第8話 落ちこぼれ

 その日以来、オルレアは授業に遅れることはなかった。しかし、その変化は表面的なものでしかなく、彼の授業内容は依然として機械的だった。

 教科書を無感情に読み上げるだけで、情熱の欠片も感じられない。


 エデンガルド魔法学院は、卓越した魔術の探求と熱意に満ちた場所だ。

 教授陣も生徒も、魔法という神秘に対する強い関心と探究心を持ち続けている。しかし、オルレアにはそのような情熱が完全に欠けていた。

 彼の無関心な態度は、燃え盛る火の中に氷の塊を投げ込むように、教室の雰囲気を冷やし、生徒たちとの間に深い溝を生んでいた。


 オルレアが教壇に立つたびに、教室全体に冷たい沈黙が広がる。

 彼の言葉は空虚に響くだけで、教室の壁に反響する無機質な音に過ぎない。

 授業は生き生きとした魔法の世界から切り離された、色あせた幻影のようだった。


 その日、四限目の魔法生物学の授業が始まってしばらくして、教室の扉が静かに開いた。

 全員の視線が一斉に扉の方に向かい、遅刻してきた二人の生徒が姿を現した。

 最初に教室に入ってきたのはオリバーだった。

 中背で筋肉質な体格をした彼は、乱れた金髪が額にかかり、その深い青い瞳には鋭い光が宿っていた。

 制服のジャケットは無造作に羽織られ、ネクタイは緩く結ばれている。

 彼の姿勢には、自信と反抗心が見て取れる。


 続いて入ってきたのはルーカスだった。オリバーとは対照的に、細身で冷静な佇まいを見せている。

 短く整えられた黒髪と、知性を感じさせる灰色の瞳を持つ彼は、オリバーとは違い、制服をきちんと着こなしていた。

 ネクタイもぴんと結ばれ、外見には何の乱れもないが、その態度にはどこか冷めた気だるさが漂っていた。


 この二人は、エデンガルド魔法学院における典型的な「問題児」だった。

 どんなに厳格な制度を持つ場所でも、必ず存在する落ちこぼれ達。

 彼らは、学業に対する真剣さを欠き、周囲との調和を乱す存在として知られていた。

 教室内の空気は、一瞬の張り詰めた緊張に包まれる。

 オリバーとルーカスが遅刻するのは珍しいことではなかったが、その存在感はいつも教室全体に不協和音をもたらしていた。


 教室内の空気は、一瞬の張り詰めた緊張に包まれる。しかし、オルレアは顔を上げることなく、淡々と教科書の読み上げを続ける。

 その無関心な態度は、冷たく鋭い刃のように生徒たちの心に突き刺すようだった。


「先生、遅刻しました!」


 しびれを切らしたオリバーが、あえて大きな声を出すと、オルレアは顔を上げることなく、ただ「いいよ、座って」とだけ言った。

 その言葉は無味乾燥で、まるで感情を排除した機械のようだった。

 二人は顔を見合わせ、薄く笑みを浮かべてから空いている席へと向かう。

 オリバーは教室の後ろの席に無造作に座り、ルーカスはその隣に腰を下ろした。

 二人はささやき合いながら、教科書を広げる様子もなく、授業に対して全く興味を示していない。


 教室の時間が静かに流れていく中で、オルレアの無関心さに対する生徒たちの苛立ちは次第に増していった。

 彼の声は、教室の壁に反響するだけで、生徒たちの心には届いていない。

 教室内は、まるで沈黙の海に漂う船のように、ただ時間が過ぎるのを待っているだけだった。


 ほとんどの生徒は、自習や教科書を読むことで自らの学びを補おうとしていたが、教室の後ろでオリバーとルーカスが繰り返す私語は、その静けさを小さな波紋のように乱していた。

