ついに手が出た(完)
西川はる、20歳。
彼には悩みがある。
それは高校の時、知り合い付き合い始めた同性の恋人についてだ。
外見がどうのとか、最近蔑ろにされているとか、そういう事ではない。
外見に文句なんてない──はるの恋人は外見は満点の男である──し、恋人ははるを蔑ろになんて決してしない。
愛されているし、彼の愛情をはるは疑った事はない。
ただはるの彼氏は、はるを“愛しすぎている”のだ。
──────なんだ、贅沢な悩みではないか。
ここまでの話だけを聞いてそう思うのは仕方がないかもしれないが、どうかまだそう言うのは待ってもらいたい。
最後まで聞いた上であたらめて考えてほしい。
はるは今、彼氏と同棲をしているマンションでひたすら指でテーブルをリズミカルに叩いている。
コンコンコンコン、とただただ一定のリズムがダイニングキッチンに流れていた。
暇つぶしに始めたスマートフォンのゲームは、もう随分前にやめた。
いくら楽しいと言ってもはるにとってそれらは“何かをしている間にするから楽しい”のであって、する事がない時間にひたすらしていても楽しさが時間経過と共になくなっていったのだ。
「こういう時間だけがある時は、ゆっくり作るものを作りたいのよ」と言った母を真似、料理をしようと思っても全く得意ではないはるは、今ある材料をやりくりしながらインターネット上のレシピを再現するなんて到底出来ない。
映画を見るのだって嫌いではないが、延々と映画ばかり見ているのだって飽きてしまう。それに今、見た事がない見たい映画を配信しているオンデマンドサービスもない。
やる事がなくてなくてついに、カフェオレを前に指でテーブルを叩くという本当に面白みのない事をしている。
そしてその単純な行動をとっているはるの内には、燃え滾るような怒りが渦巻いていた。
その怒りは爆発出来るタイミングを今か今かと待っている。
時計が教えてくれるには、もうそろそろ爆発が叶うはずだ。
(今度こそ……殴る)
はるは、中性的でどこか可愛らしいと言われる顔に似合わず好戦的なところがある。
それは小さい頃、母が大切に取っておいた録画で見た現役時代の──はるの父は、今も格闘ファンの記憶に鮮烈に残っている格闘家であった──父に憧れ、父に無理を言って──若い頃の妻に似た息子に格闘技を教える事を、はるの父はかなりためらった──手解きを受けたのもあるし、また虫も殺せないと言った顔をした父がいざリングに上がると180度違う顔で、そして圧倒的な強さを持って相手をリングに沈めていくという、その好戦的な部分を受け継いでるのもあるだろう。
余談ではあるが、はるの母は女子プロレスラーを目指していた、こちらも好戦的な女性──当時の見た目は美少女、今は美女──であるのも遺伝しているかも知れない。
引退した父
徹人は引退後学校へ通い柔道整復師になったのだが、それは今まで勉強をろくにしなかった徹人曰く「格闘よりも難しくて死ぬと思った」努力の賜物。そんな柔道整復師の徹人もはるは尊敬し憧れているがそれでも、あのリング上の徹人の姿の輝きは幼いからこそなのか、とても分かりやすく強く感じられた。
それもあって最初は格闘家になろうと本気で思ったほどだが、格闘家になるにはどうにも体がうまく育たず諦めた。
でも、はるはどうしても父に近づきたいと“護身術”として父から手解きを受け──それがはたして護身術の域で止まっているかは別として──、はるには“ある程度の武力”がある。
だからいくら怒りが爆発しても、恋人を殴ろうなどと考えた事はなかったが今度という今度はこの気持ちを抑えられないようだ。
少しして、鍵の開く音と、小走りでダイニングキッチンに向かってくる足音がする。
はるはスッと立ち上がると利き手である左で何度か拳を作り、ドアが開いたその瞬間、入ってきた恋人の鳩尾に拳をねじ込んだ。
