ワイバン~憧れ~
「お、お嬢さま?」
隣座るメートヒェンの動揺とした声にヒルダは自分の意思とは関係無しに立ち上がっているという事実に脳が追いつくと紅玉色の瞳を真っ直ぐと見据えて何が起きたのかと理解しようとする。
「ひ、ヒルゥデガルゥダさん? な、なぁにお?」
その眼に眼力強く睨まれていると勘違いをしているアーベント教諭は悲鳴を殺した上ずり声で一応の注意ともなっていない注意をする。
「ああ失礼、間違っていると言った」
確かなヒルデガルダの声がアーベント教諭へと返される。抑揚の無い凍てつく声では無い。呆れ果ててはいるが熱のある感情を持った声だ。
(……ワタクシはこんな言葉を発したつもりは無い)
困惑としながらも口を抑えて着席をしようとするがヒルダの身体は己の思いとは真逆に制御効かずカツカツと靴音を立てて歩幅大きい男のような歩みでアーベント教諭の前へと向かってゆく。
(まさか、これは身体の主導権が奪われている?)
確かにあの
「ヒィッ、席に戻りなさァいィィィィ」
アーベント教諭はいつもと違う逞しき雰囲気で近づいてくるヒルデガルダに混乱と恐怖心が綯い交ぜとなった悲鳴をあげて注意をする。無意識に両手上げな降参のポーズも取っているので威厳の欠片もありはしない。まるで調律の酷い弦楽器のような教諭の声を無視してヒルダ(ワイバン)はアーベント教諭に力強い応とした声で意を唱えた。
「すまないが正させていただく。よろしいか、私は「神」などでは無いッ」
「は?……ハアエェ?」
突然と宣言する力強い声に教諭は間の抜けた声を漏らし、教室中に何とも言えぬ困惑とした空気が漂う。誰もヒルダを神と崇めたつもりは無いのであるからこの微妙な空気は当然であろう。
「そうだ、私は──〝黙りなさい〟」
(身体が動く。ワタクシが戻った)
それをよそにヒルダは左手の小指から順番に自分の意思で指が動かせることを確認してから強く拳を握ってアーベント教諭へと冷めたままの声を戻す。
「どうも気分が優れないので授業を欠席いたします」
「そ、そのようですねぇ、はいぃぃどうぞうぉぉ」
教諭は得体の知れない恐怖感の方が勝ったかホイサホイサときこりが薪を斬るかのようなリズムで首を動かし欠席を許可した。ヒルダはそのまま速歩で教室を退室しようとする。
「あの、ヒルダお嬢さま」
「メートヒェンあなたはこの授業に必ず出席いたしなさいワタクシが命じます」
案の定とメートヒェンも着いて来ようとするので、ヒルダは「命令」として早口に釘を指した。何かがおかしく思いつつも主が命じるのであればメートヒェンもヒルダをひとりとする不本意を感じながらも従う他に無い。
ヒルダは言い渡すと同時に教室を一瞬にして出ていったのであった。
──すまない、ついと大人気の無い行動を取ってしまった。以降は気をつけるとする。
音立てずと廊下を歩くヒルダにワイバンが話し掛けて来る。まるで頭を下げているような申し訳なさを響きから感じるがヒルダはそれを無視して渡り廊下に向かって歩いてゆく。
──しかし、どうにも神と呼ばれる事への矛盾が──
(──そんな事はどうでもよいのではなくて?)
ヒルダは冷徹とした声を内側に向かうように響かせてどこか言い訳をしているようなワイバンを黙らせた。
(ワタクシに言いたいことはそんなこと?)
──いや、君に言いたいことは作戦会議を──
(──しない。身体の主導権を託すと言いながら身勝手にこの身体を使った
──それは本当に申し訳ない。本来、惑星有機体生命を尊重した信頼から成り立つ精神融合であるのに、約束を破ってしまうなど。いったい、どうしたわけだろうか。
どこか自分に落胆としたような声だ。まだフツフツとした怒りのようなものが胸の中心を焼くような感覚はあるが、どうも本人も先程の自身の行動に驚いている様子だ、それを聞くといつまでも怒るのもバカバカしくも感じ、許すことにした。この昼間の性格で他人を許すなどと考えるのは精神が融合している弊害ではなかろうかと溜めた息を吐くヒルダが階段前に差し掛かると何やら荷物を重そうに抱えた小柄な女生徒が慎重に階段を登ってゆくのが見えた。
ヒルダは横目でそれを見上げそのまま通り過ぎようとしたその時、脚を踏み外した女生徒が荷物と共に落下してくるのが見えた。ヒルダは眼を大きく広げたかと思うと、気づいた瞬間には女生徒を己が身体で包み込むように抱きとめ、片手で中空から落ちてくる荷物をストストと積み木を組みあげるように受け止めていた。
「無事だろうか?」
「ぇ、は、はい」
ヒルダの声は凛々しく発せられ真剣と心配する眼差しで見下ろされる小柄な女生徒は一瞬何が起きたかと分からず前に梳き落とした髪から覗く黒目がちな眼をキョロキョロと動かしながら惚けた声を上げるが、その紅玉色の瞳と真白な肌の美貌に学園で知らぬものはいない冷徹令嬢ヒルデガルダと気づき顔面を蒼白とさせる。
「そうか、気をつけたまえ。その華奢な身体ではあの程度の高さでも致命傷となりかねん。しかし、君の身体に反して
だが、噂とは打って変わりな
「これは何処まで運ぶつもりだ。私も手伝わせていただく」
「え、ぇッ、い、いいですそんなッ」
身体を優しく起こされたかと思えば、片手で軽々と回転させた荷物を両手に持ち変えたヒルダの手伝うという言葉に女生徒は慌てて断り荷物を受け取ろうとするがヒルダは首を横に振り荷物を女生徒の手から遠ざけた。
「バカな事を言わないでいただきたい。君のような華奢な体躯にこの荷物運びはそぐわない。私が運ぶのが効率は良いというものだ。それでは運ばせていただく、目的地までは案内してくれたまえ」
「えぇッ、そんなっ、待ってください待っ──」
ヒルダはそのまま階段をスイスイと荷物を持ったまま上がってゆき女生徒も口元をアワアワとさせながら後を追いかけてゆく。
※※※
「あ、ありがとうございます。その、助かりました」
三階の空き教室まで荷物を運び込むと女生徒は親指同士を高速でクルクルと回しながらおずおずと小さな声で礼を言ってきた。随分と器用な事ができるものだと関心をしながら
「礼などはいらない。しかし、私が言うのもなんだが今は授業中だろう。君はなぜこんな事をしていたのだ?」
ヒルダの問いに女生徒は一瞬ビクリと身体を強ばらせ前髪で見えづらい黒目がちな眼が淀んでいるのが雰囲気で察せた。
「ふむ、言いづらいこともあるというものだな、失礼した」
ヒルダが深々と頭を下げると「そんなッ」と声をあげる女生徒から頭をあげて欲しいという雰囲気を察せて頭をあげると同時に──〝いい加減になさい〟──とヒルダの圧の声のある響きにワイバンは──すまない──と無意識に奪っていた主導権を返した。
「では、さようなら」
「は、はいっ」
急に頭をあげた途端冷えた感情の無い声に切り替わったヒルダに女生徒はビクリと身体を震わせたがヒルダはそれを気にする事は無く、靴音鳴らさぬ歩みで空き教室を後にした。
「フゥゥ·····ハァァ·····ヒルデガルダさま」
後には深く熱い溜め息を吐くひとつの憧れを見つけた小柄な女生徒の姿が残されるのである。
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