決戦、常州軍対奥羽連合軍の事

八幡神はちまんしん」たち一行が石岡の常陸介ひたちのすけ頼信よりのぶの元に合流した時、彼は具足もつけず、太刀をひと差ししただけの簡易な姿で陣頭指揮を取っていた。



「おう、まったく次から次へと難問続出だのう頼信よ。それも貴様の不徳のなせる業よ。これを機に身を改めるが良いぞ、ふふふ」



戻ってきた「娘」が未だ「八幡神」を憑依させたままでいる事に、頼信は少しだけ眉をひそませたが、それ以外はいたって平静に事態に向かって対処していた。



「まったく恐懼きょうくの至りで。お恥ずかしい限りでござる」



常陸介は鉄面皮な表情を崩さずに挨拶を交わす。



「世辞はいい。で、どうなのだ、敵はいかほどであるか?」


「数は三万といったところかと」


「ほう、それはまた張り切ったもんだ。連中本気でここを落とすつもりということか。して、こちらの用意できる兵数は?」


「五千がいいところで」



頼信の淡々とした返答に「八幡神」が皮肉な笑みで口の端を歪めさせた。



「ほ!貴様、農繁期で国軍から兵は出せぬと『私』に泣きついた割にはしっかりと備えておるではないか。『私』も貴様の力量ならば六千は私兵を有していようとあの時カマをかけてみたが、よくもまあ謀ってくれたものよ。相変わらずの二枚舌よな」


「…………」


「良い、許す。貴様の周到さのおかげでこうしてそれなりに陣を構えることができたのだからな。だがいかがいたす、地の利があるとはいえ兵力に差がありすぎる。国衙こくがに籠って籠城するか?」


「地の利もあるとは言い難いですな。石岡は砦ではない故、持久戦には向いておりませぬ」


「で、あろうな。そこでだ、頼信よ」



頼信の前に「八幡神」がずいっと顔を近づける。



「石岡を捨てよ。筑波山まで下がれは手の打ちようもあろう」


「!?」


「あの連中も目的は国府の占拠だ。都に入って浮かれる阿呆どもを焼き討ちにして時間を稼げ。なに、筑波山まで下がれば奴らも迂闊に深追いはすまい。連中が国府に止まって焼かれておるうちにこちらから打って出れば数の差なぞ意味を成さぬて」



とんでもない作戦を「八幡神」は提案してきた。あえて敵に本拠地を明け渡し、敵が占拠したところで自分の街に火をつけて都市ごと敵兵を焼き払えと言っているのだ。



「それは……できませぬ。国府としての機能を今失えば、常陸国ひたちのくには今度こそ文字通りの壊滅となりまする」


「家屋などいくらでも再建できる。田畑もまた耕せばよかろう。だがここで負ければ何も残らぬぞ、何もだ」


「……できませぬ」


「やれ」


「できませぬ!」



瞬間、頼信の顔を「八幡神」が愛刀のこじりで殴りつけた。



「!!」


「その方、勘違いするでない。『私』は意見具申しておるのではないぞ、『や・れ』と言っておるのだ。それでもやらぬと言うば、その皺首切り落として『私』が自ら指揮するまでよ」



「娘」の口から発せられるその言葉に周囲の者は戦慄した。これが親子のする会話か!?その鬼気迫るやりとりに佐伯経範さえきのつねのり影道仙ほんどうせんも一言も発せずにただを飲み込むばかりだった。



「……伝令、各隊に伝えよ」



口から血を流した頼信はその血をぬぐいもせずに伝令使を呼び寄せた。



「これより本陣は破棄、各隊はそのまま筑波山まで転進する。途中国府各庁の敷地に油を撒き、いつでも着火できるように支度をいたすように」


「!?」



大将の言葉に驚きつつも、伝令使はすぐさま本陣を立って各隊への連絡に走った。頼信は無言でその後ろ姿を目で追う。その様を見て「八幡神」が愉快そうに笑った。



「良きかな良きかな。総大将たる者かく即断できねばのう。なに、気にするでない、この借りはきっちりと後で返してやるといたそう」



上機嫌な「八幡神」と対象に常陸介の顔は死人のように土気色に褪せている。号令が飛び交い、急いで陣幕がたたまれ、撤退の支度が整う。よく訓練された兵士たちは最初の号令からものの数十分で支度を終え、すぐさま筑波山に向けての撤退が始まった。


