ヒルダ/ワイバン&ギゼラ~憧れ暴走~


「この辺りならばいいでしょう」


 ヒルダはあまり人の立ち寄らなさそうな一階の地下庫に続く階段付近で足を止めた。後で教師達から当事者のひとりとして事情を聞かれる事にはなるだろうが今はあの場に留まるよりかは面倒を後回しにする選択を取ったヒルダは癖ついた巻き髪を小指で弄る。


「あ、あの、ヒルデガルダさま」

「·····あぁ」


 そういえば「着いてきなさい」とギゼラにも後を着いて来させていたなとヒルダは彼女に向き直る。正直、ワイバンがたまたま助けたであってヒルダは然程も彼女に興味は無いのだが、熱しの眼でヒルダを見あげ、妙に懐かれてしまった感はある。ここは冷徹と突き放しサヨナラとしよう、ヒルダは彼女に圧力をかけたつもりで彫像のような顔で見おろした。


「もういいわ、さようなら」


 わざと言葉足らずに突き放しの言葉を吐く。こうもすれば大抵の生徒は震え上がり何も言わずと硬直し二度とヒルダに近づくことも無いのだが。


「待ってくださいっ、このままさよならだなんてッ」


 このギゼラという少女は思った以上にヒルダへある種の情を強めているようだ。しかし、この熱した眼の潤みと輝きが妙に背中をゾワゾワとさせるとヒルダは今一度の圧力を強め、冷たい息を吹きかけるように顔を近づけて言葉を放つ。


「貴女、ワタクシの名前をよく知ってらっしゃるのね」

「はいっ、もちろんヒルデガルダさまを知らない人間なんてこの学園には居ませんッ」


 しかし、熱は下がる様子は無く妙に頬も高揚し、顔も何故だか向こうから近づいて来ている。ヒルダの紅玉色の瞳は珍しく反らすように横に動き、身体が自然と後ろに下がる。


「それはワタクシをろくなものでは無いと認知しているのではなくて?」

「とんでもないですッ、確かに最初はあんな噂を真に受けて愚かでしたけどッ、あたしはヒルデガルダさまの真実の優しさに触れ本当の貴女を知ることができて──」


 何故だろうか、彼女には神のように崇められているとすら感じる。ヒルダは妙に背中がむず痒くなり背筋を伸ばして紛らわすともう一度、眼を横に動かし心の中のワイバンに助けを求めていた。

 ワイバンはその僅かな心の動きに即座に反応し、堂とした声を響かせてくる。


 ──ヒルダ嬢、君がお困りのようなら今は私にバトンタッチしたまえ、彼女を助けたのは他ならぬ私である。必ずや彼女を落ち着かせて見──

(いえやはり結構よ。貴方、ややこしくしそうだもの)

 ──ぬあっ?!


 ギゼラを助けたのは確かにワイバンである。彼に任せるのが一番良いのかもしれないがそれ以上に頭を痛める事態になるだろうと予測できるヒルダは前面に出ようとするワイバンを裏拳で吹き飛ばすように意識を強く主張した。ワイバンの意思が遠くに飛んだのを確認すると、片手でギゼラの喋りを制し言葉を返した。


「ワタクシへの賛辞はもう結構よ。それよりも貴女、あの·····なんと言ったかしら、先程の、ガリガリさん?」


 自分ヒルダへの思いを熱く語っていたギゼラのむず痒な賛辞を止めさせ、あのイジメ三人衆にどうして絡まれるようになったのかを問おうとするが首謀者の名前がどうにも出てこなかった。


「·····彼女はガリリア・ドゥム・ジェストリアです」


 伏し目がちにギゼラは首謀者の名を教えてくれた。


(ジェストリア家と言えば黒い噂の絶えない家系ね。お父様も頭を悩ませているとか、そこのご令嬢ともなると少々面倒ではありそうね)


 ガリリアよりもジェストリアという家名にヒルダは嫌なものを覚えるが、今はギゼラの話を聞いておいた方が良さそうだ。ついでに自分ヒルダの心酔状態を解いておく必要せいもある。


「それで、貴女はそのガリリアさんから何故あんな事をされていたのかしら。語りたくないなら話さなくても結構ですけど」


 自分も周りからはあれと似たような評価は受けているだろうと考えるヒルダは無理強いはしないと付け加えてギゼラに問うてみた。


「その、強いて言うなら、あたしの家が一代で成り上がった貴族であるのが気に食わないのが理由だと、でも、単純にあたしがイジメやすいというのもあるかも。分かるのは、あたしは彼女ガリリアにとって、飽きるまで使う玩具おもちゃ程度なのだと思います。壊れたら新しい物を買って貰うお人形さんみたいに」


