第4話 世界との邂逅
アルヒとミナの間に生まれたシルヴィアは、生まれると同時に母を喪ったが、父に見守られ、健やかに成長した。そしてシルヴィアの齢十六の誕生日の日を迎えた。
まだまだ子供のシルヴィアを、アルヒは時に優しく、時に厳しく見守った。将来のシルヴィアにきっと必要になるだろうと、アルヒは今まで自分が培ってきた知識や礼儀作法など、思いつくものを全て教えていた。何よりシルヴィアに必要なのは、癒しの魔法の力の制御、そしてそれを利用されないだけの教養や知識だと考えていた。誰彼となく癒しの魔法を使っていたら、シルヴィアそのものではなく、癒しの力を欲しいが為に寄ってくる輩どもが必ず出てくるはずだ。アルヒは権力のために媚びられていた自分を重ねてしまい、シルヴィアにそんな悲しい思いはしてほしくないと思っていた。
しかし、今日は愛しい愛しいシルヴィアの誕生日だ。そんなことは抜きにしよう。アルヒはそう思った。同時に愛しい愛しいミナを喪った日でもあるのだが、目の前のシルヴィアがその悲しみをかき消すように今日も元気で生きてくれている。それだけでいいじゃないか。
「誕生日おめでとう、シルヴィア。」
父アルヒはミナを喪って初めて料理というものに触れたが、それも今日で十六年目。最初は拙かった料理も今では立派なものができるようになっていた。色々とばあやから聞き齧った情報でケーキなるものも作った。シルヴィアは甘いものが大好きな女の子だったので、アルヒも毎年ケーキは趣向を凝らした。
「ありがとう、お父様。今年もとても美味しそうなケーキね。いつも楽しみにしているのよ。こんな美味しそうなケーキを独り占めできる私は本当に幸せ者ね。」
アルヒは心の中でガッツポーズをした。こんな可愛い娘がこんな可愛い反応をしてくれるなんて自分は世界一幸せな父親に違いなかった。アルヒはどうしても裁縫が得意になれず、着るものはばあやに手配してもらった最低限の粗末なものしか用意できなかった。せめて料理で娘を喜ばせることができてよかった。目の前でミナ譲りの綺麗な銀の髪が揺れる。
ーミナ、君もきっとどこかで、見てる、よな?
アルヒは遠くミナに想いを馳せる。シルヴィアもアルヒがよく遠くを見ていることを知っていた。複雑な想いをシルヴィアは幼いながらに抱く。
ー私は生まれてきてもよかったの
と。
アルヒはあまりミナの事を話さない。きっと辛い記憶が蘇るのだろうと、シルヴィアもあえて聞くことはしなかった。
「さあ、シルヴィア。よく顔を見せておくれ。君が僕の娘でいてくれること、とても誇りに思っているよ。」
アルヒはそう言うと、シルヴィアを抱きしめ、シルヴィアはその温もりに考えることをやめた。
その日はあっという間に過ぎた。二人で幸せで静かな時を過ごした。
次の日、唐突に事件は起きた。朝、食材を調達するため家を出ようとしたアルヒは信じられないものを見たような声を上げた。
「君は、イーラ!?」
素っ頓狂な叫びに、シルヴィアは何事だろうとドアから顔を出した。
そこに立っていたのは、紛れもなく甥っ子のイーラだった。
「久しぶり、アルヒ叔父さん。その子供は?」
イーラはオルデンから、アルヒは人間の娘と出奔して中間の島で暮らしている、としか聞かされていない。その子供がもしかして人間の娘だと言うのだろうか。
「…僕の娘だよ。シルヴィア、ご挨拶を。甥っ子のイーラだ。」
イーラは目を見開いた。娘、と言ったのか?人間の娘、との子を成したということか?イーラは混迷を極めていた。もしそんなことになっていたら、父オルデンの許しを得られるのだろうか、と。
ドアから覗いていたシルヴィアは紹介されて、イーラの前に姿を見せると、美しくお辞儀をしてみせた。
