第12話 ワタシのスマホは靴下ですか?

「じゃあ、仕事行ってくるね」


 麻宮雫玖ワタシは、通勤でヨレヨレになったスニーカーを履いて玄関のドアを開けた。


「ちょっと待って!雫玖しずくさん、スニーカーの紐ほどけてるよ」


 そう言っていつき君はしゃがみ込んだ。

 そしてワタシのボロ靴の紐に手を掛けた。


「あっ、いいよ!自分で直す」

 (恥ずかしぃ……)


 樹君は、ワタシの言葉に耳を貸さずに紐を結び直してくれた。


「出来た!」


 樹君はまるで子供のような笑顔で、ワタシを見上げた。


「ありがと」


 ワタシは小さな幸せを感じていた。まさか美少年と同棲し、朝ご飯の用意や解けた靴紐まで結んで貰えるなんて……二日前のワタシには想像すら出来ない事だった。


「家事は全部やっておくね。夕食楽しみにしといて!」


 もはや家政夫さん……いや、イケメン執事バトラーだよ!

 

 ワタシは喜色満面きしょくまんめんで、冬霞ふゆがすみが晴れた通い路を、足取り軽やかに歩いた。


 

 師走になると、何処どこ彼処かしこも慌ただしくなる。

 図書館も例外では無い、繁忙期をむかえる。長期休暇に入った学生さん達の来館が増えのだ。

 来春に受験を控える人、冬休みの課題である読書感想文の為に本を探す人、挙句の果てに『読書感想文の書き方』という本を探す人まで様々だ。

 目が回る程忙しい……勿論これは嬉しい悲鳴というヤツだ。


 あっという間に退勤時間をむかえ、冷たい空気の中、冷えたアスファルトを踏みしめて帰路に着く。


 暗がりに自宅マンションが見えてきた。今までとはまるで違う。見上げると、自分の部屋に明かりが付いている。

 ワタシは、ひとりでニヤニヤしながらエレベーターに乗ると、バッグから手鏡を取り出し、乾いた唇をリップで潤した。


 「よしっ!」


 風で乱れた前髪を直しながら、部屋の前まで来た。自宅なのに、何故か緊張する。

 ワタシは鍵を開けて、恐る恐る玄関へ入った。

 リビングの明かりが見え、空腹を刺激するいい匂いが漂ってくる。

 

 「た、ただいま……」


 ドアを開けると、温かい空気がワタシを包み込んだ。

 つい二日前までは、暗くて冷たい部屋が当たり前だったのに。


 ワタシは、心まで温かくなった。


「あ、おかえり!インターホン押してくれれば鍵開けたのにぃ」

 

 樹君はエプロン姿でキッチンに立っていた。改めて顔を見合わせると、やはり美少年……。

 

「手……洗ってくるね」


 ワタシは赤面している事が恥ずかしくて、逃げるように洗面所へ向かった。


 手洗いうがいをし、寝室でコートと彼に貰ったマフラーを脱ぐと仕事モードがオフになった。


 リビングへ戻ると、テーブルにご馳走が並べられていた。


「うわぁ、美味しそう!ハンバーグ大好きなの!」


 ワタシのお腹から、カミナリが響いた。

 お腹を押さえ赤面したワタシを見て、彼は無邪気に笑った。


 レストランのような美味しいハンバーグで満腹になると、ワタシの気持ちも幸せで満たされた。


 二人並んで後片付けをしていると、


「ヒック……」


 彼は、可愛らしいしゃっくりを始めた。


 ワタシがクスリッと笑うと、彼は恥ずかしそうに視線を外した。


「お風呂に入っておいで。後はワタシがやっておくから」



 二人共パジャマ姿になり、リビングでマッタリとテレビを観ていた。


「ヒック……ヒック……」


 なかなか執拗しつこいしゃっくりのようだ。


 そんな時、伽椰子かやこからの着信が……


「はい、もしもし……」


 『やはり』と言ったところか……樹君とはどうなったのか?という電話だった。

 ワタシが事情を説明している時、伽椰子のニヤつく顔が想像出来た。


「え?なんでよ……もぉ……樹君、伽椰子が電話代わってだそうです」


 ワタシは、スマホを彼に手渡した。

 すると……彼は通話をスピーカーに切り替え、二本指で挟むようにスマホを持ち、肘を伸ばして自分から遠ざけた。


「あ、もしもし伽椰子さん……」


 ちょ、ちょっと待て……そんな、まるで汚れた靴下を持つように……。

 ワタシってそんなに汚いのか?ちゃんとお風呂入ったのだが……


 ワタシがワナワナとしている間に、二人の楽しそうな電話は終わった。てか、もう切ってるし……。ワタシはピエロかよ。


「なんか、伽椰子さんが週末に三人で出かけようって」


 彼はニコニコしながら、ワタシにスマホを戻した。


「いや、その前になんだね、その持ち方は?ワタシは汚いの?あ?」


 バイ菌扱いと、(いい歳こいて)伽椰子との楽しそうな会話に嫉妬したワタシは、


「もう寝る!おやすみ」


 

「え?雫玖さん、まだ21:00……」


 ぶすくれた顔で、彼の話を遮ってリビングを去った。

 

 やってもーた……なんて大人げないんだワタシは。しかし後の祭り……今更笑顔でリビングに戻る事など出来ない。

 彼とのマッタリタイムは、自分の醜い嫉妬せい……いや、伽椰子のせいで終了した。



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