坂田金平、虎と一騎打ちするの事

「お前、お前が……」



目の前にいる巨大な獣と向かい合いながら坂田金平が呻いた。



「お前が昨日の……あの……!?」



思わず頼義が頭を抱える。まだコイツ猫だと言い張るのか。



「はっ!!相手がバケモンだっつーなら遠慮することもねえ、よくも俺たちの国を荒らし回ってくれたなあ猫野郎!!串刺しにしてその皮剥いで干物にしてやらあ!!」



自分でど田舎とか言ってたくせにどの口が言うか。しかし事態はそんな悠長な事を言っていられる状況では無かった。日が暮れて人の行き来もない町外れとはいえ、誰かに目撃でもされたら一大事である。なんとかこの猫、もとい虎をもっと郊外にまで引きつけねば……



「おりゃあっ!!」



金平は頼義の焦りなど意にも介さず往来で堂々と剣鉾を振るい虎に化けた経範に向かって容赦無く斬りつける。いかな大型の野獣とはいえ、歴戦の金平が本気になってかかれば無事では済むまい。素手で熊と取っ組みあった事もある金平である。自分を倍する体格の巨獣を相手にしても怯むことなくその剣の腕を存分に振るっていた。


対する虎の方は、驚くべき事に一切避けることもかわすこともせずに、金平の一撃一撃を全てに食らっている。突き、刺し、斬りつける、その全てを恐れる事もなく虎は己が身で受け切っていた。一呼吸の間に無数の連撃を食らわせていた金平は、そこで初めて攻撃をやめ、後ずさって荒い息を吐いた。



「な、なんだと……お!?」



金平は間違いなく本気だった。その一撃一撃にみな必殺の気合を込めて放ったはずである。そのどれを食らったとしても普通なら真っ二つに斬り落とされるなり頭を吹き飛ばされるなりしていたはずだ。それなのに……


虎は全くの無傷だった。



「金平、やめなさい!!剣を下ろして!!」


「バッカヤロウこの状況が分からねえのかってえんだよ!?今剣を下げたらやられるのはコッチだっつーの!!」



虎は金平の剣鉾けんほこにも全く動じる事なく黄金の体毛をなびかせながらジリジリと近づいて来る。金平はそれでも踏ん張ってもう一度連撃を食らわす。最後の一撃は間違いなく虎の眉間を打ち砕いて中身の脳漿を飛び散らせたはずだった。だがその渾身の一撃すらも虎の鋼のような頭蓋骨は傷一つつかずに軽々と金平の剣鉾を跳ね返した。


金平は愕然とする。今まで野の獣、人間、鬼、魔物とこの世あの世問わずあらゆるものをぶった斬って来た金平だったが、今初めて、自分の剣が全く通用しない相手と遭遇している!!額に汗がにじみ出る。こんなに冷たい汗をかいたのもまた初めての経験だった。



「金平、森へ!!」



頼義が背後から叫ぶ。



(ふざけんな敵に背中を見せて逃げられるかよ!!)



などと格好つけた事を言う金平ではない。引き時と見極めた金平は、剣鉾を納めるなりと背を向けて一目散に森の茂みの中に身を投じた。虎となった佐伯経範さえきのつねのりはもはや人間としての理性も持たぬのか、遠雷の響くような唸り声をあげて頼義たちの後を追って来る。


金平と頼義は二手に分かれて虎の気をそらす。どちらに虎が向かうか、いずれにせよどちらか一方には背を向ける事になる。その隙をつけば……しかし、どうやってあの虎を倒す?斬っても突いても傷一つつかない、文字通りの魔獣相手に、どのような手立てがあると言うのか……!?


金平は茂みに隠れて剣鉾を握り直す。頼義も虎を挟んで反対側の木陰に身を潜めて愛刀の「七星剣しちせいけん」を鞘から抜きはなった。さあ、どっちを狙う……?


永遠に続くかと思われた緊張の沈黙は虎の意外な行動によって破られた。虎は金平の方にも頼義の方にも向かわず、全くの別方向に向かって突進して行ったのだ。意表を突かれた二人は思わず対応が遅れた。



「しまった、まさか他にも人が……!?」



頼義は焦りのあまり思わず大声を上げてしまう。もし近くに通りすがりの者がいて、虎がその気配を察知して照準をそちらに変えて向かったのならば大惨事である。金平もまた悪態をつきながら虎の後を追った。


二人が駆けつけた時にはもうすでに事は終わっていた。虎は背中を向けてクチャクチャと音を立てながら何かを咀嚼している。あたりに異様な匂いが充満する。その匂いのキツさに鼻の効く頼義は思わず顔をしかめた。虎は夢中で獲物をかじり、鼻を擦り付け、恍惚としてその巨体を草むらに転がり回す。やがてウットリと半開きになった口からよだれを滴らせて虎はおとなしく寝入ってしまった。


虎の周囲には無残に散らばった……植物の蔓やら実やらがまだむしり取られた直後のきつい木の香を漂わせていた。



「……これは、夏梅か?」



頼義が折れた草木の枝を手に取り、その匂いを嗅ぎながら呟いた。夏梅、あるいは和太太備わたたびなどと呼ばれるその植物は、「木天蓼もくてんりょう」という神経痛などの諸症状に効く生薬の原材料として使用される。


またこの植物の特徴は、猫が大好物であり、その実を食すと酔っ払ったような状態になる事で古来からその名が知られていた。



「まさか、虎にも効く、とは……」



頼義は急速に力が抜けてガックリとその場に膝を落とした。金平はあまりにもあっけない戦闘終了の合図に、まだ呆然としたままである。


虎となった佐伯経範はいまだそのままの姿でのんびりと寝息を立てている。

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