金平忠良、一騎打ちの事

「小僧……」



遠くに見える坂田金平の姿を見て「八幡神はちまんしん」が思わずつぶやく。もちろんその声は金平にまでは届いていないはずだが、その瞬間わずかに彼がこちらを見返したように見えた。


陸奥むつ軍の進軍は止まらない。


そのうち、血気に逸った陸奥軍の騎馬兵が二人、三人と隊列を飛び出して金平の元に殺到した。金平を敵の伝令と思ったのか、はたまた勇み足で飛び出した猪武者と思ったか、大身の陣太刀を抜き身に振るって騎兵たちは一斉に襲いかかった。



「金ちゃん!?」



思わず影道仙が叫ぶ。敵の刃が鼻先をかすめる直前まで金平は微動だにしていないように見えた。だが次の瞬間、と音を立てて両断された骸を晒したのは陸奥兵の方だった。


金平の手にはいつの間にか愛用の剣鉾が鈍い輝きを放ちながら握られていた。



「…………!?」



自分たちの眼前にノコノコと現れたこの蛮勇の見事な手際に一瞬陸奥軍の兵たちが息を飲んだ。



安倍忠良あべのただよし陸奥みちのくの権大掾ごんのだいじょうどのに物申す。我が名は坂田金平さかたのきんぴらこと下毛野しもつけぬの公平きみひら江州ごうしゅう坂田郡司さかたのぐんじ下毛野しもつけぬの公時きみときが嫡子なり!いざ尋常にお立ち会い願い申し上げる!御大将にその剛毅あるなれば、来たりて我と刃を交えるべし!!」



思わぬ一騎打ちの申し出に規律正しく行動していた陸奥兵に初めて動揺のざわめきが起こった。圧倒的に不利な状況において、事もあろうに一発逆転の一騎打ちを仕掛けて来るとは狂気の沙汰にもほどがある。そのような戯言を自分たちが聞く理由も必然性もなかった。見れば、かく言う金平本人は全身を覆う火傷を保護するために晒しで雑に包帯し、その所々にも無数の切り傷から血が滲み出している。特に頼義との一戦で受けた脇腹の刺し傷は腹膜にこそ達してはいないものの、未だ出血は治らず動くたびに激痛が全身を走っている有様だった。


それでもこの男は相手が一騎打ちに応じると信じて疑わないのか、今自分が倒した兵士たちの骸のど真ん中で堂々と仁王立ちに構えている。



「わかんねえのかコノヤロウ!タイマン張れやって言ってんだコラ、顔出しやがれ陸奥の大将!」



金平の剛声を耳にして、ついに、陸奥軍の行進が止まった。


中央の部隊からから兵をかき分けて数騎の騎馬兵が金平の元へ向かって来る。「八幡神」にはそれが太刀持ちを従えた敵の総大将安倍忠良本人であることを見て取った。



「おう死に損ない、よく生きてたなあコラ。褒めてやろうじゃねえかこの野郎」



口汚く金平に食ってかかる忠良だったが、その顔は心底嬉しそうに輝いていた。



「この儂と一騎打ちタイマンかますか?そんなものに儂らが応じて何の得がある?アホかお前、脳みそ腐ってやがるのかコラ」



重ねて忠良は挑発を繰り返すが、その表情は言っている事と真逆の意思を示していた。



「やるだろう。やるだろうなあテメエらならよう。一番強え奴に従うのがテメエらの流儀なんだろう?なら話は早えじゃねえか。俺と一対一サシ喧嘩ゴロまきゃあこんなしちめんどくせえことしなくても決着はつくだろうぜ。なんせ……俺は常陸国ココで一番強えからな!!」



