管理人のお仕事と、囲炉裏ごはん(3)
「はあ……」
「まあそう気を落とさず。向き不向きは、誰にもあるよぉ」
「二人とも、楽しそうだったわね」
しょぼくれて帰って来た紡生を、
どうやら、座敷まで紡生の声が届いていたようだ。恥ずかしいやら、情けないやら。
「うう……。一生料理できないの……?」
「大丈夫だって~。今はカットされた野菜とかお肉とかあるし、味まで整えて、焼くだけの物とかも売っているし~」
「そうよ。それに、料理のできる男を見つければいいだけよ!」
「でも、包丁を持てないって、女子として、割と致命的じゃないですか……。もしも切り分けられたものがなかったら? もしも素敵な人を見つけられなかったら? そういうときを思うと……」
二人は励ましてくれるが、紡生の気はイマイチ晴れない。
包丁が持てないということは、つまり。友人や恋人(今はいないが)が病気になり、お見舞いに行ったとして。リンゴの皮をむいてあげる、ということもできないということだ。
このままだと、リンゴの皮どころか実を貫通して、自分の指も切り落とし、自らも病院送りになりそうである。
看病云々の話では済まなくなるし、とんでもない足手まとい……もとい、有難迷惑になってしまう。
やはり、包丁を扱えるようにならなければ。
「うーん。そんなに苦手ってなると、小さいころに包丁関係で怪我したことがある、とか?」
「それが……、親に聞いても、そんなことなかったって」
「そうなんだぁ。じゃあ、前世で何かあった、とかかなぁ?」
「前世?」
前世があったのかは分からないけれど、もしそうなら、原因を取り除くなどできないということになる。
「もう、そうなったらミケに
アメはいい案を思いついたというように笑っている。
「ミケさんに……?」
「そうよ! あたしも紡生ちゃんと一緒にいられる時間、増えたら嬉しいし!」
「ああ、僕もだなぁ」
二人に賛成されて、紡生は考えてみることにした。
ミケは不器用で口も悪いけれど、その心根は優しい。屋敷の状態を見るに、家事全般は得意そうだし、あわせ屋の店主だから、手に職も持っている。条件としては……。
「悪く、ない……?」
「いや、悪いだろ! なに納得しかけてんだよ!」
「あ。ミケさん」
頷きかけたそのとき、ミケが鍋を持ってやってきた。蓋を外すと、薄茶色の汁の中に、透明になった大根がぷかぷかと浮いている。
慣れた手つきで
「ったく。本当に、なんの話をしてるんだか」
「紡生ちゃんの、嫁入り先の検討会よ。あたしたちのおススメは、ミケなんだけど」
「だからなんでだよ!」
「だって~。紡生ちゃんとは長い付き合いになりたいじゃない」
「だからって、オレを巻き込もうとすんなっ!」
ミケはアメの言葉に鋭くツッコミを返し、また奥へと向かっていった。今度はすぐに戻ってきて、その手にはキレイに並べられたおにぎりと、
囲炉裏の灰に
「つーかあんた。オレは妖だって言ってるだろうが。食われちまう心配とか、してねえの?」
「え?」
「普通人間は、妖とか妖怪とかには、恐れを抱くもんだろ。オレらが人間を食うかは別にしても、近づきたくないって思うのが、普通じゃね?」
「そうなの? わたし、そういうの詳しくないから」
「ふーん。でもま、無知のままだと、いつかぱくりといかれるかもしれないぜ?」
不穏な言葉に、紡生は囲炉裏へと注いでいた視線をミケに移した。
ミケは口を動かしつつも、テキパキと動いている。
囲炉裏の灰に刺された魚の様子を見つつ、網の上に美しい三角形のおにぎりを並べているところだ。
その様子は、紡生を食べようとしているとは思えないが……。
「うーん。一考の余地あり、かなぁ」
「ありなのかよっ!」
紡生の答えに、ミケは本日何度目かのツッコミをいれた。