 ギゼラは淡々とした朗読を読み聞かせるように答えてくれた。しかし、聞いただけで気分の悪くなる話だ。ワイバンの意識が戻って来れば再び身体の主導権を奪う程に憤り、ガリリア達の元に殴り込みに行っても不思議はない。


「でも、あの悪魔ガリリアから救ってくださったのがヒルデガルダさまです。あたしの「白馬の王子様」が目の前に現れたようなッ」

「待ちなさい、最後の辺りに妙な言葉が聞こえたのだけれど」


 ヒルダは思わず再び身体を前へと近づけてくるギゼラを片手で制し「王子様」という言葉の意味を咀嚼する。


「王子様とは?」

「王子様は王子様です。信頼と愛に溢れたあたしの憧れ」

「またよく分からない事を仰ているけど貴女、王子という意味を分かっていて? ワタクシが殿方に見えるとでも?」

「愛の前では性別なんて関係ありませんッ、ヒルデガルダさまはあたしの理想の王子様なのですッ!」

「·····何を言っているの貴女?」


 まずい、何やらギゼラの感情は明らかな暴走しているようである。ワイバンとは別種の厄介なものをヒルダは感じとり眉間に指を添えてどうするべきかを考える。正直、誰か来て欲しいと生まれて初めて昼間の人格で願ってしまう。


「──あの、お嬢さま、こんな所でなにを?」


 その時、耳に聞き馴染む声が恐る恐るとヒルダに訪ねてくる。紅玉色の眼で素早く見やると、そこには妙に困惑した顔のメートヒェンがいた。ヒルダは天の助けと瞳を一度閉じ「迎えに来てくれたのかしら?」と平静に声を掛けた。


「はい、それは間違ってはいませんが、あの、そちらの方はいったい?」


 主の妙に早口な声の運びにメートヒェンは首を傾げ、隣でいやに睨んでくる黒目がちなギゼラの瞳に困惑としている。


「誰ですかこのヒト


 いやに棘のある「ヒト」という言葉を呟きながらギゼラは睨むようにメートヒェンを上目遣いに見やる。


「こちらはワタクシのメートヒェンです。メートヒェン、こちらはギゼ──」

「──ヒルデガルダさまのメートヒェン?」


 紹介をする前にギゼラの重くるしい声に遮られた。顔をみると前髪の隙間からメートヒェンをギっと睨みつけている事にヒルダは首を傾げる。なにか彼女の気に触ることを言っただろうかとヒルダは真顔なままメートヒェンに顔を向けるが彼女は苦笑いだ。


「お嬢さま、少々わたしを紹介してくださるにしてもそれは言葉が足らないかと?」

「言葉?」

「フゥ、いえ、お嬢さまはお気になさらず。あの、ギゼさま?」


 何が言葉足らずなのかと理解していないヒルダにメートヒェンは僅かに溜息をこぼしながら首を横に振る。途中まで聞こえていたギゼラの名を口にしようとして、直ぐに睨みつけなままのギゼラが己の名の間違いを訂正してきた。


「ギゼラです。ギゼラ・クラーマー」

「クラーマー? もしや、お父様はヨーゼフ・クラーマーさまでしょうか?」

「ぇ、父をご存知なのですか?」


 メートヒェンから父の名が出ると睨みつけな眼が途端と丸くなる。とても驚いている様子でそれが可愛らしく思えてメートヒェンは口を抑えて柔らかな笑みを浮かべる。


「有名な方なのかしら?」


 ヒルダだけは真顔とメートヒェンの顔を見る。


「ここ数年、王国の市場を動かしているという大商人さまです。国王にも認められ貴族にもなられています。アプフェルバオム家とも取引きがありますよ?」


 逆に何故知らないのですかと首傾げなメートヒェンにヒルダは真顔に立ち中空を見上げていた。思い出そうとするがやはり思い出せない様子だ。


「ヒルデガルダさまと家の商いに接点が」


 ギゼラだけは妙に眼を輝かせて何処か別の世界に飛んでいるようだ。


 メートヒェンのお陰でどうにか暴走し始めていたギゼラを落ち着かせる事が出来そうである。

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