細かく添わせるように。そして首の後ろ、肩、背中へと徐々に滑らせていく。

 強すぎず、弱すぎず。長年、愛猫のブラッシングをしていたおかげで身についた、ブラッシングテクニックであった。


「あぁ~。そこそこ~」

「あご下ですね。わかりました」

「こっちも~」

「足もですね。承知です。尻尾はどうします?」

「尻尾はイヤ!」


 猫の言葉が分かるって、素晴らしい。紡生はアメのゴロゴロ音を聞きながら、そう思った。

 ブラッシングをしてほしいところも、何を食べたいのかも分かるのだ。

 つまり、猫の気分に合わせることができる。

 それすなわち、紡生の理想であった。それを体現できていることに感動し、夢中でブラシを動かす。


「あああ~~。痒い所にちょうど届く~」


 アメはものの数分で気持ちよさそうに伸びた。狛猫こまねこだというアメも、こうしていると、本当に普通の猫のようだ。思わず頬が緩んでしまう。


「あ~気持ちいい~。今まではミケに頼んでたけど、やっぱり全然違うわね。ミケ、毛繕けづくろい、へったくそでさ」

「へえ、そうなんだ?」


 ニヤつきながらミケを見れば、相も変わらない不機嫌顔で睨まれてしまった。


「アメの注文が多いだけだろ」

「違うわよ! 力込め過ぎ! 毛が全部はげるかと思ったんだから!」

「オレはこれくらいでちょうどいいんだ」

剛毛ごうもうの貴方と一緒にしないでっ!」


 アメは首だけをミケに向けて唸った。どうやら、二人の毛質はだいぶ違うようだ。


「あれ? そう言えば、ミケさんはブラッシングしなくてもいいんですか?」


 ふと気になった。ミケも、妖とはいえ、猫だ。

 毛繕いはしているだろうが、週に二度くらいはブラシで梳いた方がいい、というのは変わらないだろう。

 アメはミケがブラッシングしてくれるとして、ミケをブラッシングしてくれる人はいないのではないだろうか。


「あっ、そうよね! じゃあミケも、紡生ちゃんにやってもらえば?」

「はあ⁉」


 ミケは酷く焦り始めた。逃げるように腰を浮かして、全身で「嫌だ」と主張している。

 それを見たら、なんだか、ブラッシングしたくなってきた。


「ミケさん、やろうか?」

「いらねぇ。やめろ」

「遠慮はいらないよ? 少しだけ。少しだけだよ。大丈夫」

「遠慮じゃない。近寄るな変態」

「ひどくない⁉ 別に抜け毛で小さなぬいぐるみ作るとか言ってないのに!」

「発想が怖ぇよ。なんだよその、呪われそうなぬいぐるみ」


 ミケは相当引いたのか、血の気の失せた顔で体を抱きしめた。


「失礼な。呪われるわけないじゃん。むしろ全国の猫飼いたちは、一回はやってるとおもうけど」


 ブラッシングで採れた毛が多ければ、小さな猫の形にするだろう。それが猫飼いという者達の習性なのだから。


「やっていたとしたら、猫側はもれなく引いていると思うぞ」

「えー?」


 本気で嫌がられ、項垂れる。

 そんな紡生たちを眺めていた神余が、笑い声をあげた。全員の視線が、そちらに向く。


「笑ってごめんねぇ。でも、賑やかになったねぇ。いいことだ」

「よかねぇよ」

「でもミケ君も、楽しそうじゃないか」

「どこがっ」


 ミケを見る神余は、穏やかな笑みを浮かべていた。まるで、子供を見守る保護者のような顔だ。


「相変わらずだねぇ」

「はあ? 何が」

「ふふふ。さあねぇ? じゃあ僕は、そろそろお暇しようかな」


 神余ははぐらかして、玄関へと足を向けた。本当にもう行くようだ。ここにいる人は、もれなくマイペースである。


「――なあ」


 その背中に、短く声が掛けられた。


「どうしたかな、ミケ君」


 振り返った神余は、首をさするミケをまっすぐに見上げる。

 ミケはしばらく目線を彷徨わせていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「この街に、異変が起こっている。他の街に行く可能性もあるから、気をつけろ」


 異変とは何だろうか。紡生は首を傾げたが、そう言えばと思いだす。

 以前迷い猫を探していたとき、地域ネコの数が減っているという話が出たことがあった。恐らく、そのことだろう。


「分かったよぉ。ちょっと調べてみる」

「ああ。頼む」


 神余は少しだけ考えるそぶりを見せ、すぐに微笑んだ。そして紡生に視線を送る。


「ねえ紡生ちゃん。連絡先を交換しない?」

「え?」

「アメちゃんはもちろん、ミケ君も携帯電話とか持っていなくてねぇ。連絡手段が訪問くらいしかないんだよぉ。でもそれだと、何かあった時困るでしょぉ?」


 確かに、ミケがスマートフォンや携帯電話を持っているところなど、見たことがなかった。

 それに神余の言う通り、猫社の臨時的な管理を任された身としては、上司に当たる神余の連絡先は聞いておきたい。

 紡生はスマートフォンを取り出した。


「あ、ココ電波届かないから、外でやろうか」

「え? あっ、本当だ」


 スマートフォンをみれば、確かに画面の表示は圏外になっていた。

 そう言えば、あわせ屋は半分神域みたいな場所にあると言っていた。いわゆる異空間には、電波など届かないらしい。

 神余を見送るついでに外へ出ると、ちゃんと電波を受信できた。


「はい、僕の連絡先ね」

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」

「こちらこそ。……ねえ紡生ちゃん」

「はい?」

「どうか、ミケ君の傍にいてあげてね。あんなに楽しそうな彼、初めて見たからさ」

「ええ? そうですか? めちゃくちゃ嫌そうな顔されましたけど」


 紡生は今までのミケの顔を思い浮かべる。神余は楽しそうだと言ったが、しかめ面しか思い浮かばない。


「ふふ、だからこそだよ。いい意味で、君から刺激を受けているんだろう」

「? どういう……」

「ふふ。まあ君は君らしくいてね、ってこと」

「はあ」


 よくわからなかったが、頷いく。

 紡生とてあわせ屋をやめるつもりはない。だから、ミケとは離れることはないだろう。

 そう告げると神余は、安心したように微笑んで去っていった。


 紡生がその言葉の意味を理解するのは、それか数日後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る