第14話 バイトの面接に来た男

 自宅の最寄り駅から3駅、森林公園の中に朝日を浴びて煌めく、一面ガラス張りの大きな建物。


 それが、ワタシの働いている図書館だ。


 広い玄関ホールを抜けて、ワタシは『STAFF ONLY』のドアを開けた。


「おはようございます!」


 セーフッ!

 ワタシは出勤時間2分前に、タイムカードを押した。真冬なのに、服の中は汗で湿っていた。


 「あれ?麻宮あさみや先輩珍しいですね?ギリギリなんて」


 岩田美紅いわたみく二十三歳。スラッとしたモデル体型で、整った顔立ち。図書館司書補として働く、ワタシの可愛い後輩あいぼうだ。


「朝から絨毯じゅうたんにお味噌汁を零して大変だったのよ……」


 ワタシは荒れた呼吸を整えて、肩まである黒髪を後ろでまとめた。


 白いブラウスに黒のパンツ、黒のエプロン姿に着替える。制服がある訳ではなく、決まりも無いが、ジーンズのようなカジュアルはNG。お客様に失礼の無い服装でなければならない。


 開館前、美紅ちゃんと一緒に書架整理しょかせいり(主に本棚の整理や本の並び替え)を始めた。


「美紅ちゃん、彼氏さんとは上手くやってる?」


 この何気無い日常会話が、のちのワタシに思わぬブーメランとして返ってくるとは、想像も出来なかった。


「別れました。浮気が酷かったので……やっぱ誠実なひとが一番ですよね」


「あ……そうだったんだ?でも美紅ちゃん綺麗だし明るいし、ぐに見つかるよ、イイ男性ひとが」


 ワタシの言葉に、美紅ちゃんは柔らかな笑みを見せた。


「そういえば麻宮先輩ってあまり男の話聞かないけど?どうなんですか、そっちの方は?」


 うっ……タイムリーな話題になってしまった。まあ、どうせプライベートのお付き合いは無いし、いっか。


「うーん、ワタシは全然だよ。売れ残った三十路みそじの代表」

(……つい3日前までは)


「へぇー。ンなこと言ってんでしょ?先輩アレに似てるし……えーっと、あ!オードリー・ヘプバーン!」


 美紅ちゃんは、あまりにありえない事を口にした。いや、ギャグか?ギャグなのか?アー、ギャグね!


「ちょっと〜!それ冗談キツいよぉ、傷つくわ……マジで」


「へ?いや、逆にマジですけど?よく言われません?こないだもココの男性の利用者さんに聞かれましたよ?あのヘプバーン似の女性は旦那さんとか彼氏いますか?……的な」


 美紅ちゃんは、正真正銘真顔で答えた。


「え……?」


 ワタシは、厚さ20cmほどの百科事典を足の甲に落とした。真っ赤な顔で足を押さえるワタシを見て、美紅ちゃんは館内に響き渡る笑い声を上げた。

 開館前で良かった……。


「あ、もうすぐで開館ですね!アタシ先に戻ります」


 美紅ちゃんは、ササッと書架整理を済ませて、足早に事務所へ戻って行った。


「え?ちょっ……ヘプバーンの続きは?」


 気になる……非常に気になる話題だわ。



 開館と同時に沢山の利用者さんが訪れた。ワタシ達はコセコセと動き回った。


 12:00前になると、少し客足が途絶える。

 利用者さんは、館内に併設されているレストランやカフェに移動するのだ。


 ホッとひと息……という訳にはいかない。今日は冬休み短期アルバイトさんの面接があるのだ。


「あ!麻宮さん、アレじゃないですか?面接の人……」


 美紅ちゃんが小さく指をさした入り口に目をやった。

 陽の光を背中に受け、逆光で影しか見えない。

 その人は、突然しゃがみ込んだ。


「え?彼、何をしてるのでしょうか?」


 美紅ちゃんは少し身をひいて、ワタシの背後から顔だけ出した。


 しゃがみ込んだの、お尻が上がったように見えた。


 「ク……クラウチングスタート?」


 予想通り、影男くんはスタートを切ると、物凄いスピードでこちらへ向かって来た。


「うわっ!ちょっと、何?何なの?」


 ワタシは、美紅ちゃんと身を寄せて、ギュッと拳を握りしめた。変な奴だったら美紅ちゃんを守らなきゃ!


 なんとっ!


 影男くんは、まるで走り幅跳びのようにジャンプして、セキュリティゲートを飛び越えた。


 ほんの一瞬だけど、ワタシには影男くんに羽が生えているように見えた。


 まるで、天使みたいに……。



 影男くんはキレイに着地した……が、バランスを崩し、コルクフローリングに尻もちをついた。


「痛ったぁ!」


 え?はっ!

 そそ、その声……その後ろ姿は……


 影男くんは、尻もちをついたまま両手を突っ張り棒にし、首を逆さにもたげて挨拶をした。


「あ、アルバイトの面接に来ました。広瀬樹ひろせいつきと申します!よろしくお願いします!」


 う、嘘でしょ?……何その可愛い笑顔は?夢?……あ、幻か?!


 ワタシは、青ざめた顔で現実逃避をしたが、影男くん……いや、樹君は、身軽に跳ね起きると受付カウンターに両肘を着いて、悪戯イタズラに微笑んだのであった……。



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