管理人のお仕事と、囲炉裏ごはん(1)


 ――きゅっ、きゅっ。


「よし、こんなものかな」


 お社の中を雑巾ぞうきんで拭いていた紡生は、固まった体を伸ばした。

 目の前には、磨き上げられた神具しんぐたち。やしろの中も埃一つなく、ぴかぴかだ。


 紡生は渡された巫女服を着て、猫社の掃除をしていた。

 その近くには紫の袴の、体格のよい男性が一人。ごつい見た目とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべていた。


「そうそう。その調子。本当は毎日掃除に来たいんだけどね、猫社の他に四社もあると、さすがにねぇ」


 間延びした、力の抜ける声。話し方もゆったりとしており、その人柄をよく表していた。


 男性――神余かなまるあいは、猫社とその兄弟神社を担当している、れっきとした神職である。


「君もびっくりしたでしょ? いきなり僕みたいなでかぶつがきてさぁ」

「いやぁ……。あはは」


 時は少しだけさかのぼり、あわせ屋の仕事に少しだけ慣れてきた、とある日の朝。

 いつも通りあわせ屋に向かうと、そこにはすでに神余がいた。

 日本家屋の規格に合っていない図体を小さく丸めながら、座布団の上にちょこんと座っていたのが印象的だった。

 どうやら、神と直接関わっている人間は少ないからと、アメが呼び寄せたらしい。お互い、会っておいて損はないだろうとのことだった。


 神余は紡生を見るなり、感涙にむせび、歓迎してくれた。

 なんでも、人手不足により、一人で五つの神社の神職しんしょくを務めているのだとか。人手不足は猫だけではなかったらしい。

 猫社の管理を手伝ってほしいと頭を下げられてしまえば、断ることなどできるはずもなかった。


「ほんと助かるよ。君みたいな子が来てくれてぇ」

「いえ、そんな。でも本当に大丈夫ですか? わたし、その神社とか作法さほうとか。そういうの詳しくないですけど……」


 神社に参拝するのも、年末年始のお参りくらい。礼儀作法も御手水おちょうずとお参りの作法くらいしか知らない。

 とてもじゃないが、管理人などつとまらないと思うのだが。


「大丈夫だよ! 管理といっても、専門的なことは僕がやるし。紡生ちゃんには、日々の掃除とか、お供え物の片づけとか、そういうことをお願いしたいんだぁ」

「お供え物の片付け?」


 掃除は分かるが、お供え物の片づけとは、と首をひねる。


「お供え物は、基本的に持ち帰るのがマナーなんだけどね。ここいらの神社では、お礼として差し上げたい、って人が多くてね」


 猫社に来るのは基本的に愛猫家たちだ。それゆえ、願い事が叶ったら感謝のしるしとして何かを奉納ほうのうしたいという人が多いのだそうだ。


「でも動けるのは僕だけだったからさ。普通のお供え物とか持ってこられると、いろいろと大変でさぁ」


 神前にお供えしたものは、食物ならおさげした後、ありがたくいただくのがマナーだという。だがお供えされる量に対して、消費が追い付かない状態だったらしい。


「だからお供え物を、それぞれの神社にゆかりのある動物用のモノにしてもらったんだ。猫社なら、キャットフードとか、猫用のおやつとかね」

「ああ。確かに。お供えしてあったのは、猫ちゃん用のものばかりでしたね」


 賽銭箱さいせんばこの横に設けられた箱に、あふれんばかりのお供え物があった。それらは全て、猫用のモノだったはずだ。


「うん。それ以降は、神前へのお供えが済んだら、地域の保護団体に寄付されるようになっているよ」

「へえ! いいですね!」


 つまり、猫社にお供えすることで、地域の猫たちの保護にもつながるということだ。


「神様たちも、同胞どうほうのことも気にかけてくださっているからねぇ。動物たちを幸せにする為の活動なら、基本的に許しをいただけるんだ」

「神様たち……。そう言えば……」


 神様たちについて、それに猫社のこともよく知らないままだったのを思いだした。

 これから管理にたずさわるのなら、先ほどの話のように知っておかなくてはいけないこともあるだろう。

 紡生はそう思い、尋ねてみることにした。


「あの、猫社の神様って、どんな方なんですか?」

「んー。そうだなぁ。僕も主神様方のお姿は見たことないから、何とも言えないけれど」

「え、そうなんですか?」

「うん。基本的に、直接お会いできるのは主神様じゃなくて、その神使しんし様なんだよねぇ。たくさんいるうちの何柱かが、人間との橋渡し的役割を担うんだぁ」

「神使様……。っていうと神のお使いってことですか?」

「そうだよぉ。猫社でいうと、アメちゃんだねぇ。たぶん、明治時代くらいから変わっていないって聞いたよ」

「め、明治⁉」


 紡生は持っていた雑巾を落とした。だって、それが本当なら、アメは少なくとも百五十歳以上になるということだ。


「あはは。そうだよぉ。昔からずーっと、替わってないって。ていうか、替われる子がいないらしいよ? アメちゃんの言葉を借りるなら、びっくりするくらい猫手不足なんだって」


