初恋のあの人は眼鏡をかけていた

高久高久

思い出の人

「やぁ、お隣さん」


 公園のベンチでボケッとしている俺に話しかけてきたのは、明るい色のショートヘアの女性だった。


「ああ、愛さん。どうも」


 俺は軽く頭を下げて挨拶する。この人は俺の住んでいるアパートの隣人である人見愛さん。年上の女性であるが、隣と言う事とこの人が人懐っこい事もあり宅飲みなんかで仲良くさせてもらっている。苗字じゃなく、名前で呼んでるのもこの人に「そう呼ぶように」と言われているからだ。


「今日は大学じゃないの? サボり?」


 ベンチの隣にどかっと座り、聞いてくる。


「サボりじゃないですよ。休講になったんですけど、やる事も無いので暇を持て余してました」

「……暇の持て余し方が公園でボケッとしてるって、大学生的にどうなん?」

「いいじゃないですか。この公園好きなんですよ」


 大学生的にどうか、と言われると俺もそう思う所ではあるが。


「まぁ、いいとこだよねぇここ」

「ええ、まぁ、俺も思い出のあるところなんで」

「あれ、キミ確か大学進学で引っ越してきたって言ったよね?」

「元々こっちの方にいた時期もあるんですよ。中学生くらいの時に」

「ふぅん……ね、暇ならその辺りの話聞かせてくれない?」


 愛さんが俺の顔を覗き込んで言う。少し近い距離にたじろいだ。


「……別に、大して面白い話じゃないですよ?」

「いいっていいって。中学生くらいってことは、こう甘酸っぱい話とかもあるんじゃないの~?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる愛さんの言葉に、俺は一瞬言葉を詰まらせる。


「……その様子だと図星、って感じかなぁ? さぁ、お姉さんに話してみなさいな」


さぁさぁ、と迫ってくる愛さんに、俺は敵わないと溜息を吐いた。


「……別に期待される様な話は無いですよ?」

「いいっていいって。暇潰しってそんなもんでしょ?」

「俺の初恋暇潰しにされるのか……あ」


 ついうっかり呟いた言葉に、愛さんが目を輝かせた。


 ※  ※  ※


 ――といっても、本当に大した話ではない。

 思春期特有の行き場のない気持ちというか、無駄にイライラしたりやるせない気持ちを抱えていた俺は、家にあまりいる事無くよくこの公園に居る事が多かった。

 何をするわけでもなく、今みたいにベンチに腰かけているだけ。


「キミ、よくここにいるよね」


 そんな俺に、話しかけてきた人がいた。

 長い黒髪で眼鏡をかけた女性だった。恐らく年上の女性。


「何か悩みでもあるのかな? 良かったらお姉さんに話してみない?」


 そんな風にその人は、俺に優しく微笑みかけてきた。

 ――それから、俺の公園に行く理由がその人に会う為になった。

 ベンチに座っていると、冷たいジュースを頬につけて脅かして来たりと、割と人懐っこい人だったと思う。

 何時の頃か、その人が好きだと自覚するようになった。

 あの眼鏡越しの優しい目で見られると、胸が高鳴るというか、思春期特有の反応チョロさが出てしまうというか。

 ――俺が引っ越す事になり、その人とは別れの言葉を交わす事も、告白もできずにそのまま終わった。それでも、今でもあの優しげな目が忘れられずにいる。


 ※  ※  ※


「ふぅ~ん、つまりはなんだ。その女性が、キミの性癖を歪めてしまったと」

「言い方ァ!」


 俺の初恋話を、全て台無しにしてくれやがったよこの人。


「違うの? だってキミ、眼鏡フェチじゃん」

「……何を根拠にそんな事を?」

「ベッドの下のDVDと本棚の裏に隠してある本の数々から」

「おまっ……人の、人のプライバシーを暴いたな……!?」


 ……白状しよう。今でも、俺はあの眼鏡越しの目を忘れられない。

 それがこう、下半身に作用したようで反応するのは眼鏡の女性になってしまうのだ。だが数々の作品を見てその場は良くても、やはりあの初恋の女性が俺の中では一番だったりする。思い出補正はあるに違いないが、考えない事とする。思い出が一番綺麗なんだ。


「んー、そっかー……そっかー……」


 愛さんは腕を組んで、何か考える様に唸っている。が、いきなり「よし」と言って立ち上がる。


「ちょっとそこで待ってなさい。暇なんだから、時間はあるよね?」


 そう言うなり、俺の返事も聞かず愛さんは駆け足気味で公園から去っていった。


「何だったんだ……?」


 俺はその背を、唖然と見送った。


 ――暫く、ベンチでぼーっとしていた。

 やる事も無く、それでもその内戻ってくる愛さんをずっと待って。

 どれくらい時間が経ったか、不意に首筋に冷たい物を感じ「ひぇっ」と悲鳴を上げて跳び上がった。

 その直後におかしそうな笑い声。愛さんの声だった。


「ちょ、流石に今のは驚く――」


 振り返った俺は驚いた。


 ――そこに立っていたのは、愛さんであったが、愛さんではなかった。

 明るいショートヘアーは、何故か黒いロングヘアーに。

 清楚な格好で、優しげに笑うその目は、眼鏡をかけていた。


 ――初恋のあの人が、そこに居た。


「いやー、私も一時期ここに住んでたことがあってねー。その時可愛い男の子とこの公園で過ごした事があったんだよねぇ」


 口調は愛さんのものであったが、眼鏡越しの優しい目はあの初恋の女性のもの。


「あの頃の可愛い男の子がこんな立派になっちゃって……まぁ、流石に性癖歪めることになるとは思わなかったけど、責任取んないとダメかなぁ、って思ってね」


 馬鹿みたいに、口を開けて何もできないでいる俺に愛さんは照れ臭そうに笑う。


 自分の意思か、無意識かはわからないが、俺はゆっくりと前に足を一歩出し、愛さんの両肩に手を置いた。少し驚いた顔で、愛さんが俺の顔を見つめる。

 そんな愛さんの目と、眼鏡越しに目が合った。


「――ずっと、好きでした」

「うん、知ってる」


 俺の告白を、軽い口調で笑って愛さんは頷いた。

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初恋のあの人は眼鏡をかけていた 高久高久 @takaku13

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