ヒルデガルダ ~冷徹令嬢~


 ドランヴェール王国──王都リンドヴラーム──リンドヴラーム貴族学園


「あ、あの、その……っ」


 リンドヴラーム貴族学園の学舎二階廊下にて、震え止まらぬ少女の怯えた声が目立ち届く。白を基調とした襟元に葡萄酒色ワインレッドのラインが縁取られた学園制服に身を包んだ茶髪の女生徒が水膜の張る震えた瞳で見つめる先に立つのは同じ学園制服を気品に着こなした長身美麗な立ち姿の女生徒である。その見降ろす紅玉色の眼には静かな冷徹さが感じられ、茶髪の女生徒の逃げ出したい黒タイツに包まれた脚を逃さぬように縫いつける眼力の圧を示していた。同じ制服に身を包もうとも、その力関係はハッキリとしており、周りの生徒もシンと静まり返る。誰も助けに行こうともできず、ただ長身な女生徒の次の言葉を待つのみである。


「ここは、いつから幼稚舎になったのかしら?」


 縦に巻かれた自慢の赤髪を小指で触りながら、抑揚もつけない凍てつく氷のような言葉を長身な女生徒が発すると、茶髪の女生徒は噛み合わぬ歯を鳴らすのをどうしても抑える事ができず、発する声もままならない。ただこの圧から逃れたいと濡れる視線を足元にずらそうとする。


「誰が顔を下に向けてよいと言いましたの? 前を、ワタクシの眼を見てくださらないと、困りますでしょ?」


 だが、長身の女生徒はそれを許しはせず、その抑揚なき冷とした声と言葉のみで彼女の逃げる眼を氷結とさせるように射止め、強引に前を向かせ続けた。長身な女生徒は薄く引いたルージュの唇から凍える吐息を吹き付けるように至近距離に顔を近づけ、その色だけは燃えるように紅い紅玉色の瞳を細め、茶髪の女生徒に冷たい圧のある言葉を続けた。


「怯えて貰っては困るのよ貴女アナタ。まるでワタクシがイジメているようでしょ? 悪いのはワタクシなの、それとも?」

「わ、悪いのは……わ、わた、しで──」


 決定的な言葉で己の非を深く詫びさせようとする支配圧に茶髪の少女は、その紅玉色の眼から泣かずに言葉を発せと言葉なくとも言われているようで、しゃくりあげる声も、涙も流さぬように謝罪の言葉を告げようとするが、水膜の張った瞳からは大粒の雫が今にも零れ落ちんとしていた。これでは謝罪をしても到底、許してはもらえないだろうという絶望の中である。


「──すみません、通してください。ヒルダお嬢さまッ」


 その時、廊下に立ち止まる人垣を押し退けて凛とした通る声が二人の間に割って入ってくる。

 茶髪の女生徒は小さく身を震わせながらその声に助けを求め、赤髪の女生徒はつまらなげにその声の主である短く切り揃えた緑青髪の女生徒に振り向きもせず、声を紡いだ。


「何かしら、メートヒェン?」

「それ以上は、どうかおやめください」


 メートヒェンと呼ばれた女生徒は抑揚無き声に臆する事は無く、真っ直ぐとした声をヒルダお嬢さまと呼ぶ赤髪の女学生へと発した。その声には何処か悲しみに似た響きを感じる。


「メートヒェン、貴女の主はいったい誰なのかしらね?」

「それは……お嬢さまです。ヒルダお嬢さま以外にありえません」


 だが「主」を強調する一言に、メートヒェンは主がこの謝罪劇を止める事は無いと、これ以上の声をメートヒェンがあげる事を許しはしないと理解でき、静かに鳶色の瞳を瞑る。茶髪の女生徒とヒルダお嬢さまの間に入る事は今の自分にはできないのだと。


 できるとするならば──


「失礼します、これはどうなされましたの?」


 ──それは、可憐な金糸の如き波打つ髪と葡萄酒色のスカートを揺らし颯爽と現れたこの女生徒だけだろう。


「アン、これはどうなされましたの?」


 金糸髪の女生徒は「アン」と呼んだ茶髪の女生徒の元に向かい優しい響きで声を掛けた。その声を聞いた瞬間、アンはボロボロと感情の蓋で懸命にせき止めていた大粒の涙を堪えきれずに流し始め、金糸髪の女生徒は自身のハンカチでその濡れた頬を拭いて落ち着かせようとする。


「……クララ・シェンフェルト」


 己の存在を無視して聖母にでもなったかのような友情劇を始める金糸髪の女生徒の名をやはり感情の欠片も無い氷の刃を振るような声で呼んだ。


「はい、ヒルデガルダ・フォン・アプフェルバオムさん」


 対し、クララ・シェンフェルトと呼ばれた女生徒は氷溶かすような陽光の笑みと可憐とした声でヒルデガルダの名を呼んだ。


「今は貴女の出る幕では無いの。下がっていただける」


 対し、ヒルダはこの陽光の笑みを前としても絶対零度な声の凍てつきを変える事は無く、ただひとつの命令をくだすように「下がれ」と告げる。


「申しわけございませんが、こちらのアンゲラ・ヴァルターさんはわたしの友人でありまして、何故こうまで泣いてしまっているのかという理由を聞くまでは下がりたくはありません」


 だが、その命令に近いお願いというものを聞く気はありませんと、和やかな春風のような声と笑みの中に芯の強さを隠さずと前に立ち続ける。


「ち、違うの……悪いのは本当にあたしで」


 友人に庇われて自身の心を落ち着かせる事ができたのか、クララの後ろにいたアンゲラがしゃくりあげな声をクララの背で隠しながら、事の経緯を説明し始めた。


「あたしが、急いでて、曲がり角でヒルダさまとぶつかってしまって……それで」


 事の経緯を聞いたクララはヒルダの眼をジッと見つめて、頭を下げた。


「それが本当であるのならば、非はアンゲラ側にあるようです。友人に代わりわたしが謝罪いたします」

貴女クララの下がる頭を必要としてないのよワタクシ。下げて欲しい頭は、貴女アンゲラ

「す、すみません、ごめんなさい」


 下がるふたつの頭を見下ろし、ヒルダはきょうが冷めたと言いたげに眼を細め、細指で赤い巻き毛を絡め取るとこれ以上なにかする気にもなれずつまらなげに息を吐いた。


「もうよろしい、そんなプライドも無く下げた頭は、不快」


 ヒルダはもう興味を失ったと言いたげに踵を返し、廊下を靴音も立てずに歩き去ってゆく。


「待ってください、ヒルダお嬢さまッ」


 メートヒェンは一度クララへと頭を下げてから、ヒルダの後を急いで追いかける。


(嫌いだわ……本当に)


 クララの陽光の優しさが己の凍てつかせた氷の廊下を溶かしてゆくのを背に感じる。

 ヒルダは誰にも気づかれぬように唇を噛み、紅玉色の眼を静かに瞑り苛立ちの中で歩みを早めた。









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