管理人のお仕事と、囲炉裏ごはん(2)
紡生たちが蔵から戻ると、奥から香ばしい香りが漂ってきた。ちょうどお昼時なので、昼食の準備でもしているのだろう。
なんの香りか気になって座敷を覗き込むと、
囲炉裏での調理など初めてだったので、興味深く見ていると、皮の爆ぜる音が聞こえてきた。次いで、油の焦げる香りが鼻腔を擽る。
グウウウウ。
朝から働いていた紡生の腹は、瞬時に空腹を訴える声をあげた。
熱されて膨らむ身から溢れる油が、じりじりと火にあぶられて蒸発していく匂いは、本能的な食欲を掻き立てるのに十分すぎたのだ。
「うわあああ!」
あわてて腹を抑えるも、玄関に響き渡る音量でなってしまった。
振り返れば、
「うん、元気な音だ。お腹減ったねぇ!」
「忘れてくださいぃ!」
細かいことは気にしない性質とはいえ、乙女としての恥じらいは存在する。
紡生は真っ赤になって、蹲った。
「……やっぱりあんたか。豪快な腹の音だったな」
奥から半笑いのミケが出てきた。和服の袖をたすきで縛り、料亭のエプロンのようなものを腰に巻いていた。
「ミケさん! 笑わないでくださいよ! ていうか、そんなに大きな音じゃなかったでしょ⁉」
「いーや? 台所まで筒抜けだったぞ」
「そうだった。ミケさん猫だから耳がいいんだった。じゃあしょうがないか」
「猫関係なく聞こえたと思うけど、まあいいや。あんたら、飯は? 今ある材料だと、簡単なもんしかできねーけど」
ふと見れば、手にはお玉が握られている。どうやら、昼食を振舞ってくれるらしい。
「食べたいです!」
紡生の隣から声が上がった。見上げれば、神余が目を輝かせてミケを見つめていた。
その顔はまるで恋する少女のようにうっとりとしていて、周りに花が咲いているようにも見える。
「……神余さん?」
「ハッ! ご、ごめんねぇ。つい。でもミケ君の料理は、猫社に来るときだけの特権だからさぁ。これを楽しみに、一週間頑張っていると言っても過言じゃないかも!」
「そ、そんなに……? ミケさんって、料理できるんですか?」
猫なのに? と一瞬思ったが、今は人間の姿だ。だから人間の食事を取るのだろう。
「とっても上手だよぉ! もはやご褒美だから!」
「へえ……」
正直、想像がつかない。
「なんだよ。疑ってんのか?」
「え? いや、そう言う訳じゃ」
「だったら、あんたは自分で作って食え。台所は貸してやる」
「えぇ⁉」
「なんだよ。でけぇ声だして」
「い、いや。あの。せっかくだから、ミケさんがどんな料理をするのか知りたいかな、なんて」
「……はーん」
しどろもどろという紡生に、ミケはうっすらと口角をあげた。
「あんた、料理できねぇんだろ」
「な、なななんのことかなぁ?」
「嘘下手か。そんなんでごまかされる奴なんて、いねーだろ」
上擦った声で目を反らす紡生。図星だった。でも正直に認めるのはこう、乙女の意地的にしたくなかった。
「できるし! あれだよ。おにぎりとかならできるよ!」
「そこまで言うなら、一緒に台所に行こうぜ。お手並み拝見してやる」
「げぇ!」
下手な言い訳をすれば、待っていましたとばかりに笑われた。
ノセられたことに気づき、反射的に逃げようとするも、
紡生はそのまま台所へと引きずられて行った。
「って、ちょっと待って⁉ 台所は台所でも、思ってたのと違うんですけど⁉」
紡生の前に広がるのは正真正銘、台所だ。
といっても、時代劇に出てくる様な、
「そりゃあ、昔のままだからな」
昔のままといっても、限度があるだろう。
「いやいやいや! 使い方分からないって。これなんか、どうやって火つけるの⁉」
紡生が指さすのは
現代っ子の紡生にとっては、初めて見るものばかりだった。使いこなし、料理を作るなど、到底できるはずがない。
「どうって、普通に?」
「普通が分からないよ!」
「ごちゃごちゃうるせぇな。じゃあ、火は付けてやるよ」
ミケは、そう言いつつ口から赤い炎を吐き出した。ゴウっという音と共にくべられた
「ほらよ」
「……」
「どうした?」
「……いや。ミケさんって、そんなこともできたんだ」
「
「ああ、はい」
紡生はまたしても、深く考えることを放棄した。
五徳猫は火を吹く猫なのだ。彼らは「そういうもの」なのだ。人間の常識なんて軽く超えてくる存在に、普通を説いても無駄だろう。
その証拠に、ミケはなぜ紡生が遠い目をしているか分からないのか、首を傾げていた。
気を取り直して。
紡生は意を決して、調理台に向き直った。
「何を作るんだ?」
「そうですねぇ」
調理台には、葉っぱのついた大根、
「じゃあ、これでおにぎりを2種類作ります」
1つは大根の葉っぱと鰹節を、醤油で甘辛く炒めたものを混ぜ込んだおにぎり。
もう1つは、炒った卵を塩昆布と混ぜ込んだおにぎりだ。
「よーし。じゃあ、さっそく……」
紡生は大根を手に取る。丸々としていて、艶があり、みずみずしい。まずはこの葉を切り分けて、水で洗おう。
紡生はまな板の上にのせ、包丁を握る。よく磨かれた刃が、ギラリと光った。
――ダンッッッ!
勢いよく振り下ろされた包丁が、大根に当たった、その後、真っ二つに割れた大根は、勢いそのままにはねていき、両サイドに転がり地面へと落下した。
「……は?」
ミケは戸惑った声を上げた。
「いやいやいや。あんた力みすぎじゃ……」
思わず紡生へと視線を向けると……。
「やればできるやればできるやればできるやればできる」
「いや怖ぇよ!」
紡生は目元に影を落とし、ぶつぶつと暗示を掛けていた。その額には玉のような汗が滲み、包丁を握る手は震えている。極度の緊張状態だった。
「いやおかしいだろ! どんだけ力込めて切れば、こうなんだよ! あんた、大根に恨みでもあんのか⁉」
今の一瞬で嫌な予感がしたのか、ミケはすぐに包丁を取り上げた。
丸腰になった紡生はすうっと目を細めて手を出す。
「ミケさん、邪魔をしないでください。危ないですから」
「危ないのはあんただ!」
こう見えて、紡生は真剣だ。ふざけているつもりなど、
なにも、料理自体ができないわけではない。やろうと思えば、混ぜる、握る、洗う、などはできるのだ。味覚もしっかりしているので、味付けもできる。
ただ、切る工程が、絶望的にできないだけなのだ。
「なんでかはわかんないんですけど、刃物……包丁なんかが特に怖くて」
幼いころからそうだった。刃物を見ると、本能的に拒否反応が起こるのだ。それに抗って包丁を握ると、気がついたときにはキッチンが
具体的には、あらゆる具材が壁やら床やらに散らかっているのだ。
紡生だって、直そうと努力した。けれど、どれだけ練習しても直ることはなかった。
力は緩められず、加減がおかしくなり、まな板から食材が消えていく。
母親には
結果、切り分ける仕事は一切携われなくなり、キッチンにも入ることは許されなくなった。
それはここでも同じなようだ。
結局、「絶対刃物持つんじゃねーぞ」と念を押されて、追い出されてしまった。
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