第16話 これにて一件落着
煙が晴れると、そこにはハインツが地に伏したまま横たわっていた。
彼の体は砂塵にまみれ、ところどころ服が焦げ、まるで火の通り過ぎた紙のようにボロボロになっていた。それでも、彼の胸はかすかに上下し、辛うじて生を繋ぎとめている様子だった。
オルレアはその姿を見つめ、ゆっくりと歩み寄る。その動きには何の急ぎもなく、まるで時間そのものが彼のために静止しているかのようだった。
「生きてたか。やっぱりお前、強いよ。殺す気で撃ったんだけどな」
彼はハインツの顔を見下ろし、口元に微かな笑みを浮かべた。
その顔には、ほんの一瞬だけ驚きが現れたが、すぐにそれは消え去り、代わりに淡い敬意の色が浮かんだ。
オルレアは軽く肩をすくめ、ハインツの生命力を賞賛するかのように柔らかく笑う。
ハインツは息を荒くしながら、地面に押しつぶされたような姿勢のまま動けなかった。
彼の体はオルレアの攻撃に耐えた証として重く、痛みが全身を支配していたが、その目にはまだ意志の光が宿っていた。だが、その光は次第に薄れ、疲れと絶望が混ざり合った感情が彼の表情に浮かび上がってきた。
オルレアはそんな彼を見下ろしながら、少しばかりの哀れみを含んだ声で語り始めた。
「お前の敗因は、俺を甘く見たことだ。俺も人のことを言えないし、まっとうな道を歩いてこれたわけじゃない。だから、その辺りはお前と分かり合えると思うんだがな」
オルレアの声は静かで落ち着いていたが、その言葉には深い洞察が感じらる。
彼の顔には柔らかな表情が浮かび、その瞳の奥には複雑な感情が宿っていた。
過去の苦悩、そしてそれを乗り越えた者だけが持つ静かな強さがそこにはある。
「まぁ、俺はチンピラにはならなかったがな」
彼の意識はまだ混濁していたが、それでもオルレアの言葉は彼の心に深く突き刺さったのか、ハインツはかすかに眉をひそめた。
彼の表情には苦悩と共に苛立ちが浮かび上がり、その感情は彼の体の中で静かに渦巻いていた。
「……何だと?」
ハインツは、かすれた声で問い返した。その声には疲れがにじんでいたが、まだ彼の中には戦う意志が残っているようだった。
彼の目はオルレアを捉え、理解しようとするかのように見つめていた。
彼はそんなハインツに対して、さらに言葉を続ける。
「お前さ、なんでチンピラなんかやってるんだ? 他にやりたい事はないのか?」
その問いかけはまるで自分自身に向けられたもののようだった。
オルレアはその場に立ち尽くし、ハインツの答えを待ちながら、かすかに首をかしげる。
ハインツはその言葉に一瞬戸惑いを見せたが、すぐに自分の中で何かを思い返すように目を閉じた。そして、彼の体はまた重たく地に沈み込み、苦しげな息を吐いた。
それでも、彼の中に何かが変わり始めたように見えた。
オルレアの言葉は、彼にとって単なる挑発ではなく、もっと深い何かを刺激していたのかもしれない。
呼吸は乱れ、体中が痛みで震えているのが明らかだった。それでも彼は、強がるように視線を外さず、口元にかすかな笑みを浮かべていた。
「……別に、それしか道がなかっただけだ」
オルレアはその言葉を受け止め、少しの間黙っていた。風が吹き抜け、砂埃が二人の間をすり抜けていく。やがて彼は、淡々とした口調で言葉を返す。
「ふーん、何でもいいけどな」
「なら聞くなよ」
ハインツの声には怒りよりも諦めが混ざっていた。彼の顔には、自分の運命を嘲るような笑みが広がる。オルレアはその様子を見て、少し笑いを漏らした。
「そりゃそうだ。……でも何だ。俺はお前の敵じゃない。もし、何か手伝って欲しいことがあるなら、俺はいつでも手を貸すぞ」
オルレアの言葉は予想外のもので、ハインツは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにそれは消えた。
彼は無言でオルレアを見つめ返す。その瞳には、まだ消えない疑念が浮かんでいた。何かを言おうとしたその時、倉庫の崩れた壁の方から足音が響き、二人の視線がそちらに向けられた。
フローゼが倉庫の壊れた壁からゆっくりと姿を現した。
