源頼義、坂田金平を追撃するの事

筑波一帯を樹海で埋め尽くした「山の佐伯」たちに協力を要請するために一時頼義の元を離脱した佐伯経範さえきのつねのりだったが、時間はかかったものの約束通りに再び頼義の元に戻って来た。「山の佐伯」たちは相変わらず筑波を動かず、また頼義たちに助勢する気もないようだ。



「連中、どうもただ『悪路王あくろおうが怖い』という理由だけであの地に陣取っているわけではないらしいんだよなあ」



経範が頼義を馬に乗せながら言う。



「アイツらは何がしかの約定やくじょうでもって筑波郡に足を運んでいるみてえだ。なんでも『国造くにのみやつこ』に頼まれた約定を守っているのだとか。残念ながらそれが何かはオレにもわからん。曲がりなりにもオレはアイツらの棟梁とうりょうという立場なんだけどなあ。情けないっつーかなんつーか」


「約定?」



独り言のようにぼやく経範の言葉を頼義が反復する。



「そうそう。アイツらが言うには遠い昔から国造との間に『悪路王』が再び現れた時のために決められた約束事があるんだってよ。『山の佐伯』たちは今その約定に従ってあの地に陣を構えているんだそうだ」


「国造……」



国造とは律令制以前から存在する地方行政官の名称である。大抵は朝廷に帰順した地方豪族が世襲で襲名する役職だったが、大化の改新以降は中央から派遣される国守に取って代わられ、その実権は有名無実と化していった。常陸国ひたちのくにで記録に残っている最も古い国造は「多祁許呂命たけころのみこと」という人物だが、「山の佐伯」が歴代のどの国造とどのような約定を交わしたというのだろうか。



「国造ですか!?『山の佐伯』は国造と何かの取り決めをしていたと!?」



意外にも経範の説明に影道仙ほんどうせんが食いついた。彼女は興奮した様子で



「それは、だと言っていましたか!?」



彼女の思わぬ食いつきぶりに経範も一瞬たじろいだ。



「いや、特にどことは聞かなかったけど。アイツらは常陸国ココに長らく住み着いているんだから茨城うばらきの国造くにのみやつこだとばかり思っていたけど、違うのか?」



まだこの地域が「常陸国」としてまとまる以前から茨城郡には国造が置かれていた。最も古い時代に「山の佐伯」たちが国造と約定を交わしたというのであれば、その相手は茨城国造であると考えるのが自然ではある。




「そうですかそうですか。いやいやいやなるほど……」



影道仙は何か頭の中でつながったらしく、いつもの調子でグルグルとその場を周回しながら独り言をつぶやいている。やがて、



「頼義さま、わたくしはここに残って今しばらく資料を漁る作業を続けたいと思います。おそらく、はずです。なので頼義さまは急いで金平とちゃんたちに追いついてください!!」



そう言うが早いか、影道仙はきびすを返して書庫に駆け足で向かって言った。頼義たちは何の事やらさっぱりわからなかったが、どのみち馬に乗れない彼女を連れて行くことも叶わないので、頼義は経範の先導で兵士たちを引き連れ、坂田金平捜索のために東海道を下って行った。


少数とはいえ隊を引き連れての行軍であるため、その歩みは急ぎ足というわけにはいかず、頼義ははやる気持ちを抑えきれないでいた。その間にも逐一先遣隊からの報告が上がって来てはいるが、金平の足取りは一向に掴めず、勿来関なこそのせきに陣取る安倍忠良あべのただよし軍の動向もいよいよ不穏な空気をいや増して行った。


最新の情報では、坂田金平らしき子連れの大男が石橋駅で見かけられたとの事、またその親子連れはそこから東海道を離れ、海岸沿いの間道を進んだとの事だった。途中で安倍忠良の手の者に手引きされたか、あるいは初めから申し合わせていたのかは知れぬが、やはり金平は勿来関を目指して進んでいるようだった。



「伝令、助川、藻嶋めじま、棚島の各駅を封鎖、何処いずこかにて坂田金平と思しき人物を発見し次第、直ちにこれを捕縛せよ。急げ!!」



頼義の号令に従って各駅を封鎖すべく兵士たちが散開して馬を走らせる。



「経範、馬を急がせて!!」



当然のように自分を家臣として命令する頼義に、佐伯経範は一瞬ムッとしながらも特に声を荒げるでもなく黙々と馬の歩を進める。



(ちっ、人をアゴで使うんじゃねーよ。家臣として扱うんならそれ相応の家禄をよこせよコラ……!)



それは聞きようによっては俸禄次第では家臣として仕えるのもやぶさかではない、と言うふうにも取れるが、その自覚があるのか否かは知らず経範は鞭をふるって騎馬の足を早めさせた。


藻嶋めじま駅を抜けるとその先は開けた扇状地になるが、そのさらに先は入り組んだ山岳地帯になる。いったん山に入られてしまったら人ひとり探すのは不可能に近い。頼義はその前に何としても金平の足跡を捉えなくてはならなかった。


最後の駅舎である棚島では金平の目撃情報は得られなかった。ということはおそらくその前に彼は馬を乗り捨て、本道を外れて身を潜めながら進んでいるということになる。探すのは困難だが、同時に金平の方も道を行くようには早くは進めていないだろう。頼義はすでに陸奥むつ国境線沿いの通りには封鎖をかけてある。もし金平が陸奥へ渡ろうとするなら何らかの目撃情報が必ずあるはずだ。それがないということは、彼はまだ常陸国内にいるはずである。


そしてついに金平の所在が割れた。山あいを抜ける間道の柵を構えていた郡衙ぐんがの役人が、金平らしき大男の子連れを目撃したのである。男は通りに関が張り巡らされているのを見るとすぐさま引き返し、山林の中へ消えて行ったという。


頼義は連れてきた兵士と多珂郡たかぐんの役人を総動員して、金平が隠れた山道をしらみ潰しに捜索していった。そして、二手に分かれた捜索隊のうちの一隊が、川辺で水を汲む坂田金平の姿を捉えたのだった。

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