当然無防備だった恋人はその場で腹を抱え崩れ落ちていく。
一応、はるのために記しておくが、“相手の弱さ”を冷静に考え十二分に手加減をしている。安心してほしい。
腹を抱え床に倒れ呻いている恋人を見下ろしたはるは、大きく息を吐き出すと言った。
「今度という今度は、我慢の限界。別れる」
痛みで──再度言うが、かなり手加減をした──呻いていた恋人──────
「だめ!別れない!」
しがみついて剥がれない隼太に眉を寄せるはるはもう一度
「無理。別れる」
「ごめんなさい!ごめんなさいいい!別れたくないいいいい!」
「いや、もう無理」
「いやああああああああああ」
許して、ごめんなさい、別れたくない、のループは“こう言う時”のお約束だ。
「だって、はるがバイト先でモテるんだもん!許せないんだもん!!」
「だからって勝手に、お前、辞めさせた上に昨日から軟禁……いや、監禁か?どっちでもいいが……とにかくこんなことはもう限界だよ」
「だって、だって!!」
「だってもなにもない!」
はるは上から隼太に、自分の意思を込めた言葉を叩きつける。
隼太ははるの足を離さないまま、半泣きでまた「ごめんなさい」からのループだ。
こうなるともう隼太が落ち着くまで話にならない。
これもなければいい恋人なのに、とはるは無意識でため息をこぼした。
飛びついてこないよう上半身を何重にも梱包用ビニール紐で縛り付けられた状態でフローリングに正座させられた隼太は、グズグズと鼻を啜りながら涙目でジトッと、椅子に腰掛け自分を見下ろすはるを見上げる。
(この角度で睨まれても……いいかも……)
こんな事を考えているあたりが隼太なのだけれど、それ以外の部分では別れを切り出されている事に対してどうしようかと考えてはいた。
「で?」
一言で促されて隼太は
「だって……」
「それ以外」
ピシャリと跳ね除けられた。
「だって……はるは魅力的だから、他の人に取られたくない」
「またそれか」
うんざりした様子のはるに隼太の顔が青ざめていく。
「俺はがっかりだよ、ハヤ」
悲しそうに呟いたはるに、隼太は心がギチギチと締め付けられて痛んだ。
隼太とはるの出会いは高校生の時。
隼太の父
そのとある格闘家が、はるの父である
父から母との出会いを“聞かされる”たびに「徹人はすごかったんだ。引退試合は泣いたよ」もセットで続き、隆太が酔っていると録画した──今も大切に残している──格闘家西川徹人の試合を見る流れ。
妙に詳しくなってしまった今はいない格闘家の名前は、現役の格闘家よりも隼太の中に残った。
高校入学後はると同じクラスになり、はるが西川徹人の息子だと知ってなんだか妙な感覚があった。両親のおかげで昔から知っているおじさんの子供と出会ったような、そんな感覚になったのだ。
両親のせいで格闘家西川徹人に詳しくなった隼太と、父親に憧れるはるは『西川徹人』という共通点で急速に仲良くなった。
そのうちになぜか付き合うようになり、どこか“ネジが飛んでいる”と評判の隼太の父隆太は「あの西川選手の息子とおまえが……なんて幸運、母さんに報告しなきゃ。すばらしい、大切にするんだよ」とその付き合いを認め、はるの両親は普通程度のあれこれもあったが、二人はともかく恋人として付き合いだした。
付き合いだして二年になろうとするころ、この顔よし性格よしの隼太の“よくないところ”がはるに襲い掛かった。
「ハヤの異常なやきもちとか、執着とか、そういう一歩間違えればストーカーとか犯罪者とか……まあ犯罪者予備軍みたいな行動とかね、それはよくわかっている」
淡々と“いつものように”はるは言う。
「年々酷くなっていくのも、ケンカしながらだけど受け入れてきたと思う。受け入れている方だと、自分は思ってる」
「うん……」
