陸奥軍常陸軍、一触即発の事
「そ、それはいったい……」
「なに、後ろの
そう言いながら「八幡神」が
「そ、それで……」
経範もようやく意図が飲み込めて言葉を飲んだ。つまり、出羽軍は敵側の陣に付いているとはいえ、その実状は中立に近い。ならばあるいは懐柔してこちらに寝返らせることができれば背後から陸奥軍を挟み撃ちにできるという算段である。
敵の兵力を削ぎ、味方の兵力を増やし、なおかつ一瞬で敵を挟撃できるという、もし可能であるならばこれほど効果的な作戦はあるまい。それだけに経範はこんな世迷言がやすやすと通じるほど甘くはないとも思った。
「当たり前だ。そんな都合の良い事がそう簡単にあるものか。だがな、だからと言ってやらぬという手はないのだ。こと戦の場においては打てる布石は打てるだけ打つというのが鉄則よ。懐柔が叶わぬまでも、出羽軍に少しでも考える隙を作らせることができれば、それがまた次の隙を生む布石ともなろう。そういう事だ虎の子」
「ウェイトウェイト、ちょっと待ってください、それじゃあまるで『失敗してもいいからとりあえず行ってこい』って言ってるみたいに聞こえますが」
「八幡神」の説明に
「みたいも何も、
「なんと!?」
非道な物言いに
「佐伯経範、国府で犯した役人傷害の件、この戦働きでその罪を
頼信のあまりに無情な発言にあまり激昂する事のない温厚な影道仙も色をなして突っかかろうとする。そんな彼女を経範は静かに手で制して言った。
「ご厚情、感謝いたしまする。ご命令の儀、この佐伯経範
いつものぶっきらぼうな態度からは想像も出来ない物言いでそう答えるや否や、経範はすっくと立ち上がって振り向くと脱兎のごとく駆け出して陣幕を去って行った。
「あ、あっ……行っちゃったあ。大丈夫かな?大丈夫かなあ……」
影道仙が去って行った彼の後ろ姿を目で追いながらオロオロと心配の表情を見せる。そんな彼女を笑い飛ばしながら、
「何を言っておるか陰陽師よ、あの者は『不死の人虎』であろう?たとえ斬りかかられるような
と言った。
「何言ってるんですか、経範どのが不死身なのは満月の間だけなんですよ。今は
「…………」
「…………」
「あっ」
「『あっ』って言ったよこの人今『あっ』って……!」
「わはははは、すっかり失念しておったわい。それだのにあやつめ、一言の愚痴も言い訳もせずに従いおったわ。呆れた男よ」
「何余裕こいてんですかもう」
「ははは、なに心配するな。アレとて一族郎党を束ねる長なのであろう?ならば手土産の一つも持たずに交渉の場に立つような愚は犯さぬであろうよ。あの者を信じよ、アレはお主が思っておるよりよほど
「何のうのうと言い逃れしてるんですか。もうハチマンさまのお言葉は信用しません、ぷう」
影道仙が頬を膨らませる。頼義たちの前に初めて姿を現した時はもっと冷静で大人びた印象のある彼女だったが、どうやら周囲が思っていた以上に彼女は年相応の少女らしい性格であったようだ。そんな彼女の姿を見て「八幡神」は妙に微笑ましい心持ちになる。そして、自分の胸の内にいる「彼女」の気持ちの揺らぎをほんの少しだが捉えることができたような気がした。
「ふふん、いいかげん急がんと『私』の中の
「八幡神」に促されて頼信は頷く。
「
「む?既にもう次の手は打っておったか?」
「然り。順序は相前後しましたが。その次手のためにまずは我ら本陣が敵と正面からお相手せねばなりますまいな」
頼信は
「これより正面敵本陣の攻撃に備え、これを迎え撃つ!皆心してかかるべし!!」
頼信の号令を聞き、副官たちが一斉に散らばって各担当部署へと配置する。それに呼応するように敵陸奥軍本陣から侵攻を告げる法螺貝の低い音色が丘陵地帯に響き渡った。
敵陣部隊は合わせて六隊。中央に縦二列に並び、その両翼に一部隊ずつ配置した「丁」の字の布陣である。中央を厚くし、向かってくる敵を両翼から包み込んで包囲殲滅する、大軍が小数の敵を攻めるのに効果的な配置だ。その後ろに待機する出羽軍二部隊はやはり戦闘に参加する意思は無いのか、その場から動かない。
「ほうほう、よく訓練されておる。
「八幡神」がそううそぶく間にも規則正しい歩速で敵は近づいて来る。中央はゆっくりと、両翼はやや早く。最終的に左右両隊が先行した「鶴翼の陣」の形となって陸奥軍本隊が本格的な戦闘態勢に入った。
その時、
「待ったあ!ちょっと待ってください、あれ!!」
身構える頼信一党の兵士たちを押しとどめるように影道仙が叫んだ。彼女が指差すその先の地平には
押し寄せる陸奥軍に対してたった一人で待ち受ける坂田金平の姿があった。
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