大変、お似合いです。
野村絽麻子
伊達眼鏡
黒崎くんが眼鏡をかけて登校した。
そのニュースは朝のホームルームが始まるよりも前に、恐らく全校中に知れ渡ったと言っても過言ではない。
たぶん、どの学校にも程度の差こそあれ、そんなポジションの生徒はいるのだと思うけれど、彼はいわゆるそんな生徒だ。
そんな、と言うのは例えば、端正な顔立ちをしていて、成績が常に上位をキープしていて、サッカーやバスケに興じれば黄色い悲鳴が上がって、先生からも信頼されている上に保護者の方々からも一目置かれていて、それなのにちっとも嫌味な所がないために同性の友達も多い。まぁ、言わば少女漫画に出てくる素敵な男の子を具現化したような、そんな存在だ。
少女漫画に出てくるそういう登場人物は大体が天然で、多くのケースでは無自覚にモテを享受している訳だけど、この黒崎という男子生徒が違うのは、それをすこぶる自覚的に保持している辺りなのだ。
「おはよう」
隣の席から爽やかとしか言いようのない声が降ってくる。私は開いたままの文庫本から目を離さないように「おはよう」を返す。
「一限、現社だっけ」
「時間割は黒板横です」
くす、と笑う気配。文庫本の中では、花屋の店先で探偵役の女子高生が何かしらの証拠を探している所で、花の名前に詳しい助手役の幼馴染が季節の寄せ植えの鉢を検分している。
「七海さん、」
「……はい」
ファーストネームで呼ばないで欲しい。確か先週にもそう伝えたはずなのに、黒崎くんはいとも軽々とこちらの築く壁を飛び越えてしまう。
本の中では助手役の幼馴染が、寄せ植えの一部に不審な植物を発見する。それは本来的には寄せ植えに不向きとされる蔓植物で、植えたての今は良くても、成長すると他の植物を絡め取ってしまうと言う。なんとも恐ろしい話だ。
「ねぇ、少しだけ、こっちを見てよ」
「いま、読書中ですので」
予鈴よ、早く鳴れ。そしてこの男を座席に縛りつけておくれ。
そう願う私の想いは虚しく空回りして、黒崎くんは私の机の前にするりと入り込んでしまう。まるで植えたての蔓植物が、密かに蔓を伸ばすように。
ちょうど正面のポジションにしゃがんで机に両腕を乗せ、こちらを覗き込んだ。こてん、と小首を傾げる動作付き。そうすると必然的に文庫本の向こう側に黒崎くんの顔が来る訳で。これは、あまりにもあからさまじゃないでしょうか。
「何て本?」
取ってつけたようなセリフ。この黒崎くんのおかしな所は自分のモテに自覚的な所意外にも多々あるんだけど、その最たるものがコレなので、私はいつも大変に困っている。コレというのは、その、つまりは。どういう訳かこの男は私に好意を寄せていると公言して憚らない。蔓植物をチョイスした花屋さんよりも不可解な話だ。
「おはよう、七海さん」
挨拶はさっきもしたのでこの挨拶の本質的な意味合いは挨拶なのではなくて。つまりは。
「どうかな、眼鏡。似合ってる?」
自分で自分の言葉を補完した上で、黒崎くんは喋り出す。決して大きくないボリュームなのに、ザワザワとした雑音だらけの教室の中でも、私の耳にはしっかり届く。
この前、七海さんが読んでた本に眼鏡のキャラが出てきたでしょ? 七海さんが好きそうだったから、僕も眼鏡をかけてみたんだ。
「僕としては似合ってると思うんだけど、七海さんの意見はどうかな?」
勝手にリサーチして勝手に実行しないで下さい私の心臓に悪いので。抗議の言葉を飲み込んで、私は「んん、」と唸ってしまう。
文庫本の文字列を追っていたはずの視線はさっきから同じ行を辿ってばかりいて、とっくに読書どころではなくなっている。それを知ってか知らずか、いや、たぶん知ってて、黒崎くんはいよいよ満足そうに眼鏡の奥で目を細める。
今後の人生、蔓植物は普通のお花の隣に植えないでいこう。謎の結論とともに文庫本をあきらめて、目線をあげる。
「……大変、お似合いです」
大変、お似合いです。 野村絽麻子 @an_and_coffee
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