第2話 白龍の国

 北方に位置する白き龍の国は、ここ千年ほどアルヒの兄、オルデンが統治している。オルデンは、聡明な王として知られている。そして厳格なことでも有名であった。

 龍人は大体のものが長命で、千二百年ほど生きているオルデンでもまだ人間で言うと四十くらいといったところだろうか。若くして王となったオルデンだが、これは父王が戦争によって亡くなったためだ。突然の王位継承は一筋縄ではいかず、オルデンはどちらかというと苦労人の部類に入る。

 だからこそ弟には苦労をかけたくなかったーとはいえ甘やかしすぎたのだろうか。

 弟のアルヒは突然人間の娘を連れて来たかと思うと、その娘をこの国に住まわせたいなどと言ってきた。馬鹿馬鹿しい、人間など所詮百年も生きられぬ種族。そして翼もなければ肉体的にも脆弱ときている。

 散々喧嘩になったが、とうとうアルヒは娘を連れてどこかへと姿をくらましてしまった。

 アルヒは娘に好意を抱いているようだったが、それも一時の熱に浮かされているだけのこと。オルデンはそう思い、しばらく放っておくことにした。アルヒにだって、一定の常識くらいあるだろうと思っていたためだ。オルデンのいう常識というのは、種族の差にいつか気づいて、別れて戻ってくるだろうという甘い見込みの話だ。いくら賢明な王であっても、過ちはあるということに、オルデンはまだ気づいていなかった。

 白き龍の国には、四季があり、その民たちの大半は保守的で、革新を嫌い、伝統や矜持を大切にして生きていた。どちらかというと閉鎖的な人々ではあるが、皆理知的で、非合理的なことは嫌いな傾向が強かった。

 オルデンもそんな白き龍の民の血を多分に引いており、白き龍の民であることを誇りに思っていたので、アルヒの言動が理解できないことがままあった。

 アルヒと同じく美しい金の髪と、意志の強い青い瞳を持つオルデンだったが、彼はアルヒとは違い、正当に選ばれた美しい妃を迎え、そして次の世の継承者を育てることに成功していた。

 オルデンは息子のイーラを誇りに思っていたし、イーラもその期待に応える成長を日々見せてくれている。

 イーラはまだ若く、経験不足な面はあるが、心持ちの優しい、民を思いやれる王になれるとオルデンは確信していた。

 イーラと名付けられたその青年は、美しい金の髪を少しおかっぱ気味にしていたが、不潔感は全くなく、むしろ丁寧に切り揃えられたそれは好印象すら与える。

 吸い込まれそうな青い瞳は、まだ見ぬ未来を見据えていると若い女子からは専ら噂の的だった。が。イーラの瞳は、本人からしてみれば濁りきった泥水に等しい。

(なーにがまだ見ぬ未来、だよっ。)

 イーラは色めき立つ女子の黄色い声援は無視して、今日も一人庭で考え事をしていた。

 父オルデンが偉大すぎて、自分の将来に不安しかないイーラは、日々澱みきった大海に放り出されている気分だった。唯一相談に乗ってくれていたアルヒは人間の娘と出奔したというし、イーラはなんだか何もかもがどうでも良くなっていた。

 アルヒおじさんは優しい人だった。病で右目を失ったことをきっかけに、一族では冷遇されていたらしいけど、『見えないものができたからこそ、見えることもあるさ。』と、どこか遠くを見ていた時もあったっけ。とにかく厳しい父に代わり、優しく見守ってくれたのがイーラにとってはアルヒという存在だった。張り詰めたこの宮殿の空気に疲れる、という話で盛り上がったこともある。もちろん父には内緒で。

 そんなアルヒをそれほどまでに惹きつけた人間の娘に興味もあったが、嫉妬の方が大きかった。父が言うように、人間はせいぜい生きられて百年だと聞く。何千年と生きる我々とは違いすぎるという理論は頷ける。我々にとってそんな刹那の瞬きを生きる人間だからこそ、アルヒは魅せられたのだろうか。とすれば、アルヒの不在は一時的な事、ということになるのだろうか。いや、でも出奔したアルヒを、父オルデンが簡単に赦すかということも疑問に思える。あの堅物の父は、一旦こうと決めたらテコでも動かない節がある。

 懐いていた叔父と他愛もない話で盛り上がれないことをイーラは残念に思った。そしてそれが少なくともしばらくは続くだろうという見込みにため息しか出なかった。

 どこかへ行ってしまうなら、いっそ自分にも声をかけてくれたらよかったのに。

 そんな思いさえよぎった。現実逃避しているイーラを、現実は許してくれない。

「イーラ様、こんなところで何をお考えでいらっしゃるの?お悩みなら、わたくしが伺いますわよ?」

 先日父に紹介された令嬢が声をかけてくる。御多分に洩れず、美しい金の髪と、青い瞳をしている。オルデンから見れば正統派令嬢だったのだろう。イーラに紹介するということは、妃候補として入れておけ、ということだ。

「この国の未来について想いを馳せていただけさ。」

 イーラは大して興味もない令嬢と会話をする気にもなれず、適当にいつもの決まり文句を言ってその場を立ち去る。決まり文句がそんな風だから、まだ見ぬ未来とか言われるのだが。

 イーラは恋愛欲求が薄いらしく、女性を目の前にしても特段どうというアクションはしない。というのも、イーラは将来はオルデンが気に入った女性と結婚させられるんだろうな、という諦観があり、自ら恋愛すると後々後悔することになると思っているせいもある。

 アルヒのように、燃えるような恋ができたなら。それはそれで羨ましかった。

「イーラ、話がある。」

 思考の海に沈んでいたところを、父に呼び止められる。

「はい、なんでしょう父上。」

 厳格な父オルデンは、オーラからして威圧されるような人物だ。自然と少し緊張してしまう。その父から放たれた言葉は、イーラの想像もしなかった言葉だった。

「アルヒの居処を突き止めた。あやつは今あの下品な黒龍の国との境にある辺境の島にいる。お前からアルヒを説得してほしい。お前はアルヒに懐いていただろう?お前の言葉ならば、アルヒも聞く耳を持つかもしれない。」

 どこかへ行ってしまった、とだけしか聞かされていなかったが、オルデンははっきりとアルヒの居場所を追っていたのだ。

(まあ、血の繋がった大事な兄弟、だもんな。)

 オルデンは家族の繋がりというものを重視しているとイーラは思っている。イーラのことも大切にしてくれるし、アルヒの事も不出来な弟だと言いつつも、蔑ろにしたりはしなかった。

「アルヒがいなくてお前も寂しいだろう?頼めるか?」

 オルデンはいつになくイーラを宥める。嫌だとは言わせないという圧がすごいが、イーラも断る理由はないので受ける事にする。

「ああ、今すぐ行けという話じゃない。もう少し時期をみよう。まだあやつも熱に浮かされているだろうからな。ほとぼりが冷めた頃にまた話そう。頼んだぞ、イーラ。」

 オルデンは無駄話はしない方だ。今すぐじゃないなら、なぜこのタイミングで話したのだろうと、イーラは少し違和感を覚えた。でもそんなものは些細なもので、アルヒの説得という大役を任されたイーラは、どうアルヒに訴えかければ戻ってくる気持ちになってもらえるだろうと考え始めた。

(なんだ、父上もそれはそれは怒っていたけど、やっぱり叔父さんを赦しているんだ。帰ってきてほしいという事でなければ、あんな話はしない人だもんな。)

 イーラはアルヒがいずれ帰ってくるだろうという楽観的な見通しに、胸を躍らせた。

 また皆で楽しく暮らせる日が来る。そう願って時を待った。

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