「シルヴィアです。お初にお目にかかります。」
イーラは動揺を隠せなかった。銀の髪に青の瞳。瞳を見れば、この子供がアルヒの血を引いているとわかる。目元がそっくりなのだから。
「…初めまして。僕はイーラ。白龍王オルデンの息子だ。」
いつもの癖で、イーラはそう名乗った。アルヒはすかさずシルヴィアを脅威から遠ざける。
「イーラ。今日はそういう肩書きは無しで。君はただイーラでいるだけでいいんだよ。」
アルヒは相変わらず難しいことを言う。イーラはそう思った。
「ごめんなさい。つい癖で。実は父上から叔父さんの消息を聞いて、訪ねてみたくなって来てしまったんだ。」
アルヒはついにこの日が来たか、と思った。オルデンが自分を放っておくのか様子見をしてきた。答えはノーだったということだ。連れ戻され、シルヴィアと引き離されるのは目に見えている。どう出ようか、とアルヒはイーラの出方を伺った。
「とりあえず、お土産に良いお茶を持って来たんだ。どう、一杯?」
イーラは呑気にお茶っ葉を掲げてみせた。
その反応に、アルヒは拍子抜けする。
(まさか、シルヴィアの存在も知らなかったとか、何も知らされていない?連れ戻せとか言われていないとか?いや、それはないだろう。演技か?)
アルヒは聡明な兄オルデンとの駆け引きの真っ最中にいた。
「お茶、大好き!」
シルヴィアの底抜けに明るい声がアルヒを現実に引き戻す。そう、君も?と、イーラとシルヴィアは意気投合しかかっている。
ひとまずイーラに危険性はないと判断して、アルヒは家に入れた。だが、アルヒは孤軍奮闘していた。
(兄さんがシルヴィアの存在を調べていないはずがない。イーラは何も聞かされていない可能性が高いな。今日は先ぶれにイーラを送り込んだだけ、か?)
そうだとしたらまだ手を打つ時間はある。シルヴィアを新たな地に隠し、自分は戻ったフリをしてシルヴィアを見守り続けるというプランは打ってある。
お茶をしている間に、イーラとシルヴィアは随分打ち解けたようだった。イーラはシルヴィアの素性を聞いても、特に忌み嫌う様子もなく、個として接してくれたようだ。
それなりに時間を過ごし、イーラは今日は帰る、と言い始めた。
「本当に様子を見に来ただけなんだ。父上からは色々言われてるけど、今日の叔父さんを見ていて、幸せなんだなって思って。また今度にするよ。」
じゃあ、そこまで送ってくるからとアルヒはシルヴィアを一人残して家を出る。
「イーラ。本当のことを教えてくれ。君はこの先僕をどうしようと思っている?」
アルヒはイーラに静かに問いかける。イーラは少し考えたが、答えは思ったよりすぐに帰ってきた。
「わからない。叔父さんには戻って来てくれると嬉しいけど。シルヴィアはきっと連れて行けないね。父上が受け入れてくれそうにない。だから、わからない。」
イーラの答えを聞いて、アルヒはそうか、と頷いた。
「シルヴィアは僕の宝だ、離れることは考えられない。だから、この先一生兄さんの元には戻れない。すまない。」
イーラは、アルヒは変わっていないなあ、と思った。自分など父に縛られ続けているというのに。変わらないね、叔父さんは。と言おうと思った。振り返った叔父の身体には無数の刃が突き立っていた。
「それがお前の答えか、アルヒ。失望したぞ。」
その声の主は、紛れもなくオルデンだった。黒衣に身を包み、茂みから姿を現す。
血を吐き出しながら、アルヒは口を開いた。
「くっ…なぜ。気配に気づかないはずが…。」
最大限に気をつけていたはずだ。この兄の威圧的なオーラに気づかないはずがないとアルヒは不思議で仕方なかった。
「馬鹿め。そんなもの茶に仕掛けをしたからに決まっているだろう。そんなことにも気づけない愚か者だったとは。」
