23 アルテミスの門

 広大な地下空間を、いくつもの篝火かがりびが照らし出している。壁は、ある程度の高さまでレンガで覆われている。床もレンガだ。


 頭上には怖いような真っ暗闇が、大きく口をあけている。その大きな口は、巨大な岩石が眠る横穴につながっている。



 てっきり母と一緒に避難したものと思っていたマシューが、小さな体でシュメールのもとに駆け寄ってきた。


「僕も兄上と戦う!」


 腰には剣を差している。リンネが「ダメよ!」と、あわててマシューを引き止めた。


 ……シュメールは「ダメだ」とは言わなかった。


 その代わり、マシューに微笑みかけて「よしお前はいい子だ」と、まず頭を撫でてやった。腰をかがめ、弟と視線を合わせた。


「お前の仕事は、母上と姉上を敵から護り抜くことだ。難しいけど、できるか?」


「もちろん!」


「よし、頼むぞ。騎士マシュー」


「ハイ!」


 肩を叩いて励まし、背中を軽く押して、送り出してやる。マシューは姉のそばまで駆けて行きながら、(あれ?)と思った。


(兄上と一緒に戦おうと思ってたはずだったんだけど……?)


 知らないあいだに丸めこまれてしまった。



 シュメールはリンネに近づくと、自分の胸に手を置いて言った。


「僕は幼い頃からずっと、姉上に騎士物語や古い伝説を読み聞かせていただきました。その恩義にむくいる時が来ました。姉上に教えていただいた騎士道精神を、今ここで発揮します」


「シュメール……」


 胸がつかえ、リンネは言葉を見失った。


 (シュメールは命をかけて、みんなを逃がし、魔皇帝と戦おうとしている。その騎士道精神は、わたしが弟に教え込んだもの。……本当にこれで、よかったのだろうか?)


 思い乱れながら、リンネは言葉をひっぱり出した。


「シュメール、必ず、戻ってくるんだよ」


「騎士ミューラーは一人で城に残ったけど、最後には女王のもとに戻って、ハッピーエンドだったでしょう?」


「そうだね」


 それは、リンネが読み聞かせた、二人にとってはお馴染みの物語だった。目頭を熱くしたリンネの耳元に、シュメールはこっそりと囁いた


「……人々に涙を見せないで。みんなが動揺します。リンネ女王代理。背筋を伸ばして、凛として」


 リンネは、こみあげるものを、かみ殺した。


(……昔は魔犬から逃げたこともあったけど、シュメール……いつのまにか、頼もしい男になったね……)


 しゃんと背筋を伸ばすと、リンネはわざと、普段よりも低い男っぽい声を出した。


「国軍総司令シュメール。ご忠告、いたみいる」


 まるで子供のときの女王と騎士ごっこみたいだ……そう、リンネは思った。


「姉上には、凛々しいお姿が似合います」


 シュメールは姉に微笑みかけて、後ろに下がった。



 ボルカヌスが告げた。


「この岩の門は、一度閉ざせば、元には戻せません」


 シュメールはうなずいて、通路の城側へ、安全な線まで離れた。リンネとマシューたちも、反対側へ、地下道の奥へと離れた。この別れの時に、姉弟たち三人はみな、表情を固くしたまま見つめあっていた。


 アルテミスの門の魔法は、王家の血筋にのみ、反応する。シュメールは古代語の詠唱えいしょうをはじめた。


アルテミスの門よアルテミス・ヴァル・ナラ汝が力、今こそ解放せよナセド・ウム・ガル・グライアス巨大なる巌もて路を塞げテルダマイ・ノガ・マダヴァ……」


 シュメールとリンネの視線が、交錯した。


「――解呪ナヴィア


 千年の間、石組みのブロックを保持していた「支えの魔法」が、たちまち消失した。上方の洞窟で、巨岩を抑えていた石組みの壁が、魔力の支えを失って崩壊しはじめた。石組みのストッパーがすべて崩壊すれば、自動的に巨岩がずり落ちてくる。



 石組みが崩壊しはじめた、その時――


 涙を噴き出し、顔を真っ赤にしたリンネが、小さな王冠を髪の毛ごと引きちぎり、かなぐり捨てると、ありったけの声で叫んだ。


「シュメール! やっぱりやめよう! 女王と騎士ごっこなんて、ただの遊びなんだから! おいで、一緒に逃げよう! シュメール!」


「王女様、あぶのうございます!」


「シュメール――!」


 切り裂くように叫ぶリンネを、小人たちが大あわてで引きとめた。


 ――次の瞬間、


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――ズドオォォォォン!