絶叫して金平は剣鉾を構えた。その姿を見て安倍忠良は堪えきれぬかのように武者震いに身をわななかせた。



「上等!ならばこの一戦、そなたとの一騎打ちに預けようぞ。者共異存はないな!?」



後方にて見守る自軍の兵たちに向かって忠良が叫ぶ、兵士たちはそれに怒号と絶叫の声援でもって応えた。



「では参らん!形式はいかがいたす?剣か?素手勝負ステゴロか?」



忠良の問いに金平はいつものような不敵な笑みを浮かべて返答する。



「好き好きに。なんなら、馬上のままでも構わんぜ」


莫迦ばかを言え、そのような無作法儂がすると思うか」


「するだろうよお前さんは……よおっ!!」



金平が言い終わらぬうちに振り下ろされた忠良の不意打ちの一撃を金平は斬り上げて打ち払う。金平はそれに対して文句を言うこともなく、そのまま一騎打ちが開始した。


馬上から容赦無く打ち込まれる太刀の連撃を金平は冷静に受け流す。最後の一撃を受けきると金平は馬の横腹にうまいこと回り込み、剣鉾の石突きを向けて馬の前足を絡み取ろうと突き出す。それを読んだ忠良はとっさに手綱を引き、馬を跳ね上がらせてかわしつつ、その勢いを利用して駆け出し、一気にその場を離脱する。


陸奥軍陣営から歓声と足踏みの音が響く。対する常陸軍の兵士たちもこの一騎打ちに勝負を預けることに決めて金平に向けて声援を送る。



「ちっ、惜しい惜しい、もう少しで貴様のドタマカチ割ってやったによお」


「ぬかせ、お見通しなんだよテメエの考える事なんざあ」



不意打ちをいとも簡単に防がれた忠良はそれでもニヤニヤと獣じみた笑みを崩さない。



「そうかい、ならば褒美にくれてやろう。そらっ」



そう言って忠良は手にしていた何かをポイっと金平の頭上に向けて放り投げた。


その薬瓶……あの「丹生都姫」の命を生きながらえさせる唯一の秘薬の入った瓶はキラキラと光を反射させながら宙を舞う。



「!?」



瞬間的に見逃さなかった金平は咄嗟に手を伸ばしてしまう。その一瞬の隙を忠良は逃さなかった。



「がっ!!」



忠良が一直線に振り下ろした太刀は空中の薬瓶を叩き壊し、そのままの勢いで金平の額を斬り裂いた。



「おぅ!?」



完全に脳天を唐竹割りにしたと確信していた安倍忠良は、自分の太刀の刀身を金平が一歩深く踏み込んでそのに向かって頭突きをするように額で受け止めたのを見た。振りの勢いが弱い根元では致命傷は与えられない。それでも金平の頭に巻かれた鉢金からは滝のように鮮血が溢れ出した。



「テ……テメエ……」


「おーっと、なんて事してくれたんだい。ありゃあ儂にとっても大事な売り物だったのに……よおっ!!」



横殴りに忠良が剣を振るう。金平はそれを大きく飛び下がってかわし、両者の間に再び距離ができる。



「おう、まだやるかい?儂はもうやめてやってもいいのだぞ?」



忠良が笑いながら金平を煽る。金平の方はそれに乗るでもなく、冷静な表情で「来い」とばかりに手招きをする。その虚仮こけにした仕草に、逆に忠良の方が逆上した。



「上等!ならばこのまま轢き潰してくれる!!」


駆け出した忠良の騎馬はそのままの勢い金平に向かって一撃離脱の突進を狙う。それに対して金平は腰を深く落とし、剣鉾を切っ先が地面を擦るほどに低く構えた。一瞬のうちに忠良の騎馬が迫る。体勢は圧倒的に忠良の有利である。このまま馬で突進して轢き殺してもいいし、勢いに任せて太刀を振り下ろしてもいい。なんならそのまま太刀を投げつけるという手もある。守り手である金平がそれらの選択を先読みするにはあまりにも時間は限られている。



(勝った……!)



一瞬、安倍忠良は自身の勝利を確信した。だが次の瞬間金平の姿を見た時、忠良の脳裏に一瞬の「迷い」が生じた。



(剣が……見えぬ!?)



深く腰を落とした金平の手の中にあるはずの剣鉾が、忠良の視界からは完全に消えていた。まるで無手のように無防備にすら見えるその立ち姿に、忠良は逆に戦慄を覚えた。



(打ち筋が読めぬ……!こやつ、これほどの者……なのか!?)



金平と衝突する、刹那ほどのごくごく短い一瞬の中で忠良は金平の剣士としての技量を見て取り、その危険を感じ取った。しかし既に体勢は必殺の型に整えられている。このまま己の速度が勝るか、或いは金平の技量がそれを上回るか、勝負はその一瞬に委ねられた。


凄まじい衝撃音に次いでわずかな静寂がこの場を支配する。


直後に両陣営からの割れんばかりの歓声が響き渡った。

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