決戦場、阿鼻叫喚の事

地面に突っ伏した安倍忠良あべのただよしが天を見上げながら全身を走る激痛に必死で耐えていた。



(なんて、なんて奴だ……!)



忠良は今自分がされた事を、今以て信じられないでいた。


騎馬による突進により、坂田金平さかたのきんぴらは為すすべもなくき倒され、太刀で斬られ、或いは突き抜かれていたはずだった。だがその瞬間、金平は驚くべき事に向かって来る馬をのだ!


凄まじい勢いで馬に押されて金平の身体が二間、三間と後退していく。普通ならばそのまま踏み倒されてしまうところを、金平はとうとう耐え抜き、騎馬の突進を押しとどめた。続いて裂帛れっぱくの気合とともに金平は乗っている忠良ごと馬を海老反りになって自分の真後ろへ放り投げた。馬と安倍忠良は放物線を描く事もなく、落下するように垂直に地面に叩きつけられた。


その一瞬の攻防の結果に、両陣営の兵士たちも声を発する事もできずにただ息を飲んだ。騎兵ごと馬を持ち上げて放り投げる、いやそれ以前に突進して来る馬を素手で押さえるなどという芸当が生身の人間にできるのか!?


道理で金平の手に剣鉾が見えなかったはずである。打ち筋が読めなかったはずである。


あの瞬間、金平はすでに剣鉾を手放してのだ!



「こ、この、バケモンめ……普通そんな事考えねえだろお……」



全身を痙攣させながら忠良は動けぬ我が身を必死になって動かそうともがく。忠良が悪態をつくのも無理はない。普通馬を素手で放り投げるなどと予想する人間はおるまい。しかし目の前にいる坂田金平という男は、かつて箱根山で今の馬に倍する巨躯の熊をも同じようにして投げ飛ばしたという事実を、当然ながら忠良は知らない。


まだ衝撃から回復しない忠良に向かって金平がゆっくりと歩きて近づく。その頃になってようやく常陸ひたち国軍の陣営から轟くような歓声が湧き上がった。金平は無手のままさらに近づく。



「まったく、とんでもねえ野郎だよお前さんは……」



仰向けに横たわったまま安倍忠良が金平に言った。



「まだやるかい?」



歩みを止める事もなく金平は伏した相手に問いかける。金平とて無傷では無い。あれだけの衝撃を真正面から受け止めたのだ。ぶつかった面の皮膚は青黒く腫れ上がり、当然肋骨も何本かは折れてるかヒビが入っている事だろう。脇腹の出血もまたぶり返して新しい血の染みを広げている。



「勘弁してくれよ、見ての通り、もう指一本動かせねえよ……」



そう弱々しく呟いた忠良の身体が一瞬で跳ね上がり、地面を這うようにして忠良の太刀が金平の脛を斬り払うように襲った。



「!?」



遠くで見守っていた影道仙ほんどうせんが思わず息を飲む。金平に投げ飛ばされた忠良は確かに動けなくはなっていたものの、金平が近づいて来る時間を利用してかろうじて回復していたのだ。しかしそれを悟らせず、あえて無防備な姿をさらして一発逆転の一撃を見舞う隙を伺っていたのだ。



(まだまだ甘いな、所詮は都のお坊ちゃまよ!)



忠良のそのおごりは一瞬のうちに砕け散った。乾坤一擲けんこんいってきの急襲は、金平の容赦ない蹴りによって無残にも弾き返されてしまった。



「ぐげえっ!!」



喉の奥がひしゃげたような声を出して忠良が吹き飛ぶ。その右手は金平の蹴りの一撃によってあらぬ方向に折れ曲り、折れた骨が肉を突き破って鮮血をぶちまけた。



「が、がはっ、が……」



激痛にもがき苦しむ忠良になおも金平は詰め寄る。



「おう、まだやるかい?俺はここでやめてやってもいいんだぜ」



仁王立ちした金平がのたうちまわる忠良を見下ろしながら言う。激痛に耐えかねて涙と鼻水で顔をクシャクシャに汚しながら忠良が見上げた。



「も、もう……」



忠良が言い切らぬうちに再び金平がその自慢の怪力で忠良の顔面に拳を見舞わせる。鼻っ柱に拳を深々と食い込ませた忠良は宙を舞って一回転するようにまた地面に叩きつけられた。



「おう、わりい、今のはウソだ。俺はハナっから……テメエをブチ殺すまでやめる気なんてねえよ!!」



金平が最期の一撃を振り下ろす。その一撃で勝負は決まった。


金平の拳が忠良の頭を吹き飛ばす直前、凄まじい轟音と地響きが金平の足元をすくった。



「!?」


「GRRRRRRRRR!!!!BRRRRRRRRRRRRRR!!!!!!!」



バリバリと地面を割いて現れた「悪路王あくろおう」が不気味な鳴き声を轟かせながらまるで自身が火山の噴火のように溶岩を飛び散らせながら這い上がり立ち上がった。



「悪路王!?もうここまで来ていたというの!?はや、早すぎやしませんかねえ……!!」



影道仙が呆れ顔で口をあんぐりと開ける。



「またテメエかこのデカブツ!いっつもこの野郎とやりあってる時にしゃしゃり出てきやがるなテメエは!」



あと一歩のところで忠良にトドメを刺し損ねた金平が大声で悪態を吐く。ここまで傍観を決め込んでいた「八幡神はちまんしん」も思わぬ乱入者の登場に表情を変えた。



「小僧、戻れ!!狙い撃ちにされるぞ!!」


「!?」



「八幡神」が大声で金平に向かって叫んだ時には、すでに金平に向けて無数の矢が雨あられとなって襲いかかっていた。



「ちっ、忠良テメエ……!」



必死に矢を避ける金平だったが、これ以上の長居はできない。あと一発で決着がつくというところだったのに、ここで後退せざるを得なかった。



「何をしておる、早くいたせ!!今が好機ぞ、数は我らの方が多いのだ、構わん、儂ごとこやつらを踏み潰せ!!」



この機を逃すまいとばかりに大声を張り上げる忠良の号令に従って陸奥軍が一斉に突撃を開始した。


方や陸奥軍二万、方や巨大な悪路王、二つの陣営の襲撃に挟まれて、常陸軍は今絶体絶命の窮地に陥っていた。

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