陸奥軍常陸軍、一触即発の事

「そ、それはいったい……」



常陸介ひたちのすけ頼信よりのぶの突拍子も無い命令に思わず佐伯経範さえきのつねのりが聞き返した。



「なに、後ろの出羽国でわのくにの兵はであろうという事よ。おそらく兵数をかさ増ししてこちらの士気を削ごうという魂胆であろう。うまくいけば戦わずして降参してくれると期待していたかもしれん。そのためにわざわざ出羽の親分に金でも払って賑やかしの兵を貸してもらったというのが実情だろうて。つまり、後ろの兵は実戦には参加せん、見たところ前列の二万が実戦部隊といった感じか?おう、少し勝算が見えてきたではないか」



そう言いながら「八幡神」が呵々かかと笑う。見た目は年若い少女のそれであるのに、そこから漂う空気はまるで歴戦の老将を思わせるような貫禄と狡猾さを思わせた。



「そ、それで……」



経範もようやく意図が飲み込めて言葉を飲んだ。つまり、出羽軍は敵側の陣に付いているとはいえ、その実状は中立に近い。ならばあるいは懐柔してこちらに寝返らせることができれば背後から陸奥軍を挟み撃ちにできるという算段である。


敵の兵力を削ぎ、味方の兵力を増やし、なおかつ一瞬で敵を挟撃できるという、もし可能であるならばこれほど効果的な作戦はあるまい。それだけに経範はこんな世迷言がやすやすと通じるほど甘くはないとも思った。



「当たり前だ。そんな都合の良い事がそう簡単にあるものか。だがな、だからと言ってやらぬという手はないのだ。こと戦の場においては打てる布石は打てるだけ打つというのが鉄則よ。懐柔が叶わぬまでも、出羽軍に少しでも考える隙を作らせることができれば、それがまた次の隙を生む布石ともなろう。そういう事だ虎の子」


「ウェイトウェイト、ちょっと待ってください、それじゃあまるで『失敗してもいいからとりあえず行ってこい』って言ってるみたいに聞こえますが」



「八幡神」の説明に影道仙ほんどうせんがのんきな口調で割って入る。



「みたいも何も、ではないか。たとえ失敗してもこやつの首が落ちるだけだ、我らにさしたる損もない」


「なんと!?」



非道な物言いに流石さすがの影道も絶句する。



「佐伯経範、国府で犯した役人傷害の件、この戦働きでその罪をあがなえ。もし死んだとしたならば、それを処罰の代わりとする」



頼信のあまりに無情な発言にあまり激昂する事のない温厚な影道仙も色をなして突っかかろうとする。そんな彼女を経範は静かに手で制して言った。



「ご厚情、感謝いたしまする。ご命令の儀、この佐伯経範しかと承り申した。身命を賭してお役目相勤めまする。御免!」



いつものぶっきらぼうな態度からは想像も出来ない物言いでそう答えるや否や、経範はすっくと立ち上がって振り向くと脱兎のごとく駆け出して陣幕を去って行った。



「あ、あっ……行っちゃったあ。大丈夫かな?大丈夫かなあ……」



影道仙が去って行った彼の後ろ姿を目で追いながらオロオロと心配の表情を見せる。そんな彼女を笑い飛ばしながら、



「何を言っておるか陰陽師よ、あの者は『不死の人虎』であろう?たとえ斬りかかられるような事態コトになっても心配はあるまいて」



と言った。



「何言ってるんですか、経範どのが不死身なのは満月の間だけなんですよ。今は朔月さくげつ、月の光なんて一片も無いじゃないですか、斬られたらマジ死にですよマジ死に」


「…………」


「…………」


「あっ」


「『あっ』って言ったよこの人今『あっ』って……!」


「わはははは、すっかり失念しておったわい。それだのにあやつめ、一言の愚痴も言い訳もせずに従いおったわ。呆れた男よ」


「何余裕こいてんですかもう」


「ははは、なに心配するな。アレとて一族郎党を束ねる長なのであろう?ならば手土産の一つも持たずに交渉の場に立つような愚は犯さぬであろうよ。あの者を信じよ、アレはお主が思っておるよりよほどであるぞ」


「何のうのうと言い逃れしてるんですか。もうハチマンさまのお言葉は信用しません、ぷう」



影道仙が頬を膨らませる。頼義たちの前に初めて姿を現した時はもっと冷静で大人びた印象のある彼女だったが、どうやら周囲が思っていた以上に彼女は年相応の少女らしい性格であったようだ。そんな彼女の姿を見て「八幡神」は妙に微笑ましい心持ちになる。そして、自分の胸の内にいる「彼女」の気持ちの揺らぎをほんの少しだが捉えることができたような気がした。



「ふふん、いいかげん急がんと『私』の中の頼義こやつを引っ張り出すのに余計難儀するハメになるぞ。さて頼信よ、まず最初の一手は打った。次はいかがいたす?このまま手をこまねいていては奴らに先に動かれるぞ」



「八幡神」に促されて頼信は頷く。



ずは先の一手の結果を期待すると言ったところですかな。相手が奥州軍二万のみで済むならば我が軍勢だけでもいくらかは持ちこたえて見せましょう。経範の交渉が吉凶どちらに傾いても、次の一手には間に合いましょうて」


「む?既にもう次の手は打っておったか?」


「然り。順序は相前後しましたが。その次手のためにまずは我ら本陣が敵と正面からお相手せねばなりますまいな」



頼信は床几しょうぎから立ち上がり、軍配を振るって副官たちに下知を下した。



「これより正面敵本陣の攻撃に備え、これを迎え撃つ!皆心してかかるべし!!」



頼信の号令を聞き、副官たちが一斉に散らばって各担当部署へと配置する。それに呼応するように敵陸奥軍本陣から侵攻を告げる法螺貝の低い音色が丘陵地帯に響き渡った。


敵陣部隊は合わせて六隊。中央に縦二列に並び、その両翼に一部隊ずつ配置した「丁」の字の布陣である。中央を厚くし、向かってくる敵を両翼から包み込んで包囲殲滅する、大軍が小数の敵を攻めるのに効果的な配置だ。その後ろに待機する出羽軍二部隊はやはり戦闘に参加する意思は無いのか、その場から動かない。



「ほうほう、よく訓練されておる。流石さすがは精強でもって知られる陸奥兵よ。蝦夷えみし俘囚ふしゅうだと殊更に蔑んだ呼び方をしておったが、奴らの恐ろしさは朝廷軍の兵士どもは嫌という程身に染みておったよ。防人さきもりとして登用した時は頼もしい事この上なかったが、ふふ、いざ敵に回られるとなると厄介じゃのう」



「八幡神」がそううそぶく間にも規則正しい歩速で敵は近づいて来る。中央はゆっくりと、両翼はやや早く。最終的に左右両隊が先行した「鶴翼の陣」の形となって陸奥軍本隊が本格的な戦闘態勢に入った。


その時、



「待ったあ!ちょっと待ってください、あれ!!」



身構える頼信一党の兵士たちを押しとどめるように影道仙が叫んだ。彼女が指差すその先の地平には


押し寄せる陸奥軍に対してたった一人で待ち受ける坂田金平の姿があった。

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