筑波郡衙、森に飲まれるの事

半日前まで郡庁舎の建物が並んでいた街並みは、今は見る影もなく無数の大樹に埋め尽くされていた。庁舎は軒並み破壊され、そこら中にその残骸が山積みとなっている。欠け始めた満月の光に晒されて保管していた紙の書類や木簡やらがそこかしこに散乱しているのも見て取れる。


筑波郡つくばぐん郡衙ぐんがは一瞬にしてその全機能を停止させられてしまった。


残骸の周囲には潰された庁舎から追い出されて来た役人たちが、何もなすすべもなくただ呆然と突如現れた「森」を見上げていた。


そんな彼らを捕まえて頼義と金平は事態の詳細を聞いて回る。役人たちの証言では、日が暮れて庁舎の勤めも終え、皆が帰宅した頃に突如としてこの樹々がのだという。



「上から?地面の下から生えて来たのではなく?」



下から生えて来るのだってこんなに急速に成長はすまい。それだけでも十分に異様な出来事であるのに、この大樹は空から落ちて来て、建物を破壊し、地面をえぐり、根を張り、瞬く間にここら一帯を広大な「森」に変化させてしまったらしい。


調べてみると、確かに地面は耕したばかりの畑のように柔らかく、新鮮な土の匂いが辺りに充満していた。頼義と金平は手分けしてこの樹木の侵略の被害範囲を確かめるために走り回ったが、確認できる範囲だけでもどうやら筑波山の麓からこちらに至るまでのほとんどの地域が同じような突如として現れた樹々によって埋め尽くされているようだった。のどかに広がった田畑は容赦なく潰され、開拓前の原生林へと戻ってしまっている。



「なんて、こと……」



さすがの頼義もこのあまりに常軌を逸した超自然現象を目の当たりにして、手を打つことも出来ずに頭を抱えてしまう。これも「山の佐伯」と呼ばれる蝦夷えみしたちの仕業なのだろうか。魔術か、幻術か、いずれにせよこの「攻撃」によって筑波郡一帯が壊滅的な被害を被ったことは間違いなかった。


不幸中の幸いと言うべきか、これだけ大規模な破壊行為が行われたにもかかわらず、人的被害はほとんど見られなかった。死者はおろか怪我人すらも数えるほどしかいない。その怪我人も、別に何者かの攻撃を受けたわけでもなく、ただ単に慌てて転んで膝を擦りむいたなどという程度の報告しかなかった。まるでに配慮されたかのようなある意味スマートなこの襲撃は、一層頼義に不気味なものを感じさせた。



「くっそう、なんなんだよワケわかんねえな。連中いったいここをどうしたいってえんだ!?」



金平も敵?の意味不明な行動に理解が追いつかず苛立ちを隠せないでいる。



「山の佐伯……」


「あん?」



頼義の独り言に金平が反応する。



「昨晩、私たちに語りかけて来たあの声の主……彼らが『山の佐伯』と呼ばれる人たちなのかはわからない。けど、この幻術とも方術とも知れぬの技を施したのは間違いなくあの連中でしょう。なんとしても彼らと連絡を取り、事情を聞いてこのような行為はやめさせねば」


「おう。だがよう、どこから探しゃあいい?なんせ連中姿も分からねえ。どんな姿なりで、どんぐらいの人数がいるのか見当もつかねえぞ」


「……このままこうしていても事態は好転はすまい。とりあえず被災した人々を安全な場所まで避難させ、昨日彼らの声を聞いた『裳羽服津もはきつ』まで行きましょう。こちらから呼びかけて応じるものかどうかはわかりませんが、とにかく行動を」


「その必要はない。アイツらと話がしたければオレが取り継いでやる」



突然話に割って入って来た声に、頼義も金平も反射的に声の方向へ振り向いた。


そこにいたのはどこにでもいそうな小柄の少年だった。ただ、その瞳だけがまるで燃え盛る炎のように爛々と照り光っているのが印象的だった。



「挨拶も無しに割り込んでわりいな。アンタ、常陸介ひたちのすけ源頼信みなもとのよりのぶの御曹司なんだろ?」



少年が不遜な態度でそう問いただす。



「いかにも、常陸介が嫡子、頼義と申します。貴殿は……?」


「オレは……佐伯経範さえきのつねのりってぇんだ」


「佐伯……!?」


「そう、世に言う『山の佐伯』『野の佐伯』と呼ばれる一門の一人だ。此度こたびの……」


「テメエの仕業かあああああ!!!!!!」



最後まで言い終わらぬうちに金平は激昂して剣鉾を振り回そうとする。思わぬ急襲に佐伯経範と名乗った少年も反射的に身構えたが、金平が剣鉾を突き立てるよりも早く頼義が鉄扇で金平の頭をどついた。



「痛えええええええ!!!」


「落ち着きなさい金平。まだこの方が今回の騒動の大元だとは判明してないでしょ!ホントにせっかちなんだから。あ、すみませんウチのバカがおほほほほ」



目玉が飛び出でんばかりに見開いて頭を抑えて痛がる金平に頼義は笑顔でもう一度鉄扇の一撃をお見舞いする。金平の電光石火の急襲にも驚いたが、それよりも早く動いてその一撃を防いだ形になった頼義の早技にも佐伯経範は面食らってしまった。



「して、『佐伯経範』どのと申されましたね。この異常事態の件、何かご存知でおられますか」



真顔に戻って頼義が経範に問いかける。



「お、おう、そうだ。オレはアイツらをんだが、間に合わなかった」


「ではこれはやはり『山の佐伯』の仕業であると?彼らは何処におられる、私はどうしても彼らに問いただしたい事があるのです」


「アイツらはもう。わかんだろニブいなあ」



初対面の相手にも容赦のない経範の言葉に頼義も金平も思わず周囲を見回す。金平にはその姿は見えなかったが、頼義には確かに昨晩と同じように無数の気配が一斉に沸き起こるのを感じ取った。



(これが『山の佐伯』?まさか……!?)



ざわざわと葉が擦れ合う音に混じってあの声が聞こえる。



「備えよ、備えよ……アレが来る。恐ろしい、恐ろしい」



低く空気が直接震えるような音で昨夜と変わらぬ文言を繰り返す。彼らの姿は依然として捉えることがかなわない。



「山の佐伯よ、申されよ。これはいかなる意図をもっての所業であるか?これも『悪路王あくろおう』の襲撃を迎え撃つための準備なのか!?」


「悪路王……ああ、恐ろしい、恐ろしい……」


「答えよ山の民よ、我もまた同じくして『悪路王』の脅威に対抗せんとする者である。事によっては共に手を取り『悪路王』を迎え撃つ事が叶うやも知れぬ。教えよ、『悪路王』とは何者か!?」



「なに?」


徐福じょふくに尋ねよ。徐福の残した痕跡を辿れ。徐福こそが、全ての始まりである……」

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