第1話 シルヴィア誕生の日

「オギャア、オギャア」

 その日、その赤子は産声をあげた。

「かわいい…。」

 産んだばかりの母親が、そう言って我が子に触れながらつぶやいた。

「かわいい女の子だ、よくがんばったな、ミナ!」

 ミナと呼ばれた母親は、銀の髪をした優しそうな女性だった。

「ありがとう、アルヒ。目元があなたにそっくりよ。」

 その日父親になったばかりのアルヒは白龍の国の王子である。

 そんな二人がいずれの国にも属さない辺境の中間の島に暮らす理由。それは、ミナが人間だからに他ならない。龍人であるアルヒたちとは違って、寿命も短く、肉体的にも脆弱と言われて蔑まれている人間との間に子をなす事など、アルヒの兄、現白龍王のオルデンが許すはずもなかった。しかし、ミナを深く愛していたアルヒは国を捨て、この地に移り住むことを決めた。

 兄よりも、国よりも、そして王子という身分よりも、アルヒはミナを愛することを選んだ。

 何も後悔していない。後はミナと一緒に、ミナと同じ銀の髪をしたこの子の成長を見守っていけたら、ただただ幸せだ。

「シルヴィア。この子の名前は、シルヴィアがいいわ。」

 ミナが突然そう告げる。アルヒはそれに賛同し、産まれた子の名前はシルヴィアと決まった。

「きっと女の子だと思ってたの。そうしたら、名前はシルヴィアにしようって、ずっと前から決めてたのよ。」

 ミナは何か感じ取っていたらしく、アルヒにそう告白する。

 龍人だからとか、人間だからとか関係なく、アルヒはミナのこういう真っ直ぐなところが大好きだった。強く芯を持った女性だった。こうと決めたら動かない頑固さはたまにあったが、それもミナの信念があってのことだと、アルヒは不快には思わなかった。

 アルヒは元々白龍の国での生活に嫌気がさしていた。

 寄ってくるのは権力やお金にしか興味のないものばかり。自分の王子という立場が煩わしくて仕方がなかった。兄からは、もっと周りとうまく付き合え、と言われてきたが、それもアルヒにとっては難しいことで、どこからが建前で、どこまでが本音なのか理解できず、アルヒは疲れ果てていった。

 そんな折、国を飛び出し一人物見遊山がてら人間たちの暮らす雪山に降り立った時だった。

 火口付近に降り立ったアルヒは、一人散策を開始する。龍人とはいえ、人に近い形態のままでは飛べないため、龍形態でやってきたが、実はこれはたちまち噂となるため、かなり危険な行動でもある。それでもアルヒが人里へやってきたのは、それほどまでに国での生活に嫌気がさしていたからである。火口付近から外へ出て、深く空気を吸い込む。

 雪に覆われた大地で、静謐な空気で肺を満たした。アルヒはしばらくその感覚を愉しむ。

 龍形態のままでいたら、人間はなぜか、崇めてくるか、襲ってくるかなので、人として静かに少し座って、考え事をしていた。その時だった。

 ザザザザ…

 遠くから地鳴りが聞こえた。

 アルヒが振り返るより早く、雪の塊が襲ってきた。雪崩である。

 龍人がいくら強靭な肉体をしているからと言って、人形態で雪崩に巻き込まれればただでは済まない。

 できるだけ流されないよう、とっさに龍となり、流れに逆らったが、その場に留まることはできず、だいぶ流されたようだった。

 あたりの気配も落ち着いたので、再び散策に戻るため動こうとすると左足に尋常ならざる痛みを感じた。

 見れば、折れた大木の幹が、左の腿に深々と突き刺さっている。

(これは、しばらく動けないな…。)

 アルヒは龍人であるが故、これくらいで致命傷にはならないと分かりつつも、龍人だからとて痛みを感じないわけではない。

 刺さったものを抜き去り、その場で眠って体力を回復することにした。

 

 三日後

 

(飛ぶことに意識を集中できるくらいには回復したかな…。)

 三日間、誰にも見つからなかったことが幸いだった。もし野蛮な人間に見つかっていたら、怪我をしている龍なんて見つけたら襲いかかってきて、殺されて肉にされて、英雄譚にされるに違いない。

(まあ、そんな簡単に奪らせてあげないけどね。)

 アルヒは腕に自信がある方ではないが、自慢話のために討伐される気はさらさらなかった。

「さて…。」

 怪我は全快したわけではないけど、そろそろ帰るか。兄さんもうるさいし。と決意して、空を見上げたアルヒに危険が訪れた。

 パキッ

 誰かが踏んで枝が折れる音がした。

 アルヒが意識を向けると、そこには一人の少女が立っていた。

(こんなところに…?)