オルデンは嘲笑する。一人状況から取り残されたイーラは、父に嵌められた事に憤る。
「なぜ、叔父さんのことは連れ戻すと言ったはずではなかったのですか、父上!」
外が騒がしい。少し出てくると言った父は一向に戻らない。シルヴィアは家にいるように、という父の言いつけを破って外へ出る。やがて風に乗って来たのは血の匂いだった。
シルヴィアは不穏な空気に不安を覚えながら、父を探し求めた。
やっと見つけた父は血塗れだった。
「お、父様…。」
シルヴィアのか細い声も、アルヒは聴き取った。死の淵に居ながらにして、アルヒは最後まで父としての役目を果たしたかった。
「出てきちゃダメだ、シルヴィア!!一刻も早くここから離れなさい!!!」
しかし、シルヴィアはあまりの光景にへたり込んでしまっていた。当然だ。子供のシルヴィアが見ていい光景ではなかった。
「あれが全ての元凶との子か。今ここで貴様と共に葬ってやろうか。」
アルヒは苦虫を噛み潰した。
(ここで終わりなのか…?)
そのアルヒを覆ったのは、いつもの緑の光だ。
「シル、ヴィア。ダメだ、今その力を使っては…!」
シルヴィアは目の前の父の凄惨な光景にぐしゃぐしゃに泣きながら、息もろくにできずにヒューヒューと不快な音を立てつつ、なんとか父を助けようとしていた。
「シルヴィア。その癒しの力を使う時は慎重に。大切なひとを助ける時だけだ。」
父はよくそう言っていた。今使わずいつ使うのか。シルヴィアは力を振り絞って必死に父を助けようとした。
「癒しの力だと?その娘にそんな才能があったとはな。面白いが、そろそろ不快だ。」
オルデンは今度はその力の暴風をシルヴィアに向けようとしていた。
イーラも放心状態になっていて、シルヴィアを守る手立てがもうないと、アルヒが絶望しかかったその時だった。
オルデンの刃を何かが弾く音がした。
「おやおや。ついに侵攻して来たのかと思ったら、ただの内輪揉めだったって事か?」
そこに現れたのは、黒龍の王、シュラである。
「なんかよくわからんが、こんな幼い女の子相手に本気出しちゃって、恥ずかしくないのか?笑っちまうな。」
シュラはオルデンを挑発してみせる。
「黙れ、それは直ちに始末しておくべきなのだ。邪魔をするなら貴様も消すがいいのか?」
オルデンは狂乱していた。
「は?やれるもんならやってみろよ。今俺とやり合おうってんのか?」
お互いのボルテージが上がっていくのが感じられる。そこへなんとか自我を取り戻したイーラが割って入った。
「おやめ下さい!今これ以上争って何が得られますか?両国の王がぶつかればただでは済まない事は両者がご承知おきのはず。これ以上、この子に酷すぎます!」
イーラが割って入った一瞬の隙に、シュラは先手を打った。
「よくやった、そこのおかっぱ。この子供は黒龍王シュラの名に於いて今この瞬間から預からせてもらう。」
今度はオルデンが苦虫を噛み潰す番だった。王の名に於いて宣言されてしまっては、これ以上シルヴィアを傷つけると宣戦布告とみなす、ということだ。
オルデンはイーラを睨みつける。しかしイーラもオルデンに駒にされた屈辱と怒り、失望と恐怖に支配されていた。
シルヴィアが黒龍王シュラに保護されたのを見届けた瞬間に、アルヒは力尽きた。それほどにオルデンの力は凄まじく、傷は深かった。
間も無くしてオルデンはイーラと共に去った。
シルヴィアはシュラに伴われ、アルヒの遺体を母、ミナの墓の隣に埋葬すると、シュラの背に乗って黒龍の国へと旅立った。
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