奥六覇王安倍忠良、見参の事

「陸奥話記」に記す。


「六箇郡ノ司ニ安倍頼時ナル者有リ、是レノ子也。祖父忠頼ハ東夷ノ尊長トシテ威名ヲ大イニ振ウ。六郡ヲ横行シ部落皆服サシメ、人民ヲ却略キャクリャクス」


当時都から最も遠く離れた東北の地を代々支配していたのは「俘囚ふしゅうの長」であり、東夷と呼ばれたまつろわぬ民たちを武力でもって君臨した「奥州安倍氏」の一族だった。「却略」(脅かして奪い取るという意味)などという言葉がわざわざ使われているという点を見ても、彼らがいかに苛烈な支配体制でもって厳しい気候の東北一帯を押さえていたかが伺えよう。


それだけにあってその軍の強靭さは中央までも鳴り響いていた。過去に大陸との緊張状態が続いた時代などにはわざわざ東方の彼らをはるか九州にまで赴任させてその警護に当たらせたという程だった。


その精強な安倍一族の軍がこの常陸国ひたちのくにに「悪路王あくろおう」と共に襲来して来た!!彼らは「悪路王」という暴威の出現を利用して再び朝廷に「東夷とうい」として反旗を翻そうというのか。



「おい、まさかとは思うが、お前らの差し金じゃあねえだろうな!?」



金平が影道仙ほんどうせんを睨みつけながら言う。



「せいかーい」



彼女は少しも悪びれずにそう答えた。



「おい!!」


「いやいやいや。正しくは少し違うのですが、まあ結果的には似たようなものでしょう。ははは」


「はははじゃねえよ!!なんだってそんな事しやがるんだテメエらは!!」


「いやいやいや、本来はもっとこちら側で『悪路王』を迎え撃つ算段を整えてからお師匠様が連中を焚きつけてを挟み撃ちにしてなんとかしようという計画だったのですが、まああんなにサイズがケタ違いなのであればどのみち作戦は修正せざるを得ませんでした、なのでオッケー問題なしです」


「問題なしって、大問題じゃねえかこのクソアマ!!」


「なあに、要はを上陸さえさせなければ良いのです。悪路王がなぜこの陸地を目指すのかはまだこれからの研究が必要ですが、そのためにもまずはアレを足止めし、願う事なら一旦お引き取りいただければそれに越したことはない。と言うわけで皆さん急ぎ海岸まで参りましょう、あの巨人の上陸は何としても押し止めなくてはいけませんからね」



そう言うや影道仙はとっとと歩みを進めて迫り来る巨人に向かって小走りに歩き出した。あれほど巨大な「災厄」を具現化したかのような空恐ろしい姿の、得体も知れぬ存在にまるで恐れることもなく彼女は歩を進ませる。そんな彼女を追って頼義たちもあわてて駆け出した。



「お待ちを……!『安倍』と申されましたが、それは、その……」


「わかりません」



頼義の質問を最後まで聞くまでもないと言う事か、影道仙は頼義が最後まで言い終わらぬうちに答えた。



「お師匠様の家系である『安倍氏』と奥州を支配する『安倍氏』の間に何か接点があるのかは私も聞き及んでおりません。ただ一説には両家ともにえつの人『阿倍あべの比羅夫ひらふ』を家祖に持つとも、または孝元天皇こと彦国牽尊ひこくにくるのみことの末裔であるとも言われていますが確たる史料は存在しません。ただお師匠様がこうして動いてそれに応えたともなれば、なにがしかの接点あったものと推察されます」



影道仙は頼義に顔もむけずにスタスタと歩き続けたまま説明する。



「安倍氏……蝦夷えみしの長……晴明どのが、俘囚の末裔の一族と通じていると……?」


「まあ、あのお師匠様の事ですから何か自分に都合のいい条件が合えば対抗勢力相手でも平気で商売を始めるでしょうけどね」



陰陽師は他人事のように笑う。頼義も晴明のそういう性格は見知らぬ間ながらよく知っている。かつて鬼の王酒呑童子が平安京を手下の軍勢でもって攻め入った時にも、晴明は鬼の軍勢が伊勢に避難された帝に手出しさえしなければ自分は中立を保つと堂々と宣言してのけたのを思い出した。ただその時も麾下きかの腹心である十二天将を補助役として頼義の元によこすなど陰からこっそりと支援はしてくれていたのだが。


再び地面が大きな地響きと共に激しく揺らめいた。頼義たちはもつれる足を必死にこらえて走り続ける。利根川の河口、広く開けた内海まで到達すると、金平は改めて眼前の「悪路王」を見上げた。


「悪路王」と呼ばれた燃える泥の巨人は、小山の如き巨体を重たさげに引きずりながら、なおも全身から煮えたぎった溶岩を噴き出しては海水に落として真っ白な蒸気を立てている。足元の海水自身も「悪路王」の発する熱を受けて激しく煮えたぎり、大小さまざまの泡を生んでは弾いてはまた蒸気を撒き散らすといった様を繰り返している。


その背後には変わらず安倍氏の水軍が「悪路王」を囲い込むように船を密集させてこちら側へ追い立てようと休む事なく銅鑼どらを鳴らし、弓矢を射かけて来る。その距離ももう陸地から見て乗組員の顔も識別できる程に肉薄している。


その船団の中央、一際立派な旗艦の船首に一人の人物が腕を組んでこちら側を見据えているのを金平は捉えた。熊の毛皮らしき上衣を肩がけにして荒縄を腰紐がわりに結んだその男は髭に埋もれた顔でニヤリと白い歯を見せながら挑発するように笑って見せた。



(あの野郎が安倍忠良あべのただよし、北の蝦夷の長……か?)



金平は今まさに「悪路王」と共に上陸せんとする蝦夷の長らしき人物を見逃すまいと目を凝らす。しかしその前に「悪路王」がついにその足を海底から離し、その巨大な一歩を鹿島の海岸線に叩きつけた。


遠く離れていた今までとは違い、直近でその衝撃を受けたために頼義たちはさすがに堪らずその身を地面に転がした。巨人の足はズブズブと砂浜にめり込み、周囲の砂をその熱で溶かしながらとうとうその両足で「上陸」を果たした。

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