 少女は少し怯えた様子だったが、やがてこちらが危害を加えるつもりがないことを理解すると、恐々とではあるが近づいてきた。

「え、えと。」

 少女はやがてアルヒの目と鼻の先まで近づいてきて語りかける。

「あの、怪我を、している、の?」

 アルヒは青い瞳を見開いた。少女が自分に触れたためだ。こんな華奢な少女にいきなり殺されはしないだろうが、やはり触れられると違和感を覚えた。と、その瞬間、少女が緑色の光を放つ。

(何を…?)

 アルヒは抵抗はせず、じっと結果を待った。するとどうだろう。傷を負ったはずの左足からみるみる痛みと傷が消えていくのだ。

 ーこの少女、癒しの魔法を使っている。

 しかも人間であろう少女だから驚きだ。龍人の中でも癒しの魔法の使い手は少ない。白龍の国にはまだ多い方で、黒龍の国にはほとんどいないと聞いたこともある。

 さらにこの少女は龍人である自分の傷を治せる程の使い手。かなり稀有な存在だろう。

 やがて少女はアルヒに触れた手を離すと、アルヒの様子を見ながら声をかけてきた。

「傷、どう、かな。治ったと…思うんだけど。」

 声をかけられたアルヒは、左足を少し動かして様子を確認する。

 ー完治している。

 龍人の癒しの魔法の使い手であっても、あの傷をこの短時間で完治させる程の使い手は見たことがない。

 びっくりしていると、少女はアルヒのそばに腰掛け、そっと様子を見守っているようだった。そしてアルヒを相手に、というか独り言なのか、世間話を始める。

「今日、寒いね。まあ、雪だもんね。」

 そう言われても、雪だからと言って特段寒いとか、火山だから暑いとか、人間のような感想を持たないアルヒにしてみればよくわからない話である。

 しかし少女はお構いなしに続ける。アルヒはよくわからない人間あるあるをしばらくの間静かに聞くことにした。

 少女は楽しそうに話をしている。それを見ていたアルヒは、権力や家柄なんか関係のないその世界が羨ましかった。

(ああ、こんな風に生きられたら。)

 アルヒは楽しそうに話す少女との時間が楽しくなってきた。

 その時だった。

 どこからか、石の礫らしきものが飛んできた。

「いたっ」

 少女が礫にあたって楽しい時間を潰されたことにアルヒは残念な気持ちを隠せなかったが、石の礫は自分を狙っているわけではない気がしたので、気になった。

 よく見ると、少女が現れた森の中から、複数人の人間が少女とオマケで自分を狙っている気がする。

「魔女め、まさか龍と通じていたとはな!」

 アルヒにはその言葉がはっきりと聞こえた。

 攻撃はやがて苛烈になり、少女を責め立てる声も大きくなっていく。

(ここは一旦退くべき、だな。)

