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 凍った空はまるでカキ氷みたい。

 糸異側いといがわサラシナは窓の向こうの真っ白く濁った空を見ていた。窓ガラスの凍り具合からして、気温マイナス25度といったところか。

 空は白く不透明で、それが雲の色なのか本来の空の色なのかさえ判別できない。そんな白色の空から細かい刃物で丸く削られたような大粒の雪が落ちてくる。

 空もよく飽きないものだ。雪と氷なんてそれこそ腐るほど降っているのに。サラシナはため息ひとつ、肩の力を抜いて、手に持った小さな眼鏡のレンズを撫でる。湯気で曇った眼鏡にサラシナの細い指痕が残った。


「コハクは見つからなかったのね」


 随分昔に廃業したであろう温泉旅館の一室。ここは温泉が枯れずに沸いていて、地熱の効果もあって温かい。部屋着でも十分にくつろいで過ごせる。窓の外は極寒の世界だというのに、断熱材の壁数枚で世界はこうも変わるものか。


「……うん」


 鬼我笑おにがわらシラサギは静かに頷いた。長い黒髪を襟足で結び、胸の前へ持ってきて別の生き物に触れるかのように指先でなぞる。


「現場にいたのは、中型外骨格エクソスケルトンが一機」


 サラシナは眼鏡を顔の前に持って、レンズ越しにシラサギを見た。湯気に曇るレンズの向こうで、華奢な身体付きのシラサギが湯を蹴った。十人は横に並んで浸かれる足湯の木枠桶にぽちゃんと波紋が走る。それがシラサギの無言の返答だった。足首からふくらはぎにかけて絡みつく蛇のタトゥーが濡れる。


「残されていたのは、この眼鏡一つ。装備とか、その、身体の一部とかは、なし」


 言いにくそうに、足湯の波紋を見送ってつぶやいたサラシナ。それを見てシラサギも前髪が揺れる程度に小さく頷く。シラサギが同期するトックリバチ型哨戒ドローンで発見できたコハクの痕跡はそれだけだった。

 外骨格多脚機械に破壊された廃墟に偽装した倉庫施設。雪と氷に閉ざされた廃墟群にて、そこだけが黒い煙を立ち上らせていた。動くものは黒煙のみ。そして、うず高く積もった雪に突き刺さるように残されていた琥珀色したレンズの眼鏡。

 トックリバチ型電氣蜂が記録した映像をシラサギは頭の中で何度も再生させた。何度見ても同じ。何度解析しても熱源は黒煙だけ。映像の中にコハクの燃え滓もカケラも見つけられなかった。ただ、眼鏡がそこにあるだけだ。

 単独で行かせるべきじゃなかった。サラシナは銀色に染め抜いた髪をかきあげて、コハクの眼鏡を装着した。


「どーするの? こっちはいつでも行けるよ」


 足湯ブリーフィングルームにはサラシナとシラサギと、あともう一人電氣蜂使いがいた。酉古獲とりこどりベニバチは緩い声で続ける。


「ミサゴちゃんとヤマヴキちゃんが向かってんでしょ? だったら二人に任せちゃっても問題ないけどさ、大物の予感がするんでしょー? 一緒に行こうよ」


 サラシナはベニバチにぴしっと手のひらを見せて制し、眼鏡に保存されている映像記録を再生させた。何度も見た動画だが、何度見ても気になる一点がある。

 行方不明のコハクが眼鏡越しに見た光景は、突然記録保存が始まったようだ。音声は記録されていない。熱弾による蒸気爆発で映像がスタートする。




 舞い上がる雪煙。大口径熱弾による射撃。真っ白く煙る視界に敵の機影はない。偽装倉庫の管理人が何やら叫んでいる。それとあと二人、見たことのない男が慌てふためいた様子でしゃがみ込んでいる。

 この二人が外骨格多脚機械に狙われたのだろう。待ち伏せか、後を尾行されたか。ちょうどその時、倉庫へ取引に行ったコハクは襲撃タイミングに運悪く当たってしまったのだ。

 少女の細い手がハンドガンに熱弾を装弾する。その青白い手は震えていないが、そもそもコハクは戦闘向きじゃない。敵の外骨格が中型以上だった場合、このハンドガンでは傷一つ与えることもできない。

 倉庫の管理人は老体だ。戦力として数に入らない。偶然居合わせた、もしくはサバイバーのルールを破って倉庫にやってきた二人も狼狽えるばかりであてになりそうにない。

 多脚機械による熱弾銃撃は続いているようだ。倉庫に立て籠るも、多脚機械の目的は倉庫内の電源や熱エネルギー交換ユニットだろう。どのみち倉庫の壁を打ち破って侵入してくる。人間は戦闘用機械に対してあまりに貧弱だ。特に可憐な少女では勝ち目はない。

 コハクはそう判断したのか、雪積もる外に飛び出した。そして録画を続ける眼鏡をむしり取ると遠くへ投げ捨てた。眼鏡の視界がぐるぐる回り、景色が吹っ飛んでいく。空。雪。凍り付く廃墟。また空。黒い機影が通り過ぎる。そしてまた雪景色。眼鏡は雪に突き刺さり、遠景でコハクを映す。

 吹けば倒れるような青白い顔をした少女が空を見上げて立ち竦んでいた。

 即座に銃撃が再開され、大型外骨格と中型外骨格が二機、コハクの立つ倉庫へ向かって熱射撃を続けるシーンで映像は終わる。




 サラシナは眼鏡を外した。毎度のことながら、戦闘時のコハクの視界はキョロキョロと落ち着きがない。しかも最後に眼鏡をぶん投げている。視界が激しく回転して揺れ動き、これではすぐに酔ってしまう。

 それでも、決まりだ。


「ミサゴとヤマヴキに待機って連絡して」


 コハクの眼鏡にちらりと映った機影。あれは大型の電氣蜂が飛翔する影だ。


「……わかった」


 シラサギが小さく返事して、早速トックリバチ型ドローンに指示を送る。同期したシラサギと電氣蜂なら考えるよりも早くコマンドを実行できる。


「行くの?」


 ワクワクしたベニバチの声に、サラシナは足湯から細いふくらはぎを引き抜いて答える。


「あの二人が心配ってわけじゃない。敵がヤバ過ぎるかもしんないの。あんたも早く上がって身体拭きなさいよ」


「コハクちゃんの身体を回収に行くのー?」


 水着姿で足湯に全身浸して浮かんでいたベニバチの声のトーンが上がる。そんな浮かれたベニバチを、タトゥーの刻まれた脚で踏みつけて沈めるシラサギ。


「……言い方!」


「ぐぁぼっ! おぼぉ、れるって!」

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