月姫、天翔するの事(その二)
「……
頼義の長い詠唱が続く。天の満月はますます明るく大きく、近づいてきているように見える。新月の空にあるはずのないその月は、その光をさらに神々しく輝かせ、地上の全てをあまねく照らし出した。
頼義の祝詞に合わせるように周囲にいた「山の佐伯」の樹人たちがザワザワと葉を揺らしてざわめつかせる。その荘厳な儀式の中で、金平も
「……
隣にいた影道仙がしきりに金平の袖を引っ張る。
「いて、痛えよ、なんだよお前、まだ
金平が儀式の邪魔をしないように小声で彼女を叱る。影道仙は金平には目もくれずに虚空を見つめて大口を開けている。
「アレ……金ちゃん、アレ見てアレ……!!」
あまりに異様な影道仙の態度に、金平も改めて彼女が見上げている天に向かって視線を移した。夜空には例の、そこにあるはずのない満月が浮かんでいる。それがだんだんと近づいてきているように錯覚するほどに煌々と輝いているのは変わらない。
いや
錯覚ではなかった。目を凝らしてもう一度満月を見返す。今度は間違いない。
「な、な、なんだあ!?ありゃあ、月じゃねえのか!?」
金平が叫ぶ間にも満月はみるみる近づいて来る。やがてその月にさらなる変化が訪れた。
「月、月が……
影道仙が呆然とした表情のまま虚ろに呟く。その変化は金平にも見て取れた。真円だった月が次第に影を帯び、少しずつその姿を半月に変えていく。何かの影に入ったのではない。姿を消そうとしているのでもない。
「
金平がそう言った通り、天空のあり得ざる満月は、その身を球を転がすように回転させていた。月は次第にその裏側を見せ始めた。表面が隠れるにつれ、地上を照らしていた月の光は鳴りを潜め、少しずつまた夜の闇に閉ざされていく。
金平と影道仙は見た。その月の裏側に……
巨大な塔や城郭が立ち並び、無数の灯火がまるで満天の星のようにキラキラと点滅しているのを!
「街だ……月の裏側に、街があるだと!?」
金平が呆然と空を見上げながら言った。
「
「あ?」
無意識に独り言を呟いていた影道に金平が反応する。
「『古事記』において、
「天の鳥船……?」
「ええ、古代インド、『
「送り返す?じゃあアレは……」
金平が
「そうです。あれが私を迎えに来た、私と
「
「ふふ、
「行くのか、どうしても……」
「……はい」
「そうか……」
「…………」
「そうなら……だよな」
ずっと俯いていた金平が再び顔を上げた。その表情は憂いのかけらもない、満面の笑顔だった。
「だったら、笑って見送ってやらねえとな!」
そう言って金平は力強く拳を突き立てる。その姿には強がりもやせ我慢もなく、全てに納得した、覚悟の笑みだった。
「こんな事言うのも変かもしれねえが……元気でな」
「……はい!」
にぃの目から再び涙が溢れる。ぽろぽろ、ぽろぽろと。
「……
頼義の長い長い祝詞の詠唱がついに終わった。頼義は手にした七星剣を天に浮かぶ「
「さあ、行かれよ、なよ竹のかぐや姫。いつの日にかその忌まわしき輪廻の
頼義がそう促すと、「かぐや姫」の全身はいよいよ光の粒子に包まれていった。
「ここまでのお導き、心より感謝申し上げます。今日に至るまで、ずっと私をお守りしてくださっていた事、
「かかさまぁ!?」
「はあ?おい、どう言う事だよ!?」
「さ、さあ」
詰め寄る金平に頼義は空とぼける。
「ふふっ父さまはニブチンだから気づいていなかったけど、後でちゃんと説明してあげてくださいね」
最後に見せた
「オン センダラ ハラバヤ ソワカ、オン センダラ ハラバヤ ソワカ……」
光に包まれた
「
影道仙がまた呟く。金平はもうそんな声も耳に入らず、仁王立ちのままじっと天に帰って行く
「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の始まりに
その全身全てを光の粒子で包み込まれた「かぐや姫」は、その半身である悪路王と共に光と同化して天に昇って行く。光の粒の最後の一粒までが「天鳥船」の中に消えて行った時、再び世界は元の現世の静寂へと戻って行った。
一切の音の無くなった世界に、坂田金平はいつまでも天空に消えた娘の姿を追っていた。
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