 地響きを立てながら巨岩が落下してきて、空気を押し潰し、通路を完全に遮断した。人々を吹き飛ばすような爆風が通りすぎた後、あたり一帯、もうもうとした土煙に覆われた。



(姉上、ありがとう――その言葉だけで、僕は嬉しい――)


 湧きあがった涙を乱暴にぬぐい去ると、シュメールはその場所をすぐに離れた。


(姉上に教えられたから、やるんじゃない。僕は僕の心で、僕の騎士道を実現する!)


 夜の瞳にきらめく星を宿し、シュメールは固く拳を握りしめた。





(シュメール……)


 崩落の轟音と土煙のなか、膝をついて泣き崩れたリンネは、ふいに人の気配を感じ、顔をあげた。


 そこに、小さな背中があった。


 手足を精一杯つっぱって、大の字にして、顔じゅうに土砂をかぶりながら、マシューが姉を背中に護っていた。


「マシュー、なんで……」


 姉のつぶやきに、弟は叫んで答えた。


「僕の仕事だから!」


 舌足らずに言ったその言葉を聞いたとき、リンネはまたもや慟哭どうこくをこらえ切れず、小さな騎士の背中に顔を埋め、ほんの一時だけ、大泣きした。




  ☪ ⋆ ⋆




 やがて、リンネは立ちあがった。


 投げ捨てた冠は、侍女がすでに拾っていた。サッと差し出された布で、リンネは顔をふき、冠を付け直した。


 王家の冠を投げ捨てるなど、言語道断、王家の人間としては絶対にやってはいけない行為だった。しかし、リンネはそれをやってのけた。


(冠の奴隷になるなど、まっぴらだ!)


 冠よりも大切なものがある――彼女の誇り高い魂は、そう叫んでいた。



 ふり返ると、小人たち、侍女たち、男たち、騎士たち……みながみな、今にも倒れそうな、負けそうな、重苦しい顔で、どんよりと立ち尽くしている。


(お前たち、お葬式でもするつもりか!?)


 そうは思ったが、口には出さない。その代わり、まだ充血したままの目を見ひらいて、


「がはははっ!!」


 リンネは景気よく大笑いした。


「みんな、負けるな! 大丈夫だ、シュメールたちは必ず戻ってくる! わたしについてこい! 元気を出せ! 戦いはこれからだぞ!」


 よく通るリンネの声が、洞窟じゅうに響きわたり、人々の心をゆさぶり起こした。そこにいた全員が息を飲み、親にすがる幼子のようにリンネを見つめ、たちまち彼女のまわりに集まってきた。誰の思いも同じだった。 


 ――希望の火は消えてない!


 ――まだこの人がいる!


 ――この未曾有みぞうの国難に、夜の女神は、運命の子を遣わしてくださった!



 リンネは背筋をまっすぐに伸ばした。


 深く、ゆっくり、深呼吸をする。


 真っ直ぐに前を見つめる。


 そうして、涙を見せない、泣き言も言わない、強い女に戻っていた。


(わたしはこの先、絶対に涙を見せない。夜の国の人々を励ましつづける。わたしはわたしの戦いをする! シュメール、必ず戻っておいで……)


 いくつもの篝火が照らし出す、洞窟の奥へ――


 女王太子リンネは、小さな騎士マシューを従え、たくさんの人々を引き連れながら、ぐんぐんと大股で歩いていった。




✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


 決意の炎を燃やす、シュメールとリンネ


 離れ離れになっても、ふたりの心の火は消えない!



 次回、シュメール、黒薔薇の間に魔皇帝を迎え撃つ――



【今日の挿絵】

ぺるる、小鳥態

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093076215976586

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