ヒルデガルダ ~王国神話~


 昼下がりの二階教室でヒルデガルダはつまらなげに窓席から青空を眺めていた。ゆったりとたゆたう雲の流れは不思議と気持ちよさそうにみえる。空が飛べるならを捨てて風に流されるままに寝てしまいたいという空想を願ってしまう程に退屈だ。


 耳に響くは教鞭を振るうアーベント歴史教諭の熱だけはこもった長々としたドランヴェール王国神話の語りである。興味ある生徒達は一応と耳を傾けるが、たいして興味の無い生徒達はこれを勝手に自由時間とし、夢中と語る彼の目を盗み他の授業の復習をおこなう者、居眠りをする者と様々である。ヒルダの隣に座るメートヒェンは真っ直ぐと前を向いてアーベント教諭の語りを聞いているが、アーベントの語るドランヴェール王国神話は子どもの頃から聞いた昔物語でありドランヴェール王国領に住まう貴族の子らにとって新鮮味は薄い。それに加えてアーベント教諭の自分の語りに酔うような大袈裟とした両手大振りと音の外れた歌のような怪鳥の如き声は見るに堪えない下手な舞台役者のようである。ヒルダはまるで聞く気も起きずだ。


(これなら生徒主催な夕方の催し物アーベントの方がマシだわ)


 少しだけ傾けた耳に聞こえるのは「空から落ちた神の恵みたもうた魔力の光によぉり、王国は実り多き豊穣の大地となったのであぁる」という部分である。


「……ふぅ」


 ドランヴェール王国神話──第八章にあたる箇所だ。どこから神話語りを始めたのかはもう覚えてもいないが、まだまだこのヘタクソな舞台役者語りが続く事は間違い無いだろうとヒルダは気づけば席を立っていた。


「ひ、ヒルデガルゥダさん、どぉしまぁしたかぁ? まぁだまだ授業は終わってぇぇわぁ」


 神話語りの延長線のままに間延び上ずりとした音外れ声でアーベント教諭が立ち上がったヒルダに一応と注意をする。無駄によく届きはする声に立ち止まり身体を向けたヒルダは紅玉色の眼で教諭を射殺いころすようにジッと見やる。アーベント教諭はその蔑まれているように感じられてしまう冷めた眼に気圧されて視線を逸らした。


「身体がすぐれませんの、病欠いたしますわね」


 抑揚無き凍るような声で伝えるとアーベント教諭は止める気も起きないのか目線を逸らしたまま固まっている。それならば遠慮は必要あるまいと返事も聞かずにヒルダは教室を後にした。メートヒェンも教諭に向けて頭を下げてから速歩でヒルダの背を追った。



「ヒルダお嬢さま、その、病欠というのは?」

「イヤだわ、そんなもの嘘に決まっているじゃない」


 堂々とした歩みで長い渡り廊下に向かって進むヒルダは一応とたずねてくるメートヒェンに向かって偽りなく答える。メートヒェンは自分よりも背高い主の揺れる縦巻きな赤毛を見つめながら「やはりそうなのですね」と言いたげに息を小さく突いた。


「しかし、あまり授業を欠席するというのは、これで先月から五回目に。これ以上は先生方のお嬢さまへの心象も悪くなって──」

「──あれを授業というなら子ども用のご本を百万回と読み聞かせて貰えた方がマシというものね。他の先生方の授業もそう。個人学習で必要な知識を学べるのだから必要と無いと思わせてる時点で論外というもの。ワタクシも興味さえあれば自然と授業に向き合う姿勢はあるのよ。興味を湧かせていただければね」


 教諭達のヒルダへの評価を心配とするメートヒェンにヒルダは冷めた声で返した。


「それに、腫れ物扱いワタクシに今更と心象も何も無いのではなくて?」


 ヒルダは自身の学園での評価を理解している。それなりに地位のある有力貴族の娘であるが、高慢で何処か見下すような態度と服従でもさせようかという圧の強さが扱いにくく恐ろしいというのが教諭、生徒問わずの学園での評価である。無論、ヒルダとしてはそんな見下す意図はまるでなく、圧を強めに問いただす事があるのも夜中に出る子供じみた性格の延長線上にあり、知らないと気が済まないを感情見えずな昼間の性格のままにやっている弊害であるのだ。