彼女の長い髪が風に揺れ、その姿は堂々としている。
周囲の破壊された光景にも動じることなく、彼女はオルレアに向かって歩み寄った。
「派手にやってるな」
その声は冷静で、どこか楽しげでもあった。
オルレアは、フローゼの登場に少し驚いた様子を見せるが、すぐにいつもの冷静さを取り戻す。
「どうしてここに?」
オルレアの問いに、フローゼは肩をすくめて答えた。
「二人が私の家にまで来て、お前を助けてくれと頼んできたんだよ」
そう言って、フローゼは後ろを振り返る。
すると、彼女の背後からオリバーとルーカスが姿を現した。
彼らの表情には焦りと不安が混じっているが、それでもフローゼの後ろにしっかりと立っていた。
オルレアは冷静さを取り戻しながらも、どこか鋭い視線でオリバーとルーカスを見つめた。彼らがここにいる理由を、心の中で考えながら言葉を選んだ。
「学校に行けと言っただろう。どうして、助けに来たんだ?」
その問いかけに、オリバーとルーカスは一瞬言葉に詰まる。視線を逸らし、無言のまま立ち尽くしていた。彼らの沈黙は短く、しかし重かった。
オルレアはその様子を見て、眉をひそめたが、ふと軽く息を吐いて、再び問いかける。
「もしかして俺が心配だったのか?」
その言葉に反応して、オリバーは即座に顔をしかめ、ルーカスも無言で頷きかけるのを押し留めたかのように微妙な表情を見せた。
そして、オリバーがぶっきらぼうに答えると、ルーカスも続く。
「勘違いするなよ。お前に借りを作りたくなかっただけだ」
「これでもう借りは返したからな」
二人の言葉には、青少年特有の反抗心が滲んでいた。だが、その声の中にはかすかな揺らぎがあり、心のどこかで何かを感じ取っている様子がうかがえた。
オルレアはそのわずかな変化を敏感に感じ取る。
彼らの言葉の裏に隠された真意を見抜いたかのように、急に笑みを浮かべた。そして、すばやく二人の下へと駆け寄り、両肩をがっしりと掴んだ。
「偉い! お前たちは偉い!」
彼の声には力強さと共に、感謝と喜びがこもっていた。
オルレアは目の前の二人に向かって、強い感動を隠すことなく伝える。
「損得勘定なんかじゃなくて、自分の基準から行動したんだよな。正直言って、感動したよ」
二人は、オルレアの突然の称賛に戸惑いを隠せず、顔をしかめて反応する。
オリバーは軽く肩をすくめ、ルーカスは不満げに視線をそらした。
「やめろよ……」
ルーカスが小声で呟きながら、オルレアの手を軽く押しのけようとするが、その力は弱く、心底から嫌がっているわけではないようだ。
オリバーも同じように、半ば照れくさそうに口をとがらせる。
「そうだよ、やめろって」
オルレアは彼らの反応を見て、少し笑いながらもその手を離さなかった。
彼の笑顔には、ただの冗談や軽い言葉ではなく、心からの称賛と誇りが滲んでいる。
「で、このチンピラ達はどうするつもり? お前の生徒に手を出したんだし、私に任せてくれるなら始末しておくけど?」
まるで何でもないことのように、命を奪うことを提案するその口調には、微塵も感情が感じられなかった。しかし、それがフローゼだ。彼女は常に冷静で、状況を正確に判断し、敵を排除するという事に関して感情に流されることがない。
オルレアは少しだけ眉をひそめたが、すぐにその表情を解いた。
「確かにこいつらは卑劣な策を用いた。本来であれば、万死に値する罪なのだろう。でも今回の場合、俺も悪かったし、オリバーとルーカスも、そしてこいつ等も悪かった。みんなが少しずつ間違いを犯して、結果としてこうなった。だから、これにて一件落着にしたいと思う」
オルレアの言葉に、その場の空気が一瞬にして変わる。
フローゼの冷静な提案に対し、オルレアはそれを一蹴し、より大きな視点から状況を収束させようとしていた。
「ハインツ、聞こえてるか? お前らもそれでいいよな」
オルレアは地面に横たわるハインツに向けて問いかけた。その声は静かで、しかしどこか確信に満ちている。
彼はしばらく目を閉じていたが、ゆっくりと頷いた。
「あぁ、それでいい」
オルレアはその答えに一度頷くと、今度はオリバーとルーカスの方に顔を向けた。