 人手不足だとは聞いていたが、そこまでだったとは。紡生は驚き過ぎて呆然とした。

 神様といい、神職といい。現代では、どちらもとんでもない人手不足に悩まされているようだ。


(そりゃあ使えそうな人が来たら、スカウトの一つでもしたくなるよね……)


 紡生は複雑な気持ちで頷く。


「だから紡生ちゃんが来てくれて、本当に嬉しいよ。もちろん僕も補助するし、一緒に頑張っていこうねぇ」

「えっと。微力ではありますが、頑張ります!」


 すっと差し出された大きな手に、自分の手を重ねる。アメや神余が倒れてしまわないよう、頑張ろう。ひそかにそう決意した。


「さて、じゃあ掃除はこのくらいにして。さっそくお供え物をもって、あわせ屋に向かおうか」

「お供え物を、あわせ屋に?」

「うん。流石に、ずっとここに置いておくわけにいかないからね。あわせ屋の蔵を借りて、保存しているんだよ」


 確かに、あわせ屋の屋敷はとても広かった。一時的に保管しておくには、ちょうど良いのだろう。


 掃除用具を片付けて外に出ると、予想通り大量のお供え物が入っていた。中には、ノートや写真まで入れてあった。

 見てみると、猫が戻ってきたという報告やお礼の言葉、そして嬉しそうな人たちの写真が貼られている。どうやら、お礼ノートのようなもののようだ。


「このノートも運ぶんですか?」

「うん。それも大切なものだからね。ちゃんと保管しているよ。箱の中身は全部こっちの袋に詰めてね」


 言われた通りお供え物を袋に詰めて、神社を後にした。



 あわせ屋に戻ってきた二人は、母屋おもやには向かわずに、庭の端にある蔵へとやってきた。

 扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を刺す。蔵自体が日陰にあるからだろうか。


「さすがにまだ寒いよねぇ。あっ、猫用品はこっち、ノートはそっちの書庫に並べてねぇ」


 神余かなまるは身震いしながら、蔵の奥を指さした。大きな扉の奥には、ずらりと本やノートが並べられている。


「きれいに整頓してあるんですね。図書館みたい」

「そうだね。感謝の気持ちがこもったものは、神様方にとってもとても大切なものだからねぇ」


 神様は信仰心によって力を増すものらしい。

 そう言う意味では、お礼の心がこもったノートなどは、神様たちの力の根源ともいえるのだろう。そりゃあ大切にするはずだ。


「虫の駆除くじょとかせずに、そのまま並べちゃっていいんですか?」


 外にあった物ならば、無視やカビなどの胞子ほうしが付いていてもおかしくない。博物館などでは所蔵室に入れる前に、虫干しなどをして、他の所蔵品に影響がないようにしていると聞いたことがある。

 ここでもやった方がいいのではないかと思い尋ねると、神余は優しく微笑んだ。


「ああ、問題ないよ。試しに、置いてみて」

「?」


 紡生は遠慮がちに棚へと入れた。すると――


「⁉」


 なんと置かれたノートに、蒼い炎が灯った。


「えっ⁉ ちょ、え、ええ⁉」

「あはは。そうなるよねぇ」


 神余は慌てた様子もなく、ほけほけと笑っている。

 紡生は一人でパニックに陥った。

 なぜ、急に燃えたのか。そして、なんで炎が蒼いのか。疑問はいろいろあるけれど、とにかく何とかしなければ、他のノートにも移ってしまうかもしれない。


(大切なものなんだから、ダメェ!)