 アルヒは少女を乱暴に掴むと、大きく羽ばたいて人間がすぐに入って来れないであろうエリアへと移動する。少女は人間であることを考えると、火口に降りるのはまずい。

 諸々を考慮した場所へと降り立つと、少女を解放する。せっかく自分の傷を気遣ってくれた恩人があんな扱いを受けるのは、ショックだった。

 アルヒは、龍の姿でいる必要がなくなったため、少女の前で形態を変化する。

 美しい金の髪と、青い瞳をもつアルヒだったが、その姿に少女はやや色素の薄い水色の瞳をキラキラさせて見ていた。

「すごい!私空を飛んだのよ!それにあなたも、とっても美人さんだったのね!」

 最後のはすごく余計なお世話な気がする。しかし、少女は続けた。

「龍さんは、いつもあの姿なんだと思ってた。でもそんな姿にもなれるのね?」

 少女は興味津々である。なんだ龍さんって。

「僕の名前はアルヒ。龍さんってなんだよ…。」

 とっさにそう返してしまった。だって本当にそう思ってしまったから。少女はもっと目を輝かせてそれに応えた。

「ごめんなさい。私はミナ。龍さんはいつもああやって空を飛んでいるの?」

 ミナと名乗った少女はよほど空を飛べたことが楽しかったらしい。

「そう、だな。あと、龍さんはやめてくれ…。ん?」

 徐々にミナが距離を詰めてきていることで、アルヒはあることに気づいた。

「ミナ、君は癒しの魔法が使えるはず。なのになんでそんなに傷だらけなんだ?」

 よく見ればミナは生傷だらけである。

「え?えへへ、私、魔女だから、かな?」

 そう言って笑って見せたミナの目から、一筋の涙が伝った。

 アルヒはミナから事情を聞いた。

 自分は村では厄介者の魔女だと言われていること。

 癒しの魔法はいけないものだと思っていること。

 辛いことがあると、あの山に一人で来ては、辛いことを忘れるようにしていたこと。

 そして、ミナは自分自身には癒しの魔法が使えないこと。

 アルヒは凄絶なミナの生活を聞いてゾッとした。

(彼女はここにいてはいけない。)

 アルヒはミナをこの土地から遠ざけようと決意した。少なくとも、あの瞬間自分のことを肉体的にも、精神的にも救ってくれたミナをこんなところに置いては帰れないという気持ちだった。

 アルヒはミナにそのことを伝えて、共にこの地を去ろうと言った。ミナは他に家族はいないということで、特に未練も示さなかった。

 そうしてミナを連れてアルヒは帰還したが、兄のオルデンからは大目玉を喰らった。

「人間の娘をこの地に住まわせたいだと?何を寝ぼけたことを。いい加減にしろ!」

 兄は堅物で、龍人は選ばれた種族だという観念の持ち主だったため、分かり合えないと悟ったアルヒはその日のうちに、ミナを連れて兄の目に障らない中間の島へと移り住むことを決意した。

 そうして愛を育んで五年間。アルヒには瞬きの間だが、ミナには貴重な五年間だ。

 二人は決断したのだ。子孫を残すということを。

 たとえ王である兄の許しが得られなくても関係ない。ここは中間の島なのだから。アルヒはそう考えた。ミナもアルヒとの可愛い子が欲しいと言った。

 そして今、二人の愛の結晶はこの世に生を受けた。

 だが。

「アルヒ。約束してね。シルヴィアの成長をずっと見守るって。この子が何年生きられるかはわからない。もしかしたらあなたよりは生きられないかも。でも、ずっとこの子を愛するって誓って。」

 だんだんと生気を失っていくミナの言葉に違和感を覚えたアルヒは、様子を確認する。

「ミナ。ミナ?」

 見ればミナはぐったりとしており、顔からも血の気が引いている。お産に立ち合ってもらったばあやは首を横に振った。

「アルヒ様、いくら愛し合ったとはいえ、ミナ嬢は人間の子。龍人の子を産むには体の負担が大きすぎましたのじゃ。」

 こんなはずではなかった。ミナも、二人で成長を見守ると約束したはずだ。

 でも、ミナの最近の言動を思い返すとき、アルヒはその予兆を感じ取ってもいた。

「なぜだ。無理なのなら子を産むべきじゃなかった。」

 アルヒは悲嘆に暮れながら、ミナの決断を責めた。

「アルヒ様、それほどまでにミナ嬢は、あなた様を愛しておられたのでございましょう。長く一緒に生きることのできないミナ嬢にとっては、あなた様との愛の結晶を産むことが一番の幸福だったのに違いありませぬ。」

 そう、なのか?それが最善だったのか?僕はもっとミナに何かしてやれることはなかったのか?アルヒはただ自分を責めた。

「くそっ」

 息絶えたミナの亡骸のそばで、アルヒはシルヴィアを抱きしめる決意ができないまま、ガシガシと頭を掻く。やがてそれは傷になり、うっすらと血が滲んだ。

 その時だった。

 いつも癒してくれた緑色の光が、アルヒを包む。

「?」

 泣き濡れた顔を上げると、その光の発生源は、ミナではなくシルヴィアだった。

「シルヴィア…。ああ、そうか。そこに君は確かにいるんだな、ミナ。」

 アルヒはシルヴィアを抱き上げると、涙を拭い、そして静かに決意した。

「僕はこの子を見守り続けるよ、ミナ。君も一緒に。」

 アルヒはその日、ミナの亡骸を丁寧に埋葬してから、シルヴィアの世話を始めた。

 この日、シルヴィアはミナの癒しの魔法を受け継いだ、半人半龍の子として生まれ落ちた。

 銀の髪と青い瞳。目元は父親に、笑顔は母親に似て。

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