「最後はお前たちの判断だ。もしお前たちが許せないというのなら、仕方ないけどこいつ等はこの世からサヨナラしてしまう。でも、お前たちが自分も不義理を働いたということで許してもいいというのなら、この件はそれで終わりにする。そこで、お前たちはどうしたい?」
二人は一瞬目を合わせ、そしてゆっくりと顔を伏せた。しばらくの沈黙が流れる。オリバーがまず口を開いた。
「俺たち……本当に怖かったんだ。あのとき、どうしようもなかった」
「そうだよ……でも、俺たちも悪かったんだ。こんなことになるなんて、考えもしなかったし、もっと冷静になるべきだった」
二人の言葉は震え、どこか後悔の色がにじんでいた。しかし、その声には少しずつ決意がこもり始めた。ルーカスがさらに続けた。
「……だから、許すよ。これ以上、争いたくない」
「同じだ。これで終わりにしよう」
オリバーもそれに同意するかのように頷く。
オルレアはその答えを聞いて、少しだけ目を細めた。そして、静かに微笑んだ。
「それを聞けて嬉しい。やっぱり、お前たちは立派だ。その高潔さ、慈悲深さは大切にしろよ」
彼の言葉に、オリバーとルーカスは少し照れたように肩をすくめたが、その顔にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
オルレアは彼らの肩を軽く叩き、もう一度笑みを浮かべた。空気が少しだけ柔らかくなったような気がする。
最後に彼は、フローゼに視線を向け、同意を求めるように目を細める。
彼の表情には軽い期待と不安が混ざっていたが、それはほんの一瞬のことだった。 彼女はその問いに対して、あっさりと答える。
「本人たちが了承しているなら、私が口を出すことはない」
オルレアは彼女の答えに満足げにうなずき、肩の力を抜く。
「これにて一件落着だ」
意気揚々に言い放つ彼の言葉に、場の緊張は一気に解け、そこにいた者たちは一斉に笑い始めた。
笑い声は徐々に大きくなり、疲労感と安堵が混じったその場の空気を少しだけ軽くした。
しかし、フローゼは微笑を浮かべながらも、冷ややかな一言を付け加えることを忘れなかった。
「ただ、私の家に襲撃をかけた事は、まだ残っているがな」
彼女の毒を含んだ言葉はまるで冷たい刃のように鋭く、笑い声は一瞬にして止んだ。
「なぁフローゼ、その事なんだけど」
チンピラたちの顔に再び浮かんだ恐怖の色を見て、オルレアは何とか彼らを庇おうとするかのように言葉を継ぐ。
フローゼは彼を見つめ、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。
「安心しろ。私も鬼ではない。反省しているようだし、軽い罰くらいで許そう」
オルレアはその言葉に少し驚いた様子で眉を上げ、「……軽いね」と小声で呟いた。それからチンピラたちに目を向け、肩をすくめながら苦笑いを浮かべる。
「まぁ、お前らも頑張れよ」
その後、オルレアは二人に目を向けると、彼らの肩を叩いた。
「さぁ、俺たちもそろそろ学院へ向かうぞ。この時間から向かえば、遅刻だろうけど」
オリバーとルーカスは、まだ少し緊張した様子でオルレアの言葉に頷いた。
彼らの顔には疲労の色が浮かんでいたが、同時に何かを成し遂げた達成感も感じられる。
フローゼはそんな彼らを見つめ、口元に微かな笑みを浮かべた。その笑みは、彼女なりの賛辞と理解を示すものだった。
オルレアはそれに気づくと、彼女に声をかける。
「何だよ。何かいいことでもあったのか?」
「いや、別に。お前の教師らしい姿を見て、泣きそうになっただけだ」
「うるさいな。少しばかり俺も真面目に学院に行ってもいいかなと思っただけだ。ただの気まぐれだ。明日になれば、またいつもの俺に戻ってるよ」
オルレアはそう言い残すと、二人連れて倉庫の出口へと歩き出す。
フローゼはその場に残り、しばらくの間、彼らの背中を見つめていたが、その表情はどこか我が子の成長を喜ぶ母親のような温かさがあった。
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