10 シュメールの休日2
新聞を読みながら、なんとなくそんなことを考えていると、カツカツ! 玄関のノッカーが鳴らされた。
「おっと、きっぱりすっぱり、来客だぜ!」
オンジャが叫んで、さっと宝石のなかに引っ込んだ。隣に住むオペットさんが、使用人たちを引き連れて、掃除に来てくれたのだ。
オペットさんは未亡人のおばあさんで、大柄で丸顔、ほっぺも丸い。僕が持病の腰痛を治してあげて以来、心を許してくれて、なんだかんだと世話を焼いてくれる。
オペットさんの家は、壁に
「あたしゃ、影が好きだよ」
ふてぶてしく見えるほど堂々とした顔つきで、オペットさんは言った。
「珍しいですね。影が好きだなんて……」
僕が驚きながら言うと、
「だって、涼しいじゃないか!」
そう言って、オペットさんは明るく笑った。確かに、オペットさんの家から吹いてくる風は涼しく感じる。『影が好き』だなんて、僕らにとって、なんて嬉しい言葉だろう!
……でも昼の国には、オペットさんみたいな人はほとんどいない。圧倒的大多数が、影を嫌悪している。
人々は、影にふれたことに気づくと……たとえば散歩の途中に、街路樹の影にすっぽりと入ってしまった時など……そんな時には、『グジャグジャ』と口のなかで唱える。 『グジャグジャ』というのは、古いまじないの言葉で、「影よ、去れ」という意味らしい。
「ペールネール、オペットさんが来てくれたよ」
内庭に呼びに行くと、
視線の先に、イチジクの実がひとつ、枝についたまま大きく破れ、垂れ下がっている。たぶん鳥がつついて行ったのだろう。日に焼かれ、煮えるように、強くて甘い香りを放っている。破れ目にはたくさんのアリが集まって、渦を巻いていた。
「鳥の食べ残しを、虫たちが食べてます」
と、ペールネールが言った。
「虫たちは巣に戻って、土を豊かにします。果物の種を食べた鳥たちは、糞をして、その糞からまた、樹が生えます。樹々は遠くに広がっていき、またそこで、鳥や虫たちを養います。みんなつながっていて、支え合って、調和しています」
ペールネールの唇が、美しい自然のつながりを語る。彼女の言葉は、鳥の精霊が発する「
僕とペールネールも掃除に加わって、昼食はオペットさんの家でご馳走になった。
赤いトマトソースのパスタを一口いただいた途端、僕は顔から火を噴いた。辛い! 汗水たらしてのたうちまわる僕を見て、オペットさんはコップの水を差し出しながら、カッカッカと笑った。
「あたしゃ、唐辛子入りの激辛料理が大好きでね。いつもよりまろやかにしたつもりだけど、シュメールさんには強すぎたかい?」
「いつもより真っ赤!?」
と、僕は涙目で聞き返した。
「真っ赤じゃないよ。まろやか! いつもはもっと赤いよ!」
木の実とフルーツしか食べないペールネールにも一口食べてもらったけど、きょとんとした顔をしている。
「おいしいですよ」
「だめだ。味覚が違う……」
ペールネール(鳥)は辛さを感じないらしい。彼女にも少し手伝ってもらって、せっかくいただいた料理なので、僕は泣きながら一皿たいらげた。
午後は剣のトレーニング。それから、二階の
この居間では、靴は脱いで、自由にくつろぐ。
ピアノの伴奏に合わせて、ペールネールが夜の国の歌を唄う。彼女の歌声は、色あざやかな積木を丁寧に並べていくような、やさしい歌声だ。
僕らは記憶を辿り、夜の国の歌をたくさん思い出して、楽譜に起こして書き溜めている。そしてそれらの曲を、飽きもせず、一曲一曲、順番に演奏してゆく。
演奏している時は、ただただ無心に、心が夜の国へと帰ってゆく。
曇りのない満月が、夜空にやわらかな光のカーテンを広げている……
アル・ポラリス城のたくさんの
城の庭では、陽気な小人たちが輪になって、愉快な音楽に合わせて楽しそうにダンスを踊っている……
ネコ族やフクロウ族の小さな姿、エルフ族の背の高い姿も加わって、みんなにぎやかに、ステップを踏んで笑い合っている……
さまざまな光景が、懐かしい匂いとともに、僕らの胸に甦ってくる。音楽の
夕食の後、僕ら四人はいつも、スカッシュを飲みながら、カードをする。
スカッシュっていうのは「天然の炭酸水」で、崖の脇にある家から湧き出している。その家の主が、プラチナの都の名物として売り出したら、爆発的に人気になった。
ペールネールとふたりで、ロバのマーリンの散歩がてら、マーリンの背中に壺を乗せて、毎日スカッシュを買いに行く。絞りたてのライムやオレンジを加えて飲むのが、最高の
しゅわしゅわと、甘酸っぱくて、新鮮で、刺激的――それを飲みながら、ナッツやサンドイッチをかじりながら、四人でカードをするのが最高に楽しい!
時々オンジャが
すぐにブリジットが見破って、「イカサマ!」と叫ぶ。
僕は本気でカッとなって、
「なんでお前は僕の影なのに、そんな汚いことするんだ!」
と叱りつける。
するとオンジャは、すぐにしょうもない言い訳をする。
「俺っちは、お前が敵のイカサマに引っかからないよう、鍛えてやってるのさ!」
あきれすぎて物も言えない僕の横で、ブリジットが冷たい声で言う。
「はいはい……なんでもいいけど、イカサマしたヤツは、全財産没収ね」
「オーノー! カンベンして!」
ブリジットが無理やりオンジャのコインを取りあげ、三人で山分けする。ブリジットは僕らにだけやさしい声で、
「さ、イカサマ野郎はほっといて、次のゲームは三人でやろっか」
オンジャは嘘泣きしながら、両手を合わせて謝る。
「……ごめんなさい、もうしないから、許して、ブリジット様、ペールネール様、シュメール様……」
ペールネールはいつでもやさしい。
「じゃあ、わたしのコインを、半分貸してあげます」
「ペルちん、こいつ、甘やかしちゃダメだよ!」と、ブリジット。
「えー、でも、三人より、四人のほうが楽しいし……」
ペールネールは意外とカードゲームが強い。直感が冴えているからだろうか……。気を取り直してもう一度はじめると、またもやペールネールが勝った。
「
両腕をつきあげて叫んだペールネールがとても楽しそうで、僕もうれしくなる。
「あ、そういえばさ、オペットさんに、チケットを二枚いただいちゃった。……激辛料理のお詫びにって……」と僕。
「……チケット?」
「うん、『サーカス』だって!」
「サーカスってなんですか?」とペールネール。
「人間や動物が、面白い芸をするのさ」とオンジャ。
「面白そう! 観たい、観たい!」とブリジット。
「じゃ、今度の休みに、みんなで観に行こうよ!」
「わーい! 楽しみ!」
……そんなふうに、あっという間に一日が終わって、僕らは寝室に戻ってくる。
窓の外にはあいかわらず太陽がまぶしく輝いてるから、ぶ厚いカーテンをしっかりと閉める。
ペールネールは『天使態』になって、隣のベッドにうつぶせになる。
僕らはまた、手をつなぐ。
幸福感がいっぱいに、僕らを満たす。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
夢の中でもう一度出逢って、もう一度キスをして……そして僕らはまた、新しく生まれ変わるんだ。
✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱
次回、シュメールとペールネールがサーカスを観に!
そして出会うのはもちろん――?
【今日の挿絵】
シュメ&ペル、Merry Christmas!
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