ヒルデガルダ ~人格と悪夢~
「ぅ、あぁ、ウゥッっ──ぅ」
「お嬢さまッ、ヒルダお嬢さまッ、しっかりしてくださいっ!」
「ッっ!?……ぁ」
悪夢にうなされていたヒルダは誰かに揺り動かされ、必死に呼びかける声に目を覚ます。心配げに顔を向ける短い緑青髪の少女を暫くと虚ろと眺め、それがメートヒェンだと理解すると大きく身体を上下させ、深く荒い息を吐き続けながら身体を起こした。
「今夜もうなされていたようですね、大丈夫ですか?」
白肌の頬に張り付く真っ直ぐとした主の手入れの解かれた燃えるような赤色の髪を指先で整えながらメートヒェンは優しく声を掛ける。
だが、当のヒルダ自身は
「なんでもないわ」
と、突き放すような一言を呟くだけであった。
「ですけど、ヒルダお嬢さ──」
優しい声を崩す事のないメートヒェンにヒルダは潤み強くなった紅玉色の瞳に血を走らせるようにして睨みつける。昼間のような氷のような眼ではない、熱せられた火のような感情のある生きた瞳の輝きがそこには見える。
「アタシがなんでもないと言っているならなんでもないのよメートヒェンッ、メイドの分際で、もう何なのよッ! バカッ、バカッ、バカッッ!!」
癇癪を起こした子供のような怒りまかせた悲鳴近い声をあげ、自身を心配してくれているメートヒェンを思いつく限りの酷い言葉で突き放そうとする。
「お水とお着替えを持ってきましょうね」
だが、メートヒェンは声荒げ突き放されようとも癇癪上げな主に愛おしげな笑みを向け、ヒルダの背を柔くさすってから静かに寝室を出ていった。
「っ……グス、ウ、うぅぅぅ」
寝室の扉が閉まると同時にヒルダは項垂れ、紅玉色の瞳に涙を溜めて唇を強く噛んだ。
(まただ、また心配してくれているメートヒェンを怒鳴っちゃったよぅ。後悔はいっつも遅いの……いつも、いつも)
絞り出そうとする声は喉に張り付いて呟く事もできない。喉が渇いた、メートヒェンが持ってきてくれる水が早く飲みたい。汗でグッショリと濡れる寝間着が気持ち悪い。着替えさせて欲しい、早くっ!
あぁ、戻ってきたメートヒェンをまた怒鳴ってしまいそうな嫌な自分が分かるとヒルダはシーツを強く握りしめた。何故、自分はこうなのだと子供の頃から自分を呪う。何度呪っても、こんな自分を変えたいと思うのに何も出来はしない。
(朝起きたら氷になってる自分が嫌……今の子供みたいな癇癪を起こすばっかりな夜中のアタシもイヤ……身体は大人と変わらないくらいに大きくなってるのに、どうして今はこんなに子どもみたいな事しか考えられないの)
ヒルダは朝起きるとまるで感情の見えない冷徹な鉄面皮となり、どんな些細な事であっても相手に冷たい感情をぶつけてしまう。夜中になれば、まるで氷が溶けるかのように冷徹とは真逆な我儘な癇癪感情を剥き出しとした苛立ちをぶつける子どものような人格となる。歪な二重の人格をその身体に持ち合わせているのだ。いつ頃からこんな性格になっているのかヒルダ自身にもわからない。ただ、この性格のおかげで常に専属メイドであるメートヒェンが側にいなければまともな学園生活も送れないのが彼女の現実だ。
(せめて、あんな怖い夢くらい……見なければいいのに……)
己が心の苛立ちを幼き頃から幾度と悩まされている悪夢へとぶつける。得体の知れない空間を漂う無機質な鎧のような腕をした自分と、不気味な何かに心の底を貫き蝕まれるような気持ちの悪いあの悪夢に。
あんな悪夢を見続ける自分が許せない。
夢は忘れるはずなのに、覚え続けさせる程に鮮明な恐怖を与え続ける悪夢が憎い。
自分は高貴な生まれなんだ。両親のように領民に尊敬とされる誇りある貴族にならなければならないのに、今の二重な人格に悩まされているだなんて、誰にも知られたくは無い。絶対に、もう、誰にも。
「ヒルデガルダ・フォン・アプフェルバオムは、情けなさなんて、誰にも見せない……んだから」
ヒルダの絞り出せた言葉は寝室に呪詛のように響き、紅玉色の瞳から零れた雫がシーツ握りしめる白肌の手を濡らす。
「ぁ……う、ゥゥ、うう、ぁぁ……ァ」
堪えきれずに漏れだした嗚咽と共にヒルダは蹲り、再び意識が瞳閉じる暗闇へと落ちてゆく。戻ってきたメートヒェンは小さく寝息を立てて起きない主の着替えと綺麗な寝支度を整えると「おやすみなさいませ、お嬢さま」と一礼をして自身のベッドへと戻って行った。
夜が開け、朝となれば再び感情の見えない冷徹なヒルデガルダが目を覚ます。
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