源頼義、陸奥より来たる使者の言葉を伝えるの事

国庁の一室、といっても特別に臨時の執務室として借り受けている物置小屋のような奥部屋に、筑波つくば郡司ぐんじである源頼義みなもとのよりよし文机ふづくえに手を当てて座りながら、帰参した影道仙ほんどうせんの報告を聞いている。ここ半月ばかり父を助けて常陸ひたち国中の混乱を収束させるために奔走していた頼義はいささか疲労の色が隠せず、彼女らしくもなく何度も影道の言葉を聞き返したりを繰り返していた。今日も父の命を受けて相模国さがみのくに鎌倉まで使者として出かけて、トンボ帰りで今しがた戻って来たばかりであった。


国内の状況は想像以上に悲惨なものだった。まず壊滅した筑波郡は相変わらず突如現れた樹木の大群によって占拠されたままである。樹々を移動させてきたと思しき「山の佐伯」と呼ばれる先住民たちは一向にその姿を表すこともこちらからの呼びかけにも応じることなく沈黙を続けている。


悪路王あくろおう」の消えた鹿島灘沿岸はあれ以降海水温度は元に戻ったものの、一度狂わされた生態系は壊滅的な影響を受けているらしく、漁民たちを束ねる眞髪高文まがみのたかふみの報告によれば今ではそれまで全く見たこともないような南洋の色鮮やかな魚などが網に上がることもあると言う。勇敢(?)な高文は試しにその色鮮やかな魚を焼いて食べて見たものの、「とても食えたもんじゃありやせんや」とこぼしていた。


現状では来年朝廷に納めるべき租税の徴収は絶望的である。父頼信は都に何度か減免措置を訴え出ているが、こういった訴状はよほどの事情でもない限り聞き入れられることは無い。今がその「よほどの事情」であることは間違いないのだが、それを口実に父の失脚を目論む政敵もいないとは限らない。中央においてはいつ誰がどのように敵に回るか知れたものではないので、このような弱みを見せるような行為は政治を執り行う者の一人としては致命的な結果を招きかねないのだ。


加えて金平が遭遇した陸奥むつ領袖りょうしゅうである安倍忠良あべのただよしの存在である。金平に言った言葉が文字通りの意味であるのならば、忠良率いる陸奥国軍が近々この常陸国に攻め入ってくる可能性がある。普通に考えれば他国への侵略行為はれっきとした朝廷への反逆行為だ。到底看過されるべき出来事ではないはずである。だが陸奥の背後には、同じ安部氏というよしみであの大陰陽師安倍晴明あべのせいめいが力を貸している節がある。どうやら彼は帝より陸奥国が意図的に閉ざしている流通路を回復させるよう密命を受けているようである。その代償に常陸一国を忠良に差し出すぐらいのことは平気でしかねないのがあの陰陽師である。万が一本当に忠良軍が攻め入って来たとして、それを朝廷が咎め立て「逆賊」として錦の御旗をこちら側に立てるという保証はどこにも無かった。


このように、今常陸国は文字通り「内憂外患」という追い詰められた状態に陥っていた。



「先だって、陸奥国より使者のお方が参られました」



影道仙と金平の話を聞き終わった後、今度は頼義の方から話を切り出した。使者は国司である藤原ふじわらの実方さねかた卿の名代としての体裁を保っていたが、実際には安倍忠良の意を汲んだ者であることは疑いようも無かった。



「あのクソ野郎の使が何しに来やがったんだよ。宣戦布告にでも来たんか?」



金平があからさまに不機嫌な顔で言う。例の一件以来金平は奥州安倍氏の存在を蛇蝎だかつのごとく嫌っている。は今のところ小康状態を保ってはいるが、大事をとって隣室で寝かしつけている。といっても忠良は常にあの少女をつけ狙っていると言っていた手前、何かことが起こってもすぐに対処できるよう、金平は厳戒態勢をもうずっと解かないままでいた。



「いえ、使者どのが申されるには、国守様は常陸国の今の窮状を憂いており、是非とも手助け致したい、とのありがたいお言葉でした」



頼義が冷ややかに言う。それが事実ならば朗報であるはずなのだが、頼義の表情は曇ったままだ。



「お申し出によれば、養老令が敷かれた折に陸奥国に編入された菊多郡きくたぐんを常陸に割譲いたすとのお話でした。郡域の生産物をよろしく租税の不足分に当てられるべし、と」



菊多郡は元々常陸国の所領であったが養老律令が制定された時に新設された岩城国いはきのくにに編入され、その後陸奥国に再編入された地域である。決して実り多き沃野よくやと言うほどの土地ではないが、それでも税収の見込める土地が増えるのは願ってもないことではある。何より、領土を割譲するということの意味の重さを頼義は重々承知していた。よほどの度量がなければ出来ぬことではある。



「なんだよありがたい話じゃねえか。で、その面構えってえことは、よほどめんどくせえ代償を要求してきたって事か」



金平でもそれくらいの事は推察する。現在陸奥国司である藤原実方卿は「三十六歌仙」の一人に数えられるほどの文人であるが、とうぜん純粋な善意だけでこれほどの大盤振る舞いをするつもりはないであろう。ましてその背後にはあの安部忠良、さらに安倍晴明がついているともなれば一筋縄には行かぬ事は想像がつく。



「それが、ええ、まあ難題といえば難題ではあります」



口を濁すような頼義の発言に金平が茶々を入れる。



「なんだよ歯切れが悪いじゃねえか。人質に俺サマの身柄を差し出せとでも言ってきやがったか?」



金平は自分でも下手な冗談だなと思いつつ、つい軽口をきいてしまう。皮肉な苦笑いを浮かべた金平に、頼義は真面目な顔をして答えた。



「よくわかりましたね、金平」


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