「なんで俺が、受け入れてると思ってるわけ?」
一瞬戸惑った隼太はモゴモゴと口を動かして
「おれのこと、好きだから?」
「疑問形で言うな、アホ!」
「好きだから!」
一点叫ぶようにした隼太にはるは額を手で抑える。
「真面目なところ、ハヤは俺に愛されてるって思ってる?感じてる?」
額の手をどけ隼太に問うはるの顔は、先ほどまでの呆れや怒りを飲み込んで一転非常に真剣なものだった。
隼太もそれに応えるように真面目に
「思ってるし、感じてる」
隼太が言った途端、今度ははるに頬を平手打ちされ勢いそのままに横に倒れる。
かなり手加減したようで、平手よりもフローリングに体を打ち付けた時のダメージの方が大きいようだ。
「な、なんで叩くの?今、なんでおれ、叩かれたの?」
「腹が立った。非常に!」
「え?理不尽に?」
はるは音を立て立ち上がり、驚きで瞬きを繰り返す隼太の胸ぐらを掴むと強引に再び正座を取らせ、隼太の額に自身のそれをゴンと音がするほどぶつけた。
「ギャッ」と短い悲鳴をあげた隼太が目を開けると、真剣だけれどどこか虚しさを含むはるの目が自分を見ている事に気がつく。
「俺の気持ちはハヤに伝わっていて、それをお前がちゃんとわかってくれてるのに、お前はいつもいつも『はるは魅力的だから、他の人に取られたくない』だな」
「はる?」
「お前、俺を信頼してないの?」
「どういうこと?」
「俺を信じてよ。どんな金持ちにも美女にも、ついでにイケメンでもいいけど、とにかく、“普通の人が魅力に感じるもの”を鼻先にぶら下げられても、俺は他の人に魅了されたりしないよ」
虚しさと悲しみが混ざった目と声で、はるは続ける。
「他の人が万が一俺に魅了されたとしても、俺は他の人に魅了されない。そりゃあ俺にも『あの人格好いいな憧れる』とか『うわー美人』とか思う事はあるよ。それは認める。けどさ、それと『だからその人と付き合いたい』とか『ハヤと別れる』とはイコールにならないんだよ」
はるの手がずるりと、隼太の胸ぐらから離れフローリングに落ちた。
「なんでいつも、俺が腹立ててると思う?」
「おれが、おかしいくらい嫉妬心剥き出しで軟禁まがいするから?」
「今まではそうだな」
「じゃあ、今回は違うの?」
はるは大きく頷いた。
「今回は度を越してるだろ?勝手にバイト辞めさせるまでしやがって」
何も言えなくなった隼太は目を見開いた。ポロリとはるの目から一粒涙が溢れる。
怒りや虚しさ、悲しみの表れだった。
「こんなに気持ちを伝えて、異常な事をするハヤを受け入れてるのに、俺をお前が信じてくれないからだよ。なんで信じてくれないの?ハヤが『おれ、年々執着心がおかしくなってる』って言うのすら受け入れてるのに、それでも愛してると言ってるのに、どうしてお前はその俺を信じて話を聞いてくれないんだよ。お前、結局俺の事、信じてないんじゃんって思うだろ。俺の気持ち、何も伝わってないのかって思うだろ。なんでもいいけど、俺を愛しているならさ、俺の話を聞いてよ。聞いてほしいし、俺の気持ちを信じていないような行動は取らないでくれよ」
はるが話しながら感情が昂ってまた涙をこぼしそうになったそのタイミングで、隼太がこの状況の空気を読まないような
「うわああああん、ごめんなさいいい、そんなつもり、なかったんだよぉおおおお」
声を上げて泣き出したため、はるの涙は一瞬で消えた。
性格はいいし顔もいい恋人であるはるを、とにかく愛する隼太は『お前と別れる』関連になると「子供か!」と“殴って突っ込みたくなる”ほどの泣きを見せるし、不安になるとすぐに“軟禁もどき”に走る。
こんな相手が恋人なのに大学に通えているのは奇跡だと、時々はるが本気で思うほどだ。
それでも、そんな“どうしようもない隼太”もはるは愛している。
