第13話 謝るということ

 翌朝の空は、果てしない青のキャンバスに、名画のように美しく晴れ渡っていた。

 街路樹の葉は、そよ風に揺れながら優しくささやき合っているかのようだ。


 オルレアは、昨日の騒動の痕跡などまるでなかったかのように、落ち着いた足取りで家を出る。

 彼の顔にはいつものように皮肉めいた薄ら笑いが浮かび、何事もなかったかのように悠々と学院へ向かっていた。しかし、その平穏は薄氷のように儚くも割れてしまう。


 学院への道を半ば過ぎた頃、昨日のチンピラたちが道の先に立ちはだかる。

 彼らのリーダーであろう黒い革ジャンを着た男が、朝の爽やかな空気を切り裂くかのような冷笑を浮かべていた。


「お早いご出勤ですね、ツァラトゥストラ先生」


 オルレアは一瞬だけ彼らを睨みつけ、やがて面倒くさそうに肩をすくめる。


「昨日、あんな目に遭ったというのに、俺にまだ用があるのか?」


「なに、頼み事があるだけだ。おとなしく俺たちについて来てくれたなら危害は加えない」


 冷静ながらも、まるで低く唸る獣のような雰囲気を漂わせていた。

 昨日の屈辱を晴らそうとする決意と、もっと陰険な企みが、その一言に滲んでいるかのようだ。

 オルレアは面倒そうにため息をつき、無造作に手を振る。


「忙しいからさ、後にしてくれないか?」


 その反応は、まるで目の前の要求が彼の一日の予定を乱すつまらない出来事でしかないかのようだ。

 余裕と自信が満ちており、漂白されたような温和な雰囲気すら感じる。


「悪いが、それは出来ないな。それに、お前はきっと言うことを聞いてくれるよ」


 男の態度が変わり、オルレアの視線を真っ直ぐに捉えた。その瞬間、チンピラたちの背後から二つの小さな影が現れる。

 それは、オリバーとルーカスだった。しかし、彼らの姿は昨日とはまるで別人のように変わっていた。

 怯えた表情と、何かに押し潰されそうな姿勢で、二人は彼の前に立っている。


「また、お前らか。そろそろ、いい加減にしてくれないかな」


 オルレアは呆れたように言ったが、その視線は二人の異様な様子に釘付けになった。彼はすぐにその違和感を察知する。

 二人の目には、単なる怯えを超えた何かが宿っていた。

 それはまるで、背後に迫る深淵から逃げ出そうとしているような、凍りつくような絶望の色だった。


「先生が大人しくついて来てくれないと、こいつらがケジメをつけることになる」


 男の無情な態度が明らかになる。

 オリバーとルーカスが人質にされていることを示唆するその様子は、薄暗い朝の空気を鋭く切り裂き、オルレアの胸に重くのしかかる。


 胸中には、怒りと無力感が複雑に絡み合う。

 人質という人の弱点を突く、その卑怯で、醜悪で、唾棄すべき悪魔的策略が、彼の癇に障る。

 彼の視線を受け止める生徒たちの瞳は、まるで助けを求める小鳥のように、不安と恐怖で震えていた。

 オルレアは彼らの態度に苛立ちを隠せない。


「お前ら、仲間じゃないのか?」


 その問いは、冷たく鋭い怒りに満ちていた。

 冬の嵐が押し寄せるかのように、男たちを容赦なく包み込む。


「あぁ、仲間だったさ」


「だった?」


「こいつら、お前に復讐してくれって頼んできたんだよ。子の仇を親が取るのは当然だよな。だから、俺も協力したさ。だが、こいつらはあの魔女に少し脅されたぐらいで、仲間を置いて逃げやがった。こんな奴ら、仲間でもなけれ子分でもない」


 その言葉は、まるで深い闇から響く冷酷な宣告のようだ。

 オリバーとルーカスの顔は瞬く間に青ざめ、言葉を失う。

 彼らの瞳には、恐怖と絶望が交錯し、まるで崖っぷちに立たされた小動物のように見えた。

 オルレアは、その情けない姿を冷たく見下ろし、深いため息をつく。


「お前ら、どうしようもないな」


 彼の態度には、深い失望と軽蔑が滲んでいる。

 それは、鋭く、冷酷で、どこか憐れみすら感じさせない冷たさがあり、重い鉄の鎖のように二人の心に絡みつき、彼らをさらに深い絶望へと沈めた。


「まぁ、俺には関係ないから、煮るなり焼くなり好きにすればいいんじゃないか」


 その無責任な言葉が放たれると、オリバーとルーカスはもちろん、周囲のチンピラたちでさえ驚愕の表情を浮かべる。

 彼らは、オルレアが本気で何を言っているのか理解できず、困惑の色を濃くしていた。


「何言ってんだ?」


 オリバーとルーカスは信じられないという顔をして、絶望的な声を上げる。


「うそだろ……先生……助けてくださいよ」


 嵐の中で迷子になった子供のように震えているが、オルレアはそんな二人に同情を示すことはない。

 それどころか、より厳しい言葉を彼らに浴びせかける。

 

