第2話 エデンガルド帝国魔法学院

 エデンガルド帝国。ギルウェイト大陸は北西端、冬は湿潤しつじゅんし夏は乾燥する海洋性温帯気候下の地域国土を構える帝政国家。

 その帝国の南部、カーネリア地方にはローウェンと呼ばれる都市がある。

 ローウェンの最大の特徴はエデンガルド帝国魔法学院が設置された、帝国屈指の学究都市だという一点に尽きるだろう。


 立ち並ぶ建物の造りは、鋭角の屋根が特徴的な古式築様式を基本としながらも、新しい様式を取り入れて増築・改築を繰り返したことで、数百年を経て複数の建築様式が組み合わさった個性的で独特な街並みを演出している。


 ローウェンは、まだ明けきらない朝の青い光に包まれていた。

 通りに漂うすがすがしい空気は、まるで霧のように建物の間を流れ、町全体に静けさと神秘をもたらしている。

 そんな歴史建築博物館と呼ばれる町の一角にて。その場にいた者は二人組に目を奪われ、釘付けになっていた。


 その二人組の一人はオルレアだ。

 彼の容姿は、朝の薄明かりの中で一層際立って見える。

 彼の銀色の髪は光を受けて輝き、まるで星屑を散りばめたかのように幻想的だ。その髪は耳元で軽くカールしており、自然な動きを与えている。

 彼の目は、言葉では表現しがたいほどの美しい色合いで、光の加減によって様々な色に変わり、その瞳には深い知恵と若さ故の無邪気さが同居しているように見えた。


 オルレアのホワイトシャツは、シルクのように滑らかで、光を受けて微かに光沢を放っている。

 そのシャツは胸元で大胆に第3ボタンまで開けられており、無造作に着崩されているが、それが彼の自由奔放な性格を暗示していた。


 シャツの上には、黒の生地に赤ダイヤの刺繍が施されたベストが、彼の胸をぴったりと包んでいる。

 この刺繍は、精巧でありながらもどこか遊び心を感じさせるデザインで、彼の個性的なファッションセンスを物語っていた。


 また黒のスラックスは、脚にぴったりとフィットしており、彼のすらりとした体型を強調している。

 全体的に、彼の衣装はスチームパンクの要素を取り入れながらも、どこかクラシカルなエレガンスを感じさせるものだ。


 そして彼の連れ合いというのはフローゼだ。

 彼女の衣装は、朝の光に映えて一層魅惑的に見える。

 白を基調とした彼女の服は、布の流れが美しい曲線を描き、まるで彼女の体を優しく包み込むようだ。

 その露出度の高いデザインは、彼女の艶やかな肢体を際立たせるが、同時にそのデザインは気品と優美さを失わない。


 彼らが進む石畳の通りは、まるで大昔の職人たちが一つ一つ手作業で敷き詰めたかのように精緻に作られていた。

 各石は微妙に異なる形と大きさを持ち、その不規則さが逆に完璧な調和を生み出している。


 石の表面は何世代にもわたる歩行者たちの足によって磨き上げられ、滑らかで光沢を放っている。

 それぞれの石の色は、薄灰色から深い青灰色、時には時を経て苔が生えた緑色まで、自然のパレットが見事に融合していた。

 雨上がりの夜明けには、石の隙間に溜まった水が朝日の反射で煌めき、まるで小さな湖が無数に点在しているかのように見えることだろう。


 道沿いには、古いレンガ造りの家々や、木製のバルコニー、色とりどりの花が飾られた窓辺が並んでいる。

 新旧の建築様式が混在し、特に入り組んだ屋根の形状や、独特なアーチのある玄関は、歩く者に次々と新しい驚きをもたらすだろう。

 そんな美しき通りを、オルレアとフローゼは並んで歩いていた。


「あーあ、俺は学校とか人の多い場所に行くと、気分悪くなるんだよな」


「またお得意の文句か?」


 フローゼは嘆息気味に、やれやれと首を振る。オルレアの態度にはほとほと手を焼いているようだ。


「とは言っても、お前に無理強いするつもりはない。どうしても辞めたくなったら、いつでも私に相談しろ」


「本当か? ならもう辞めたい」


 フローゼの気遣いも虚しく、オルレアは面倒臭そうに即答した。

 あまりの彼の態度に、流石の彼女も少々苛立ちを覚えたらしく、引きつった微笑を浮かべながら言い放つ。


「もちろん本当だ。選択肢があるのは良いことだからな。そうだろ? 例えば『教師の仕事を続けるか、新しい仕事として、その無駄に良い顔を使って客を取り始める』とかね」


 冗談とも脅しとも取れる微妙なラインで、フローゼはオルレアに釘を刺す。

 彼女の笑みは怖い。まるで怪物か何かが、牙を剥き出しにして威嚇しているような雰囲気だ。


「君は本当に好ましい性格をしている。それこそ、中世の世に生まれなくて良かったほどにな」


「その心は?」


「その性格だ。きっと近隣住民の恨みを買って、異端審問にかけられていたことだろうよ」


「それはこっちのセリフだ。やれ神からだ、それ国家からだのの自由を説くお前のような人間が、真っ先に火炙りにされる」


 そんなお互いを皮肉ったようなやり取りの後、フローゼとオルレアは軽く笑い合った。

 やがて歩く二人の前に、その敷地を鉄柵で囲まれた魔法学院の壮麗な正門がその姿を現す。

 

