第4話 アガルタを発つ日
「人はその短い一生の中で数多くの辛苦を味わい、苦難を乗り越えていくものじゃ。 そうして、その経験が糧になるのじゃ」
「うふふ、それならこんな穴の底まで落ちて来た私はアガレス様達に会えて、凄く良い経験を得られた訳ね」
アガレス様の屋敷に来て、もう何年も経った気がする。 桃源郷に辿り着いた人はそのあまりの居心地の良さに帰る気が無くなってしまうらしいけれど。 アガルタがまさにそんな感じだ。
最初はとんだ人外魔境だと思ったけれど、住んでみればとても良い所だった。
食事はお肉は魔獣のお肉で、料理長のマルバスさんの腕のおかけか野生味が有りながらもとても美味しく仕上げてくれる。
お野菜も屋敷の近くで栽培しているため、いつでも新鮮な物をいただけた。
ただ、地上では見たことがない様な野菜が多かったけれど。
種蒔きや収穫等、手伝わせてもらえる事もあり、初めて自分で育てたお野菜を収穫した時はとても嬉しかった。
そして、この数年の間になんと訪問者が6人も居たのだ。
この広大な地下空間にはアガレス様達以外にも住人がいるみたいで、たまーにだけ交流があるみたいだ。
それと、アガルタでは手に入らない地上の品物や情報などを持って来てくれる行商人が年に一回ぐらいのペースでやってくるらしい。
つまり穴から落ちなくてもアガルタへと来る方法があり、往き来する事が可能という事がハッキリとした。
アガレス様達は何も言わなかったけれど、もしかしたら帰ろうと思っても帰れない可能性も考えていたから良かった。
私は毎日、ルーやジョゼさんと訓練を行い、アガルタを探索したり、マルバスさんと料理をしたり、日課のお祈りをしてアガレス様とお話をする。
今ではお祈りの度に歌う、私の歌を皆んな楽しみにしてくれているらしい。 良かった。
「神を信じるという事は神を信じる自分を信じる、という事じゃよ。 自らを信じ、愛する事じゃ。 自分を愛することの出来ないものがどうして他人を愛せるのじゃろうか」
私が迷った時、アガレス様は優しく道を示して下さる。
「もしも、神の声が聞こえてきたならば、それは自らの内なる叫びじゃ。 マリー、自分を信じてその声に従うのじゃ」
「はい! アガレス様」
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「マリー、夕食の準備ができたっピ」
マルバスさんの厨房で働いている鼠人のラルが祈りを捧げていた私を部屋まで呼びに来てくれた。
「ラル、ありがとう。 神託が下ったわ」
私は食堂へと入ると、先に席に着いているアガレス様に深く一礼をする。
「アガレス様、神託が下りました。 明日の朝、ここを発とうと思います」
「ほぅほぅ。 そうか…… 寂しくなるの。 まぁ、温かいうちに食べなさい」
「はい」
アガレス様は少し寂しそうに呟くとスープをひと口啜った。
アガレス様の後ろに控えているルーとジョゼさんは身じろぎ一つしなかったけれど、マルバスさんとラルや他の鼠人達は涙を流してくれていた。
私も温かいスープをひと口、口に含むと初めてこの屋敷に来た時を思い出し胸が苦しくなった。
「このアガルタはもう長い事停滞した地なんじゃ。 その過酷な環境からこの地で生きられる者は少ない。 新しい人など滅多に来ない、何の変わり映えの無い無味乾燥な日々がずっと続く…… そんな場所じゃ。 だからマリーがここに来てくれてワシは孫が出来たみたいで大変嬉しかったのじゃ……」
「アガレス様…… 私もアガレス様をおじいさまの様にお慕いしております」
「聡いマリーならもう分かっておるのじゃろう? 此処は地上とは時間の流れが違う。 マリーが此処に来てから4年程の月日が経つ…… けれど、その姿は殆ど成長しておらん」
そうなのだ。 気づいていた、12歳で此処に来てからかなりの年月が経った気がしたけれど、姿見で見る自分の姿はほとんど変化が無かった。 アガレス様の話が本当なら私はもう16歳の筈なのに……
この屋敷にはカレンダーも時計も無いし、太陽も登らない。 だからか時間の感覚がひどくあやふやで、もしかしたら私が思うよりもずっと1日は長いのかとも思った程だ。
「地上の4年でようやく1年経つぐらいしか進まないのじゃ。 老い先短い年寄りが悪足掻きでしがみつく様な場所なんじゃ。 マリーにはまだ地上で多くの人々と出会い、輝く未来がある。 マリーなら多くの迷える人々を赦し、導いて救済できるじゃろう。 ワシも救われた1人じゃ、ありがとう」
「何を…… 何をおっしゃいます。 救われたのは私です! 短い間でしたが此処に置いて頂けて幸せでした!」
「ほぅほぅほぅ…… ルーよ。 お前も地上へついて行きなさい」
「アガレス様、俺は……」
「お前はもう大丈夫じゃ。 あとはこのぬるま湯から出る勇気だけじゃ。 マリーの来訪はお前が地上へと戻る為の良いキッカケになると思っておった。 ワシにはジョゼが居れば大丈夫じゃよ。 マリーを助けてやってくれんか?」
「……かしこまりました」
その日、私はアガレス様に抱きついて盛大に泣いてしまった。
アガレス様はそんな私の頭をずっと撫で続けてくれた。
次の日の朝、荷物を纏めてホールに降りるとすでにルーは準備をして待っていた。
「マリーちゃん、これお弁当だよ。 道中で食べて。 気をつけるんだよ」
「気をつけて行ってくるっピ! 帰りにはお土産よろしくっピ!」
マルバスさんとラル達鼠人がお弁当を用意してくれていた。 嬉しい。
「マリーお嬢様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
ジョゼさんは最後まで表情の変化がなかったけれど、
「マリー、お前の信じる道を進むのじゃ。 お前は強くなった。 それにこんな老ぼれも救ってくれた本物の聖女だ。 我が孫、マリーよ。 世界を愛し、世界を救うのじゃ。 ……そして元気でな」
「アガレス様、安心して下さい。 ここからは一方的な救済です! みんな! ……お爺ちゃん! 行って来ます!」
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