「いやだって。ミケさん、猫なんでしょ?」
「いや猫だけども。それがなんで、一考の余地ありになるんだよ」
「いやぁ。猫ちゃんになら、食べられるのもありかなぁって」
「うわぁ」
紡生はどこまでも猫ファーストだった。
死ぬのは嫌だけれど、猫の
「それに猫ちゃんには、ひもじい思いなんてさせたくないし! いざとなったら、ちゃんと考えるよ!」
「そんな前向きな検討、いりません」
本気そうな紡生の視線を避ける様に、手元を動かしていた。
せっせと刷毛にたれをしみ込ませて、おにぎりに塗っていく。この作業は……。
「あっ。もしかして、焼きおにぎり?」
「正解」
ミケはニッと笑って、再び刷毛を滑らせる。と、たれが米の間を通って、囲炉裏へと落ちた。
――ジュウウウ
水分が跳ぶ音と共に、醤油の焦げる香りが辺りに広がった。そこにいた誰もが、その香りに喉を鳴らす。
「うう~! お腹すいた~!」
「ミケ君! 焦らすのはほどほどにしてほしいなぁ!」
「ミケ! あたしの分は? ちゃんとあるんだよね⁉」
「まて。まだダメ」
三人の頭には、先ほどまでの話題など既になかった。視覚から、聴覚から、そして嗅覚から。暴力的なほど、食欲を刺激されるのだ。
ミケに「まて」を掛けられなければ、今すぐにでも食らいつきたいくらいである。
裏返すたびに、香りの爆弾が届く。その香りの中に、醤油ではない香りが混ざっていた。出汁のような香り。そして香ばしい爽やかな香り。
なんの香りか、紡生は鼻をひくつかせた。
「うそ! 鰹節? それに、ゴマと生姜までっ!」
理解した瞬間、思わず悲鳴のような声が上がった。
普通の焼きおにぎりも美味しいというのに、そんなものを入れたら、もうっ……!
それに、じっくり時間をかけて焼き上げることで、醤油出汁が塗られた場所に、「おこげ」ができ始めているではないか。
もう我慢の限界だ。
「ん。そろそろかな」
空腹に耐えかねて手を出しそうになったとき、ようやく声が上がった。
テキパキと配膳されていく。
焼きおにぎりと、魚の塩焼き、そして大根のお味噌汁。どれもホカホカと湯気を上げていて、視覚だけでおいしい。
「アメはこっち」
「わあい! 早く! 早く~‼」
アメには、塩を取り除いた魚をほぐしたものと、鰹節、さらに少量の米を入れて混ぜ合わせた、手作り猫用ご飯が用意されていた。
お皿をおかれた途端、まっしぐらに食らいつく。
はぐはぐはぐはぐ。
少し熱かったのか、途中で「エアーもぐもぐ」も挟みながら、おいしそうに目を細めた。随分と幸せそうな顔だ。見ているだけで、お腹が減ってくる。
「オレらも食うか」
ミケの一言で、手を合わせる。待ちに待った、ごほうびタイムだ。
紡生は初めに、おにぎりを取った。
さっきから、醤油のおこげの香りが、空腹を刺激して仕方がなかったのだ。
つやつやとした表面に箸で切れ込みを入れると、湯気と共に醤油の香りが届く。
「っ! はふ、はふ」
一口かじる。焼きたてほやほやのおにぎりは未だに熱く、紡生の口内を焼いた。
舌の上で転がしながらなんとか熱さを逃がすと、次にやってくるのは醤油の香ばしさ。
出汁が混ぜられた醤油は、深みのある甘めの味。
あぶられてできた”おこげ”の部分と細かく刻まれた生姜が、カリカリとした食感を生み出していて、よいアクセントだ。
そのまま二口、三口。飲み込むと、今度は鰹節の豊かな風味が鼻を抜けていく。
「ん~~~!」
舌鼓を打つとはこのことだろう。幸せの余波が、波状攻撃だ。
紡生は感動のままに、皿に盛られた魚の塩焼きへと箸を向ける。
次はどんな味が待っているのか、楽しみにしながら、魚の骨を取り、身をほぐす。
「わ、すごっ」
