第9話 彼の贈り物

 麻宮雫玖ワタシは健康の為、早寝早起きをしている。


 22:00台のドラマは観れないが、朝からNe○flixで韓ドラを一話だけ観る余裕が出来る。

 勿論、仕事に遅刻した事など一度もない。


 ベッドから出ると冷んやりとした空気がワタシを包み込んだ。


「う〜、寒っ」


 いつも通りトイレに行き、洗面所で顔を荒いキッチンへと向かった。


 クンクンッ……


 何やらキッチンから食欲をそそるいい匂いがしてきた。


 ま、まさか……


 ドアをそっと開けると、予想通りいつき君がキッチンにいた。しかもワタシのエプロンを着けて……。


「あ!雫玖しずくさん、おはよう!ささ、座って」


 何故かワタシは、彼に背中を押されリビングの定位置へ座らされた。


「え……これ、キミが?」


 テーブルの上にはトースト、目玉焼き、ウインナー、そしてポトフが並べられていた。


 ポトフから立ち上る湯気が、いい匂いの正体だった。


「泊めて貰ったお礼に作ったんだ。まあ、材料は雫玖しずくさんの冷蔵庫から拝借したけど……」


 樹君は、頬を人差し指で掻いて、苦笑いを浮かべた。


「温かいうちに食べてみて」


「あ……うん。いただきます」


 ワタシはポトフを口にした。


「ど、どうかな?」


 樹君は、胸がドキドキしている様子で、ワタシの顔を覗き込んだ。


「美味しい……」


 ワタシは、何の味気も無い返事をした。

 本当に美味しくて、素直に出た言葉だった。


「……ほ、本当に?」


 彼は、ワタシの薄い反応に緊張が増していた。


「本当、本当っ!ごめんっ、美味しくて驚いたの!」


 ワタシは、慌てて返事をした。

 一瞬でも彼を不安にさせてしまい、心苦しくなった。


「良かったぁ、不味いのかと思った」


 彼はホッとして、肩の力が抜けたようだ。


 人参、玉ねぎ、じゃがいも……昨夜のカレーの材料を余すこと無く使ってくれていた。


 そんな心遣いも嬉しかったし、何より他人ひとにご飯を作って貰った事に、この上無い幸せを感じた。


 ワタシは、頬を赤らめ嬉しそうに微笑む彼を見て、不覚にも胸がキュンっとなった。



 ワタシ達は、出かける準備を終え、エレベーターに乗った。

 まるで、デパートのエレベーターで他人と乗り合わせているように無言だった。

 1Fのランプが灯り、マンションの入り口を出た。


 ここでお別れにしよう。


「ねぇ、樹君……」


(部屋が見つかるまでウチに居てもいいよ……)


「なぁに?雫玖さん」


「あ、えっと……不動産屋さんの場所覚えたかな?」


 ワタシは、何故か引き留めようとした。

 けど、彼はまだ若い。こんなオバサンと同棲しても仕方がない。

 これから素敵な女性にきっと巡り会える。(美少年だし)


 ワタシの事を知っているようだけど、どうして婚約者さんと間違われたのかは分からない。

 でも、彼と過ごせて楽しかった。


 この先、二度と無いであろう経験を出来ただけで、良しとしよう。

 彼のおかげで、少しだけ男性に対する恐怖が薄れた気がする。


 ワタシは、彼……樹君に短い時間で色々な贈り物を貰ったんだ。


 「樹君、朝食ありがとう。じゃあ、ワタシは駅に行くからここで……ね。バイバイ」


 ワタシは、笑顔で彼と別れた。

 彼も、笑顔で手を振ってくれた。


 十歩くらい歩いたところで、ワタシはふと振り返った。


 彼も振り返った。


 ワタシ達は、思わず吹き出した。


「さよなら、ボクのヘプバーン!」


「え……?」


 改めて手を振るとワタシは駅に、樹君は反対方向の不動産屋さんへ向かった。



 冷たい風が吹く……ワタシは、樹くんカレに貰ったマフラーに顔をうずめた。


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