 彼らの態度は、まるで教室全体に対する挑発であり、規律を嘲笑っているようだ。


 その時、教室の中ほどに座るセレスティアが、ついにその我慢の限界に達する。

 彼女の中で燃え上がる怒りが、その静かな海を突き破るように立ち上がり、彼女の瞳には決意の炎が宿っていた。

 彼女の立ち上がる音が、教室全体に響き渡り、彼女の強い視線がオリバーとルーカスに向けられる。


「あなた達、ここに何しに来たんですか? 皆の邪魔をするくらいなら、出て行ってもらえます。私たちはあなた方と違って忙しいので」


 その一言は、鋭い剣のように教室の空気を切り裂く。

 その言葉に、教室内は一瞬で静まり返った。オリバーとルーカスは、驚いた表情で彼女を見つめ、その後、怒りの色を浮かべる。

 オリバーの青い瞳が冷たく光り、ルーカスの灰色の瞳が鋭く細められた。


「おい、お前、いったい何様のつもりだ?」


「少しお勉強ができるからって、自分が特別だとでも思っているのか?」


 オリバーとルーカスが冷ややかに問いかけると、椅子を蹴って立ち上がり、セレスティアに向かって近づいていく。

 彼らの怒りは、獲物に向かってゆっくりと狭まる肉食獣のように、彼女に迫っていく。しかし、彼女は一歩も引かず、彼らの前に立ちはだかる。

 眼差しには、揺るぎない決意と、正義の怒りが燃えていた。


 それにも関わらず、オルレアは彼らに全く関心を示さず、教科書を読み続ける。

 まるで教室全体が存在しないかのようで、その無関心さが、セレスティアの怒りを一層募らせた。


「先生! どうして何も言わないんですか?」


 セレスティアは、堪えきれずにオルレアに問いかけた。

 彼女の叫びが教室の静寂を破り、全員の注目が一瞬彼女に集まる。


「あなたの授業中にこんなことが起きているのに、どうして、そう無関心でいられるのですか?  教える能力も資格もないのなら、さっさと彼らと共にお辞めになった方がいいんじゃないですか?」


 オルレアは一瞬顔を上げ、セレスティアの鋭い視線を受け止めた。

 彼の目には一瞬、面倒くさそうな光が浮かんだが、すぐにそれも消え、再び教科書に視線を戻す。

 

「前にも言ったけど、俺の授業では君たちが何をしようが構わない。でも、どうやら彼女は君たちのことが邪魔で、迷惑だと思っているようだ」


 オルレアの声は、冷たい湖の表面を漂う霧のように淡々としていた。

 本当に彼らに興味がなく、他人事だと思っているのだろう。


「そこで質問だが、まだ続けるつもりかい?」


 オリバーとルーカスは一瞬黙り込み、セレスティアの燃えるような視線を感じ取る。

 彼女の眼差しは、鋭い剣のように二人を突き刺している。


「彼女らの迷惑になるのを承知で続けるつもりなら、もちろん好きにすればいい。人は生きているだけで他人に迷惑をかけるものだ。ただ、この学院には、無駄話をするにはふさわしい場所がいくらでもあるからね」


 オルレアの一言は、淡々と、無関心に響く。

 オリバーが肩をすくめ、ルーカスがため息をつくと、教室全体がその言葉を飲み込むように静まり返った

 生徒たちの視線が一斉にオリバーとルーカスに注がれ、その視線には軽蔑と苛立ちが混ざり合っていた。


「お前らが勝手に落ちこぼれるのは自由だが、他人に迷惑をかけるのは勘弁してくれ」という無言のメッセージが込められている。


 教室内の空気は一瞬で悪くなり、オリバーとルーカスは居心地の悪さを感じたようだ。二人は互いに視線を交わすと、無言のまま教室を後にする。

 オリバーが椅子を蹴り飛ばし、ルーカスが舌打ちしながらドアを乱暴に閉める音が、教室全体に響き渡った。

 二人の苛立ちと不満が、彼らの行動から溢れ出ていた。


 その光景を見ていたオルレアは深いため息をつき、視線を一度遠くへと漂わせた。

 不機嫌さが顔に露わであり、目の前に広がる光景が醜悪でありながらも避けられない現実のように感じられるかのようだった。

 ゆっくりと教科書を閉じ、机の上にそっと置く。冷たい眼差しがクラス全体に向けられ、特にセレスティアに注がれる。

 その視線には冷ややかな皮肉が滲んでいた。


「君たちは決して愚かではない。むしろ、他のいかなる時代の人々よりも知的能力がある。でも、その力は何の役にも立たないだろうし、使用しないことの方が有益と言っていいだろう」


 オルレアの発言は、凍てつく冬の風のように教室全体を冷たく包み込み、生徒たちの心に鋭く突き刺さった。

 その冷酷な言い回しに、生徒たちは一瞬息を止め、その真意を探ろうと静かに考え込む。

 セレスティアもまた、揺るぎない態度を保ちながらも、内心ではその冷徹な発言にひどく動揺していた。


「どういう意味でしょうか?」


「そのままの意味だ。君たちは出来合いの決まり文句や偏見、偶然頭に浮かんだ空虚な言葉を人に押しつけたがる傾向がある。本当に君たちは今日の世界で起こること、起こるに違いないことに関して、断定的な思想を持っているようだ」


 オルレアの言葉は、冷たい風が教室中を吹き抜けるように響き、生徒たちの心に突き刺さる。その内なる不安を呼び覚ますようだ。


「しかし、それは本当の思想ではない。まぁ、こんなことを言っても、今の君たちには分からないだろうがね」


 彼は再び教科書に目を戻し、未だに不機嫌さが残っており、教室内の雰囲気も重苦しいままだった。


「では、続きから始める。妖精属の特徴として……」


 オルレアの冷淡な声が教室内に響く中、生徒たちは自習を続けるなり、勉強を再び始めるのだが、先ほどの出来事の余韻が残り、完全に集中するのは難しかった。

 セレスティアもまた、心の中でオルレアに対する不満を抱きつつも、再び教科書に目を戻す。彼女の気丈な姿勢が、教室内の他の生徒たちにも少なからず影響を与えているようだった。

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