眞髮高文、鹿島神宮の由来を語るの事

眞髮高文まがみのたかふみの襟首をと掴んで頼義が叫んだ。



「今、何と言われた!?『悪路王あくろおう』が来ると!?」


「ぎょ、ぎょぎょぎょ……」


「眞髮どのは『悪路王』が何者なのかご存じなのですか!?教えてください、『悪路王』とはいったい……!」


「まったまったまった。話す前にオッサンが死ぬ」



金平がの所で取り押さえたために、頼義に締め上げられて白目を剥いていた眞髮高文はかろうじて息を吹き返した。



「あ……これは失礼をば」



頼義が慌てて手を離す。



「おおお、三途の川が一瞬見えた。俺っち川漁はしねえんだよあービックリした」



まだ目を白黒させている高文に、頼義はあらためて今彼が口走った『悪路王』という名について詳細を求めた。



「んー、あっしも詳しい事ぁ知りやせんが、ここらじゃあ『北』から襲って来る蝦夷えみしどもの事をそう呼びやすぜ昔っから。なんでも山ほどもある図体のでけえで、人を食って回るとか。ンなもんだからここら辺で育つガキどもは悪さすると親御さんから『言うこと聞かないと悪路王が来るよ』って脅かされるく国衙こくがらいでさあ」



高文の説明に頼義はふむふむと頷く。父が話していた「阿弖流為アテルイ」との戦いの記憶が鬼の伝承としてこの地に伝え続けられて来たという事なのだろう。



?いやいやそんな蝦夷の酋長だかなんだかは知りやせんがね。その『悪路王』というヤツはものなんでさあ、何百年も前から、定期的に、この常陸国ひたちのくにをね」



眞髮高文は意外な返事をした。「悪路王」の言い伝えは歴史的事象の比喩では無く、実際に巨大な大鬼が攻め来るのだと、彼はそう言った。



「若さまはご存じか知りやせんが、那珂なか郡の大櫛おおぐしという小山に座って、そっから手を伸ばして鹿島灘の貝をすくって食っていたんだとか。今でもそこにゃあソイツが食い散らかした貝殻が山になって埋もれてるって話でさあ」


頼義は記憶を巡らす。那珂郡ももちろん巡察に行ったが、その「大櫛」という土地には足を運んだ記憶はなかった。だが頼義は、金平に読み聞かせてもらった「常陸国風土記」の中に同じ事を語った記述があった事を覚えていた。すると、その巨人こそが「悪路王」であったのだろうか。



「まあ、あっしもから信じてるわけじゃあねえんですがね、まあそんなワケで土地のモンは何か良くねえ事が起こると『悪路王』が来たーって騒ぎ出しやがるもんで、ハイ。その度にいちいちみんなして鹿島神宮サンのとこに駆け込んでちゃあたまったもんじゃねってわけで」


「鹿島神宮へ?」


「へえ。あ、若サマは鹿島のお社の由来をご存知でない?いやあっしも詳しくはねえが、元々鹿島ってトコは大昔はもっと細長い『岬』のような形をしておりやしてね。その先端にくだんの『悪路王』の侵入を防ぐために作った砦をそのまま神社にしちまったのがなんでさあ」


「砦?鹿島のお社が?悪路王と戦うための?」



頼義が驚きの声を上げる。古い神社であることは知ってはいたが、それは初耳だった。



「へい、あそこと下総しもうさの香取神宮は今の朝廷ができるよりずっと前から蝦夷、いや『悪路王』の侵略から守るための『柵』として建てられていたものらしいですぜ。長いことその『悪路王』の襲来も無くなって、砦としてお役御免になった後ああして神社として祀られたのが鹿島さんと香取さんのそもそもの始まりでさあ」



眞髮高文の説明を受けて、頼義は思考を巡らす。鹿島神宮の主祭神は「建御雷たけみかづち男神おのかみ」、香取神宮の主祭神は「経津ふつぬしのかみ」である。共に「古事記」「日本書紀」に書かれた国譲り神話では天津神に従わぬ邪神、草木、石の類に至るまでことごとく平定した武神として描かれている。ここ常陸国は皇祖たる天津神と、それにまつろわぬ国津神=蝦夷たちとの勢力争いの最前線だったのだ。



「その北の蝦夷たちのもたらす最大の脅威が『悪路王』であったと、ということか……」



筑波での異変、鹿島灘での異変……まさか、本当に「悪路王」が再びこの地を襲う前触れだとでもいうのだろうか。少なくとも「裳羽服津もはきつ」にて遭遇した「山の佐伯」と思しき姿なき連中はそう言って、警告もして来た。



(備えよ、守れ……悪路王が来る……!!)



ひとまず頼義は即席の紹介状をしたため、それを眞髮高文に渡した。それを持って国衙こくがに届け出をすれば鹿島灘周辺で起きている異常事態の事は父の耳にも入るだろう。そちらの方は父と国府の役人に対処を任せ、頼義は筑波に戻りもう一度「山の佐伯」の連中と会い、事情を聞きただす必要があると判断した。連中が常陸国にこれ以上被害をもたらすのであれば看過はできない。それ以上に、彼らが持っている「悪路王」の情報を少しでも引き出したい。そのためにはもう一度あの森に赴いて彼らと話をする必要があった。


頼義と金平は再び馬を走らせて急ぎ筑波郡の郡衙ぐんがへと走った。


夕刻、日が沈んですっかり辺りが暗くなった頃に郡衙まで戻って来た頼義と金平は、再び目の当たりにした異常事態に只々呆然とするばかりだった。出発する前は何も変わらぬごく普通の郡庁舎のあった街並みは今……


無数に乱立する大樹に覆われて鬱蒼とした森に変化してしまっていた。

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