 ヒルダはこの二重の人格を持っているという事情を学園内でメートヒェン以外に話すつもりも知られるつもりも無い。恐れられている誤解は都合が良いと割り切り、何処か「冷徹な令嬢」を演じている自分がいる。夜中になれば部屋に閉じこもり子供のような自分が発散すれば良いだけの事と昼間の性格のヒルダはまた割り切り、周りが誤解とする冷徹令嬢のままに突き進んでゆくのみである。


「あら、あれは……」


 陽の光と風の心地良さが肌を触る学園校舎と学生寮を繋ぐ長い渡り廊下を歩いていると中央部辺りで立ち止まっている肩まで伸ばした波がかりな金糸髪の少女の姿が見えた。


(クララ・シェンフェルト)


 昨日、ヒルデガルダとアンゲラとのトラブルに割って入った女生徒である。景色でも眺めているのかその蒼の瞳は何処か好奇心に輝いて見える。今の自分ヒルダには出せない可憐さが彼女の表情には溢れていた。


 正直、昼間からあんな柔らかとした豊かな表情を魅せる彼女を羨ましいとヒルダは思う。だが、そんな事をおくびにも出さずヒルダは前へと進む。目指す学生寮に進むにはこの渡り廊下を進まねばならず、必然的に彼女の横を通り過ぎなければならないのだ。願うなら、このまま気づかずに通り過ぎられれば良いのだが。


「あ、ヒルデガルダさん」


 しかし、そう上手くはいかず、クララはすぐに近づいてきたヒルダに気づき、朗らかな笑みを向けてきた。


「……どうも」


 さすがに真正面から笑みを向けられれば無視はできないというものである。ヒルダは一応と本人なりの軽い挨拶を返す。メートヒェンもクララに向かって頭を下げる。


「ヒルデガルダさんももしかして気分がすぐれなくて?」


 この時間は授業中である事と、この吹き抜けな渡り廊下の行く先が学生寮である事から予想としたのだろう。ヒルダ自身は気分がすぐれないわけではないが、そう解釈しているのなら「そうね」と乗るのが無駄な時間の軽減となるものだと肯定した。


「そうなのですね。あの、少しだけ時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 だが、彼女クララとしては偶然と出会えたヒルダに用があるようで、時間を要求としてきた。この冷徹と見られる性格のままに無視をしてもよいのだが、何故だかこの臆することなき微笑みを見つめていると話を聞いてみようという気まぐれが生まれた。


「なにか?」

「その、昨日はごめんなさい。アンの話を詳しく聞いた限り貴女には何も落ち度はありませんでした」


 クララの金糸髪の頭が下がる。ヒルダはそれをジッと眺めた。クララは頭を上げると話を続ける。


「あの時、急いでいたアンが廊下の曲がり角で貴女にぶつかってしまったのが真相であるのだとあらためて知りました。アンもすぐに謝りたかったようなのですけど、何故だか──」

「──ワタクシに恐怖を感じて上手く謝れなかったという事でしょ?」


 ヒルダはクララが言い切る前に応えを返した。


「慣れているもの、ワタクシは」


 昼間のヒルダを前にすると誰しも恐怖を感じてしまうのだ。あのアンゲラという女生徒も類に漏れずだったというだけ。ただ、悪いことは謝って欲しいという夜中の自分の性格が頭をもたげて、ああいった公開謝罪という形になってしまった。彼女アンゲラには逆に悪いことをしてしまったという後悔は何処かにある。


「アンも日を改めて謝りたいと──」

「──今更? ワタクシは必要としないわ」


 ヒルダは謝る必要などは無い、また自分の無駄な恐怖に晒されるのは忍びないという意味で言葉を返したが、抑揚の無い短い言葉はそのまま誤解を生み出しそうである。メートヒェンが今の言葉には別の意味合いがあるという事を伝えようとするが、ヒルダは流し目でそれを制し、別の言葉をクララに返した。


「ところでクララ・シェンフェルト。貴女はこんな所で立ち止まって何を? 貴女も授業中でしょうに?」

「え、ああ、先生方からの用事を済ませて教室に戻る途中でしたの。ですけど、ここからの景色が壮観だなとあらためて「リンドヴラームの大穴」を眺めてしまいましたの」


 吹き抜けな渡り廊下に流れる風の爽やかさに金糸髪を靡かされながら蒼の瞳に好奇心を混じらせて下の景色をクララは眺めるのだった。

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