 つい、燃えるノートへと手を伸ばしてしまった。

 熱い炎が、紡生の肌を焼く――はずだった。


「……あれ?」


 紡生は思わず声を上げる。


「熱く、ない……?」


 炎は不思議なことに、全く熱さを感じなかった。それどころか、お日様の陽を浴びているような、心地の良い感覚さえある。

 燃え広がることも、肌を焼くこともしなかった。炎に触れた手を見ても、やけどの跡もない。それどころかノートすら、燃えた事実がなかったように、棚に収まったままだった。

 いったい、どうなっているのだろうか。


「な、なんで?」

「びっくりしたぁ。ダメだよ、浄化じょうか中に手を出したら」

「じょ、浄化?」


 何が起ったのか、さっぱり分からない。紡生は呆けた声を出した。


「そう。あれは浄化の炎。俗世ぞくせにあった物を神前に捧げるときって、おはらいをするでしょう? あれの炎版ってわけ」

「ほ、炎版?」

「うん。アメちゃんの力だよ。あわせ屋の空間は不思議でね。半分神域しんいきみたいな場所にあるらしい」

「へ?」

「ん? でもミケ君の領域りょういきでもあるんだっけ? ……うーん、まあ要するに。一種の異空間いくうかんだね!」

「異空間」

神隠かみかくしに遭っているのと似たような状態ってわけ」

「神隠し」


 紡生は壊れたラジオのようになった。訳が分からなすぎて、オウム返しにしてしまう。


 神余の言うことを信じるのなら、あわせ屋自体が、自分たちが住む世界と違う場所にあるということになる。

 要するに、紡生は知らず知らずのうちに、この世から外れた場所に足を踏み入れていたことになるのだ。


「いやいやいや……」


 何を言っているんだ、この人。

 頭がついていかない。いきなり異空間とか、神隠しとか言われても、分かるわけがない。


「あれ、疑ってる~? 考えてみてよ。あの狭い路地裏に、この屋敷が収まるスペースなんて、あると思う?」

「……そ、そういえば」


 そう言われてしまうと、確かに路地裏にあるにしては広すぎる。目算でも、庭の一部しか入るスペースはないはずだ。

 それなのに、屋敷も、庭も、蔵さえも、確かにそこに存在している。

 まるで、時空が歪んでいるかのように……。


「え、まさか本当に……?」

「うん。文字通り次元が違うから、深く考えない方がいいよぉ。っていっても、僕もよくわかっていないから、説明できないだけなんだけどねぇ。あはは、不思議だねぇ」


 神余はカラカラと声を上げて笑った。

 というか、それは「不思議だよね」で済ませていいものなのだろうか。


(……やめよう)


 きっと神様方には、人智の及ばない力があるのだろう。だから自分に分からなくても仕方がない。紡生は、考えることを放棄した。考えても仕方がないことを考えるのは、性に合わない。だからもう、開き直って受け入れることにした。


「えっと、神域? っていっても、危険はないってことで、良いんですよね?」

「よっぽど非礼なことをしない限り、害はないと思うよぉ。あ、でも」

「でも?」

「ミケ君はキレイ好きだから、汚したら怒っちゃうかも」

「そう言えば……」


 ミケを訪ねると、たいてい掃除をしている気がする。庭も屋敷も、古めかしい外見とは裏腹に、荒れた所もなく、きれいに保たれていた。

 猫はきれい好きというから、ミケもそうなのだろう。


「名前と言い、きれい好きなところと言い、ミケ君にはシンパシーを感じるよ」

「ん? ミケさんの、名前? ……あっ!」


 何かを忘れているような気がしていたが、その一言で、はたと気がついた。


(わたし、ミケさんの名前、知らなくない⁉)


 あわせ屋にやってきて、二週間。

 ミケは「ミケ」で定着してしまっているから、今の今まで忘れていた。けれど、そう言えば、本名を聞いたことがない。


「あれ、もしかして聞いていない?」


 紡生の反応に、神余も気がついたようだ。気まずげに頬を掻いている。


「いやぁ。まあミケさんって呼べるから、困ってはいないんですけど。でも気がついたら、気になっちゃいますよね」

「うーん。本人が話していないことを、僕からは話せないからなぁ」


 神余は腕を組んでうーんと唸る。神余には関係ないことなのに、悩んでくれているようだ。なんだか申し訳ない。


「えっとね。これはヒントなんだけど……。僕の名前『あい』ってどちらかというと女の子みたいじゃない?」

「え? そ、そうですか?」


 確かに「あい」という響きだけとれば女の子だと思うだろうが、漢字を見ればどちらにでもとれる。


(「和」っていう漢字は、神余さんにぴったりだったから、あまり気にしていなかったけど……)


 紡生は細かいことは気にしない主義だった。


「そう。漢字を見ればどちらにもとれるんだけどね。僕の性別がはっきりする前に、付けたらしいんだぁ。まあそんなこんなで、名前でいじられたこともあるからさぁ。ミケ君の気持ちも分からなくないんだよねぇ」

「うーん。ということは、ミケさんも名前が好きじゃないから、教えてくれないってことですか?」

「嫌いではないかなぁ。むしろ、逆だよぉ」

「逆?」

「まあそう言うことだから、彼が名前を教えてくれるまで、待ってあげてほしいかなぁ」


 神余はそれ以上のヒントはくれなかった。


「うーん? うん。そうですね」


 紡生はしばらく考えていたけれど、そのうち考えるのをやめた。

 ミケが話したくないものを無理に探ると、変に警戒されてしまいそうだから。

 そのうち教えてくれる時が来ればいい。

 「紡生がいてくれてよかった」と言わせる目標を達成すれば、恐らく教えてくれるだろう。

 そう笑えば、神余も目じりを下げて微笑んだ。


「……やっぱり、来てくれたのが君で、よかった」

「え? 何です?」

「いいや、なんでもないよ。さ、屋敷に戻ろうか」


 その呟きは扉を閉める音にかき消され、紡生には届かなかった。けれど神余の目は、優しい色を帯びていた。

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