常陸軍の動きを見て敵本陣もにわかに活気付き、こちらの動きに合わせるようにゆっくりと進軍を開始した。友軍は一度国府に入り、立てこもる姿勢を一瞬見せたのち、そのまま庁舎を後にして一路筑波に向かって西進して行く。


無人となった国府には刹那のうちに連合軍の兵士によって蹂躙されるだろう。常陸の兵士たちは自国が夷狄いてきの手に落ちるというのに一矢も報いずに逃げる大将を恨めしく思った。


そんな意気消沈した常陸兵の行軍とすれ違うように一人の男が歩いて行くのを、誰も気に止めるものもいなかった。


半日の行軍ののち、常陸軍は筑波山の東側の麓遠く、南北を山の手に包まれたような丘陵地まで陣を下げた。ここから先は例の突如現れた樹海によって行く手を遮られている。国府とは目と鼻の先だが、おかしな事に奥羽連合軍の兵士たちは撤退し無人となった国府に入らず、そのまま迂回して再び常陸軍本陣と向かい合って動きを止めた。この動きにさしもの「八幡神」もその目をすぼめ、敵陣を見やった。



「ありゃ、連中こっちの手に乗ってこなかったぞ。目の前の餌にホイホイと引っかかってくれると思うたに、慎重なやつよ。さてこれは困ったのう、ここで野戦ともなれば数では叶わぬな。いやはや、なんとも」



「八幡神」は人ごとのように笑う。



「何言ってるんですか、みーんなハチマンさまの言いつけを守って自分たちの大事な国府を焼き討ちにする準備までしてきたっていうのに、これじゃあみすみす袋小路に追い詰められただけじゃないですかあ」


「まあまあ、おかげで国府を焼かずに済んだのだからむしろ助かったではないか。だからそんなに『私』を責めるでない」



ぼやく影道仙の頭をよしよしと撫でつつ、「八幡神」頼信に問うた。



「ふん、妙だとは思わぬか頼信。奴らなぜあのような陣形を取る必要がある?野戦に打って出るのであれば数にものを言わせて圧倒すれば良いだろうに、連中まるで兵を小出しにするように隊を縦に並べおったぞ」



「八幡神」が七星剣を指揮杖のように使って敵陣を指しながら言った。確かに定石でいえば大軍が小軍を攻めるのにあのような布陣を敷く意味は無い。やるとすれば両翼を広げて包み込むように布陣するべきである。それなのに敵はまるで前列の隊だけでこちらに相対するような姿勢を見せている。



「ふむ……。斥候ものみに伝えよ、奥の陣にいる部隊はどこの軍のものか?詳細はいらぬ、陸奥むつ出羽でわかわかればそれで良い」



常陸介が伝令使に命令する。「八幡神」は頼信の意図に気づいてふふんと鼻を鳴らした。



「申し上げます!敵奥陣は出羽清原きよはら氏が一党の兵と見受けられます!」



伝令使の素早い返答に頼信と「八幡神」は目を合わせた。



「なるほど『見せ兵』か?陸奥の親分め、ここ一番と盛大に振る舞ったと見える。さすが商売人、金の使い所を心得ておると言ったところか」



一人納得する「八幡神」に、経範も影道も意味がわからず頭をひねっていた。



「佐伯経範、そなたに役目を与える」


「は?は、ははっ!!」



常陸介頼信の突然の呼び出しに経範が慌てて応える。一連の騒動で本人もすっかり忘れていたが、常陸国にとって自分はだった。その自分を頼信が当然のように呼び寄せた事に経範も動揺を隠せなかった。



「や、役目とは?」



経範が問う。その彼に頼信が静かに命じた。



「急ぎ敵奥陣に使者として立て。そしてこう伝えよ」


「使者?」


「左様。『清原どのにおいては、此度の戦にて我らにお味方いたすならば』とな」



とんでもない発言に経範は目を見開いた。

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