「うるさいなぁ。普段は人のこと馬鹿にしてるくせに、自分が困ったときだけ『先生助けてください』ってのは、虫が良すぎるんじゃないか?」


 オルレアはそう言うと、二人に一歩ずつ近づいていく。

 その歩みは重く、まるで死神が鎌を引きずるかのようだ。

 

 彼は、オリバーとルーカスの前に立ち止まり、その瞳にまっすぐな怒りを込める。

 決して乱暴なものではないが、無情な検察官が被告に向けるような、ゾワリとする目だ。


「昨日はよくも俺をハメてくれたな。相談があるって言うから、家にまで招いてやったのによ。あの後さ、フローゼにめちゃくちゃ怒られたんだよな」


 オルレアは抑揚を抑えたトゲトゲしい批判の現われている調子で言った。


「そんな外道を、なぜ俺が身を削って助けなきゃいけないんだ?」


「あんた……俺たちの先生だろ」


「それなら……見捨てるなんて……」


 オリバーが声を発すると、ルーカスも必死に言葉を紡ぎ続ける。

 わずかな希望と絶望が入り混じり、かすかな救いを求める響きがある。しかし、その努力も虚しく、オルレアの表情は一切の情けを見せない。

 彼の冷ややかな笑みは、凍りついた湖面に浮かぶ薄氷のように冷たく、不気味なものだ。


「残念ながら、就業時間はまだなんだよな。甘えたことばっかり言うなよ、この大馬鹿野郎ども」


 オルレアの言葉は、まるで氷の刃が心を貫くかのように冷たく、嘲笑の響きを帯びていた。それは、彼らの心に深く刻まれる冷酷な現実を示している。

 オリバーとルーカスの顔は、まるで命の灯火が吹き消される寸前の小さな炎のように、希望が消え失せていた。


 オルレアは無慈悲な瞳で彼らを見下ろす。

 その目は、まるで無情な審判のように、彼らの全てを見透かすかのようだった。


「助けて欲しいなら、謝罪しろ」


 それは、残酷な神による最後の審判のようで、オリバーとルーカスの心に鋭く突き刺さる。

 彼らに選択の余地を与えないような威圧感がそこにある。

 しかし、オリバーとルーカスの心には、まだわずかに残るプライドが抵抗していた。


 自分たちの過ちを認めることを躊躇し、ただ茫然と立ち尽くす。

 内心では、謝罪することが敗北を意味すると感じていたのだ。

 オルレアは彼らの反応を見て、深くため息をついた。そして、冷淡に肩をすくめると、無関心そうに言い放つ。


「なら、勝手にしろ」


 その一言で、オリバーとルーカスの心はyり一層の不安に包まれた。

 自分たちの運命が今まさに決定されようとしていることを感じ取っていた。

 オルレアは、そんな二人を見つめ続け、もう一度言葉を紡ぎ出す。

 相変わらず淡白な口調だが、これが最後のチャンスだと言わんばかりの気迫がある。


「自分たちで何とかするのか、それとも俺に頭を下げるのか、どっちなんだ。オリバー、ルーカス?」


 口調こそ冷淡なものではあるが、所々に彼らを助ける意志が垣間見える。

 さっさと、その救いの手を取れ、そんな彼の内なる思いが二人にも伝わったのか、オリバーは、ゆっくりと口を開き、震える声で呟いた。


「……すみませんでした」


 オリバーの震える声が夜の静寂の中に消え、冷たい風に乗ってかき消されるかのようだった。

 その音は、まるで秋の落ち葉が風に舞い上がるように儚く、すぐに消え失せる。


「……本当に、すみませんでした」


 続いてルーカスも、同じように頭を垂れ、低くかすれた声で謝罪の言葉を口にした。

 彼の言葉もまた、氷のように冷たい空気に溶け込み、無音の闇に吸い込まれていった。


 二人の謝罪の声が夜の闇に溶けていく様子は、まるで霧のように消えゆくものであった。

 その声には、屈辱と後悔が込められており、それがオルレアの心にも微かな波紋を広げていた。


 オルレアは、冷たく鋭い視線を二人に向けたまま、その謝罪の言葉を聞いていた。

 表情には一瞬の緊張が走り、背後に隠された何かが顔を覗かせる。

 彼は深く息を吸い込むと、ため息をつくように吐き出した。


「これは貸しにしておくからな」


 その言葉が静かに放たれると、オルレアの表情は少しだけ和らいだ。

 彼の目に一瞬、わずかに喜びの色が浮かび、それは彼が人間らしい感情を持っていることを示している。

 その微笑みは短い瞬間だけだったが、それは確かに存在し、彼の冷たい仮面の下に隠された温かさを垣間見せた。

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