箸で触れただけで、皮はパリパリ、身はふっくらしていることがよくわかる。囲炉裏の熱でゆっくりと加熱されたおかげなのだろうか。これは期待が高まるというものだ。
初めは何もつけずにそのまま、パクリ。
「…………‼」
一口に、あっさりとした癖のない旨味が、ぎゅっと詰まっていた。ほどよい塩気と相まって、旨味をより引き立てていく。
箸が止まらない。川魚特有の臭みもなく、パサつくこともなく。無限に食べ進められてしまう。
内臓があったであろう場所は、少しだけ舌に絡みつく様なほろ苦さを感じたが、それもまた変化があって舌を楽しませてくれる。
付け合わせの大根おろしと一緒に食べると、途端に口の中がさっぱりとリセットされた。
口の中が水分を欲すると、今度はお味噌汁を手に取った。
一口含むと、出汁の良い香りと味噌のコクが口の隅々に広がり、掃除で疲れた体によく染み渡る。
口の中に広がっていたそれぞれの旨味が、味噌汁に流されて胃へと落ちていくのが分かった。
食道から胃に至るまでが温まり、思わずほっと息を吐き出した。
「おいしい……」
しみじみとつぶやく。
どれもまったく
胃が幸せで恍惚としていると、隣からふっと笑われた気配がした。
振り返れば、ミケがおかしそうに味噌汁に入れられた大根をつまんでいる。
「この大根、あんたがさっき吹っ飛ばしたやつな」
「うっ」
どうやら、可哀そうな被害者の大根は、見事に味噌汁へと生まれ変わったようだ。
紡生が手を出したにしては、比較的きれいなままでいられたのが幸いだった。
「すみませんでした……」
「まあ、地面に落ちても洗えば食えるし、先が潰れたり傷がついたりしても、すりおろせば使えるから、別にいい。夜用のおろしにも使ったしな」
ミケはさほど気にした様子もなく、魚に添えられた大根おろしを指した。
なるほど。確かに衝撃で折れたり潰れていたところがあっても、これなら分からない。味噌汁だけでは余ってしまっても、他の料理に使えば無駄なく使い切れる。
とはいえ、被害を与えてしまった身としては申し訳ない。
「つ、次はうまくやります」
「またやるつもりか?」
「……やっぱり、ムリだって言いたいんですか」
紡生はふてくされた。
いつも言われるのだ。「料理は他の人に任せておけばいい。お前にはムリだ」と。
自分でもそう思う。けれど、ムリだと言われただけで大人しく引き下がるのは、プライドが許さない。
紡生はそう言われるたび、コツコツと練習を重ねていた。いつかできるようになると信じて。
「別に。あんたがやりたいなら、やればいいんじゃない」
「え?」
「できる、できないなんて、誰かが決めることじゃないだろ。それに、誰の目にも無理だと言われていたのに、不可能を可能にしたやつを、知っている。あの人もあんたみたいに、あきらめずにいたからこそ、できたんだろ」
ミケは一瞬だけ懐かしむような顔をしていた。慈愛と信頼に満ちた目。
そんな顔をしているところを見たのは、初めてだった。きっと「あの人」というのはミケにとって、とても大きな存在なのだろう。
「あの人?」
思わず聞き返してしまう。
ミケはハッとして、気まずそうに目線を反らした。
「別に、誰でもいいだろ。つーか、さっさと食べないと、なくなるぜ」
「え? あっ!」
ミケが指をさした方を向けば、網の上にあったはずのおにぎりが、すごい勢いで減っていた。
向いに座った神余が、目にもとまらぬ速さで平らげていくのだ。体格の良い大男は、その胃も大きいらしい。
いつもは穏やかな男ではあるが、食事の時だけは一切遠慮がないようだ。このままだと紡生の分も食らいつくされてしまう。
紡生は慌てて自分の分を確保するべく、争奪戦へと参戦していった。
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