「今から理事長に挨拶をしに行くが、頼むから何を言われたとしても、言い返したり議論を吹っ掛けることはしないでほしい」


「わかってるよ。俺にだってそれくらいの分別はある」


「その能力を欠いているから、心配なんだよ」


 オルレアの軽口に、フローゼはやれやれと肩をすくめる。そして、二人は正門を抜けると学院内へ足を踏み入れた。


 エデンガルド帝国魔法学院。大陸人でその名を知らぬ者はいないだろう。

 今からおよそ八百年前、ローウェンで私塾を開いていた魔法使いの組合を発端とし、魔法教師たちがそれぞれの生活と権利を守るために、商人や職人のギルドにならって作った団体であった。しかし、それから約百五十年後、その威信と魔法知識をもつ役人養成のために、時の皇帝ゲルマ二クス二世が学校国有令を発布、以降国家が直接運営する教育機関としての歩みを始めることになった。


 そして、現在、帝国で高名な魔法使いの多くがこの学院の卒業生であることから、この学院は魔法を志す全ての者達の聖地となっており、その必定の流れとして、各地にある魔法学校の中でも最難関と言われるエリート揃いの場所だった。

 つまり将来、帝国を支える官僚機構なり、軍人なり確固たる地位に就くことを約束されている、いや義務られている者達が集う場所だった。


 そんなエリート校への配属が決まったオルレアはフローゼと共に、まず理事長であるギュスターヴ・デルボアの元に顔を出した。


「改めて伝えておくが、問題を起こせば、即クビだ。正直、君のような人間を受け入れるか迷ったんだが、他ならぬヴァレンティーノ女史の頼みなのでな。仕方なく受け入れたということを、くれぐれも忘れないでくれよ」


 理事長室にて、その主たるギュスターヴが執務机に向かい座っていた。

 白髪交じりの赤髪で、年の頃は五十代前半といったところか。

 見かけにおいてはどこか紳士然としているが、彼の立派な髭からは権勢欲や虚栄心が見え隠れしているようだった。


 彼はオルレアを値踏みするように見つめながら、棘のある物言いで念を押す。

 これが彼の通常運転なのだろう。なかなかどうして癖がありそうだと、心の中でオルレアは深くため息をつく。


「軍隊にいた頃は隠れて色々やれたのかもしれないが、ここでは大人しくしてもらう。執行猶予中なのだから、もう後がないぞ。肝に銘じておけ」


 手元の書類に目を落としながら、ギュスターヴはぶっきらぼうに言い放った。

 どうやら彼はオルレアに対して遠慮というものはないらしい。いや、むしろ軽蔑しているかのような態度だった。しかし、それも仕方ないものだろう。彼の経歴を知ったなら、そうならざるを得ないはずだ。


「デルボア殿、彼もそのことは良く理解していると思いますので、今日のところはその辺でご容赦頂けませんか?」


 フローゼがやんわりとフォローすると、ギュスターヴは急に態度を豹変させる。

 それはあたかも風に吹かれて、向きが変わる風見鶏のごとく見事なものだった。

 

「もちろんですとも! しかし、貴女も大変ですな。こんな前科者を押し付けられるとは」


 オルレアに対する態度とは打って変わった柔和な笑みを浮かべて、ギュスターヴはフローゼに大仰に応じる。

 なんとも調子の良い男だと、オルレアは何だか空しいような悲しいような、そんな心地になる。


「ああ、そうだ。これを渡しておこう。きちんと目を通すように」


 ギュスターヴはそう言うと、机の上に置かれていた書類の束をオルレアに手渡す。

 確認してみると、授業のカリキュラムやら教師としての心構えやルール等がびっしりと書かれていた。

 どれもこれも長い文章で、読むのも億劫になりそうなものだった。


 その後、軽くギュスターヴから学院の説明を受け、二人は理事長室を退出した。そして、魔法学院の廊下を並んで歩きながら、オルレアは愚痴をこぼす。


「この俺があんな風見鶏と同じ空気を吸うことになるとは。これは悪夢だ」


「あの理事長に限った話じゃないだろ?  世の中にはあんな奴、星の数ほどいるぞ。そんなことで一々腹を立てるな」


「あーあ、どこかの特権階級の友人が何とかしてくれないかなー」


 フローゼの指摘を茶化すように、オルレアは軽口を叩きヘラヘラと笑う。

 すると、彼女は待っていたとばかりに、彼の顔を下から覗き込む。そして、小悪魔のような微笑を浮かべて、こんなことを言った。

 その仕草はまるで無垢な少女と悪女の間を行ったり来たりしているかのようだった。


「そんなことしていいのかにゃ。権威を振るう者も権威にすがる者も、これすなわち権威主義じゃないのかにゃ。オルレアちゃんは、友人の権威を借りる権威主義者だったのかにゃー」


 最後の語尾に明らかに悪意が籠もっていた。オルレアの軽口に対する、フローゼなりの意趣返しだろう。

 その意趣返しは効果てきめんだったらしく、彼は苦虫を嚙み潰したような顔をする。しかし、彼はすぐに開き直るといった様子でこう言い返す。


「可愛い語尾だね。四足歩行になれば、もっと似合うと思うよ。どうだ? 試しにやってみる? 雌猫のマネ得意だろ?」


 こんな調子の他愛無い会話を数分続けた後、フローゼが別れを切り出した。


「もう少し話していたいところだが、そろそろ私はお暇する。この後、魔法省にも寄らないといけないしな」


「そうか。ならここで解散するか。ホームルームが始まるまで、俺はひとまず研究室で一休みでもしておくよ」


「わかった。ただし真面目に授業をするのだぞ。私のところにも報告が来るからな」


 フローゼはそう念を押しすると、最後に「最初は大変かもしれないが、やるだけやってみろ」とだけ言い残して、その場を去って行く。そして、オルレアもまた研究室へと向かって歩いて行くのだった。

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