ダメなヤツが可愛いとか守らねばとか、そんな人物が好みとか言うわけではない。そもそも、隼太はこんな性格を当初全く見せていなかった。
それでもこの隼太を見てもなお、そのマイナスな部分も受け止めて付き合っているその気持ちを、誰よりも一番無視するのが隼太なのだ。
それがはるには悲しかった。
今までは飲み込んでいたけれど、今回ついに我慢ならなくなった。
怒りが一番先に出たが、残ったものは虚しさと悲しさだ。
「だってさ、おれ、はるが好きすぎて、愛しすぎて、どんどんそうなって、比例するように不安になったんだ。はるが好きな気持ちが大きくなるばっかりで、怖かったんだ」
フローリングを涙で濡らして隼太は言う。
「あのさ、なんでそれが自分ばっかりだと思うんだ?俺だって、年々気持ちが膨らまないと、ハヤの“異常性も込み”で愛し続けられないでしょ」
「そっ、そ、そう、なんだ……」
小さく呟いた隼太はその後黙った。
自分の中で消化しているのだ。
年々増していく執着心は、年々増していくはるへの思いに比例した。
自分でもおかしいと思うような執着心からくる行動に、隼太は自分でも恐怖した。
けれども実行してしまうし、受け入れてくれる事に甘えていた。
そのうち恐怖もあるが「愛しているのだから仕方がない」と思うようになって、今回は度を越した行動をしてしまった。
それでもはるは、ただ許してくれると思っていたのだ。
愛しすぎてるなら仕方がないか、といつものように。
自分の愛がはるに届いていないとも思っていない。はるの思いは強く伝わってるし理解している。隼太はそれに対して自信がある。
執着心のおかげか、はるがもし嘘をついたら見破る自信だってあった。だから隼太は、はるの口から、行動から届く愛情を疑った事もない。
隼太はただ、自分と同じようにはるも思いを大きくしてくれているなんて考えられなかった。
少しでも考えれば思い至れたかもしれないけれど、隼太は自分の気持ちを持て余してその大切なところに至れなかったのだ。
至れない時間が長くなればなるほど、はるの話も聞かずにはるを閉じ込めて自分の心の安定を優先したところは大きくある。
「ごめんなさい」
精一杯の思いを込めた謝罪ののち、隼太は自分の気持ちを持て余してはるも自分と同じように思いを強くしてくれている事に至れなかった事を、そして受け入れてくれる事に甘えてい事、他にも思った事を全てはるの目をしっかりを見つめて告白した。
はるは黙ってそれを聞き、隼太の告白が終わってしばらくしてからゆったりと口を開く。
「行動する前に深呼吸しろ。そして思い出せ。ハヤを俺が愛してるって事を。そんで理解しろ。俺は残念ながらお前以外に魅力を、悔しいけど、残念ながら、感じないって事を。感じないから、俺は他の人間に靡かないって事を」
隼太が黙っているのを見て
「返事!」
はるは大声て促す。
「はい!!」
返事を聞いたはるは、静かに隼太に“頼んだ”。
「監禁も軟禁も嫌だけど、それよりも嫌で辛いのは、俺をお前が信じてくれない事だ。俺の話を一切聞かずに、こういう行動する事だ。忘れないで」
風のない日の水面のように静かで穏やかなはるの願いに、隼太はまた泣きそうになる。
自分だけを見て自分本位になって、一番の人を悲しませた事が今やっと辛い。
そしてだから自分ははるが一番、誰よりも愛しているのだと自覚して、泣きそうだ。
「愛しすぎて、監禁と軟禁ばっかりでごめんなさい」
「ほんとだよ」
「次から監禁とか軟禁する時は、ちゃんと深呼吸して思い出して理解した上で、話を聞いてからにします」
「しないって言わないのが、ハヤだよね。うん、わかってた」
贅沢な悩みなのか、どうかを。 あこ @aco826
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