丹生都姫(にうつひめ)、眠りに着くの事

ようやく山頂に到着した「八幡神はちまんしん」たち一行は、以前坂田金平さかたのきんぴらが潜り込んだ洞穴に三人してなんとか通り抜け、中にある広々とした洞窟に入ることに成功した。中はガランと広く、湿った冷たい空気が三人の汗ばんだ肌を冷やす。その広間の中央には、例の観音像が一行を見下ろすように立っていた。



「ふむ、間違いなく千手観音せんじゅかんのん像。麓の『大御堂おおみどう』に祀られているものと全く同じものです。私は大御堂まで赴いてこの目で観音像を見てきましたので見間違いはありません。というと金平の言っていた事は本当だったということになりますね。はてさて、空海聖人は時空を操る超常の法力をお持ちでありましたか」



影道仙ほんどうせんうやうやしく観音像に向かって一礼すると、その背後にある円筒形の「棺」のようなものに目をやった。



「そしてこれがちゃん……丹生都にうつひめの眠っていた『うつぼ』ですか。なるほど、円筒形埴輪に似ていますね。金ちゃんは竹筒に似ていると表現しましたが確かに的を射ています、まさしく『うつぼ』の典型ですからね竹筒というものは。円筒形埴輪は通常古墳のに配置され、現世と聖域とを分かつ境界線として埋められているものですが、なるほど『うつぼ』を象徴する副葬品という意味合いもあったのですねぶつぶつぶつ……」



影道がいつものように独り言を繰り返しながらその「棺」の前で行ったり来たりを繰り返している。



「おい、お主が前から言っているその『うつぼ』ってのは一体なんなんだ?」



話についていけない佐伯経範さえきのつねのりが影道に尋ねる。影道はピタリと足を止めて経範に向かって振り返った。



とは、自然の中にできた密閉空間のことです。例えば竹の節の中、あるいは蚕の繭の中など、人間が手を加えることなく自然に閉じられた『ハコの中』のようなものを『うつぼ』と呼びます。その中の空間は現世うつしよではない、異界へ通じているとされているんです。桃から生まれた少年、花から生まれた少女、そうした『異界うつぼ』から生まれた神の子の物語は古今東西あらゆる地域で語り継がれています。ここ常陸ひたちにもあったでしょう、の物語が」


「……!金色姫こんじきひめか!?」


「ピンポーン。そしてこの『うつぼ舟』こそが、おそらく金色姫……丹生都姫を創り出した母体なのでしょう」



「母体だと?で、では丹生都姫はというのか!?」



影道仙の説明に経範は驚愕した。



「ええ、そもそも『うつぼ』というのは子宮の比喩なんです。ほら、子宮もまた自然に作られた密閉空間でしょう?そしてそこから生命が育まれる。この『竹筒』もまた丹生都姫を生み、その命を育むためのもの。だとしたら……」


「で、では……?」



経範は思わず背中に背負っているに視線を送る。彼女はまた再び体内の「金丹」を消費し始めているのか、ずっと眠ったままである。



「おそらく、この子をこの『うつぼ舟』の中に収めれば、少なくともこのまま消滅する事は無くなるでしょう。だから、一刻も早く彼女を……」



影道仙に促されて経範はそっと背中のを降ろす。いつのまにか目を覚ましていたのか、彼女は弱々しい眼差しで例の円筒柱に手を伸ばした。その小さな手が「竹筒」の表面に触れると、空気の抜けるような音と共にその表面が動き、ゆっくりと上へ向かって開いていった。ひんやりした空気と、白い煙がが地面に立ち込めていく。


は金平が着せてくれた子供用の小さなあわせを脱ぎ、その「竹筒」の中に一人で入っていった。最後に彼女は自分を見守る三人の大人たちにうっすらと笑みを浮かべたのち、静かに目を閉じた。


が眠りにつくと同時に再び扉が動き出し、今度は音もなく静かに閉じた。円柱は元の通りの「竹筒」へと姿を戻していった。



「これで……大丈夫なのか?」



「八幡神」が影道仙に尋ねる。彼女はいつになく真面目な表情で円柱を見つめながら答えた。



「わかりません。ですが、これで彼女は金平と出会う以前の状態に戻ったものと推測されます。おそらく彼女はこの姿でずっと眠り続けていたのでしょう。何十年、何百年と」


「…………」



三人は黙って「丹生都姫」の眠る棺を見つめていた。円柱は音も無く静かにただそこに立つだけであった。



「……ではここでの目的は達せたわけだな。ならば急ぎ下山して『悪路王あくろおう』への対策を講じるとしよう。あのデカブツが何の目的でもって丹生都姫を執拗に狙うのかは知らんが、このまま放って置くわけにはいくまい。ほら、急いだ急いだ」



そう言って「八幡神」は余韻に浸る間もないまま影道仙を出口に向かう洞穴に押し込もうとする。



「そんなに急かさないでくださいよう〜。あっ、ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!」



「八幡神」に尻を蹴飛ばされるようにして最初に洞窟の狭い出口に押し込まれた影道仙がいきなりその動きを止めた。



「痛い痛い痛いですう〜!痛くすぐったいですやめるですぅ〜!!」



半分身体を抜け穴に突っ込んだ状態で彼女が変な動作をしてもがき始めた。そしてそのままもう一度身体を戻して洞窟内に戻ってくると、その顔には小柄な黒い鳥らしき生き物が貼り付いていた。



「は・な・れ・て・〜!!」



バタバタと暴れる影道仙に「八幡神」と経範が反射的に太刀にその手をかける。鳥はようやく影道の顔から離れて中央に立つ「千手観音像」の肩口に止まった。



「鳥、か……?何故こんなところに」



経範がいぶかしみながらその鳥に手を伸ばそうとすると、



「オッパイ!」



とその鳥が人間の言葉を大声で叫び出した。



「オッパイ、オッパイ!モマセロ!オッパイ!」



「なんだコイツ、人の言葉を喋りやがったぞ、しかもかなりお下劣な!さては物のの類か!?」



経範が太刀を抜いて構える。それを見て影道が慌てて彼を制した。



「タンマタンマ!ち、ちがいますう〜、この子はお師匠様の使い魔の『ヤタガラス』ちゃんです、式神ですぅ〜」



その式神とやらにさんざについばまれたのか、真っ赤になった鼻先を手で押さえながら影道が言った。



「お師匠様?じゃあコイツは安倍晴明あべのせいめいのお使いだってえのか?」


「はい〜、ですから危険はありません。何かお師匠様の言葉を伝えに来たのでしょう。ほらヤタちゃん、お師匠様の口癖の真似はもういいから本題を言ってください」


「なんか今とんでもないこと言わなかったかお前?」



「八幡神」が反射的につっこむ。



「モトイ。頼義ライギドノニ告グ、頼義ライギドノニ告グ!」



影道仙に促されて安倍晴明の使い魔であるという「ヤタガラス」は、今度は彼女の頭の上に飛び乗って再び人間の言葉で叫んだ。



「襲来、襲来!出羽デワ陸奥ムツ連合軍ガ国境ヲ越エテ常陸国領内ニ侵入セリ!繰リ返ス、出羽、陸奥連合軍ガ国境ヲ越エテ常陸国領内ニ侵入セリ!コレハ戦争デアル、コレハ戦争デアル!」

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