22 リンネ、父の背中で……

 女王ラーマはまだ、意識を失ったままだ。


 女王の体は、鳥の巫女ブランディン、ペールネール、鳥少女たち、大臣貴族たちにつきそわれ、最優先で地下世界へと運ばれた。



 リンネは、城から脱出するその最後のひと時に、家族の居間ソーラーにいた。


(本……持ってってくれたのか……)


 書棚がからっぽになっている。誰かが気を利かせて、地下に運んでくれたのだろう。


 ピアノの鍵盤に指を置くと、ポーンと、乾いた音が鳴った。みんなで演奏をした、いくつもの夜のことが胸に思い出された。


 父の肖像画が、無言でこちらを見つめている。


(いつも笑ってた……明るい人だったな……)


 リンネは幼い頃を思い出した。


 五歳くらいだったろうか。まだ治癒魔法ラファライトは使えなった。


 さんざんはしゃいで走りまわった末に、親の見ていないスキに高い場所から飛び降りて、膝を擦りむいた。血が噴き出した。


 あまりの痛みに「ぶわ~ん!」と爆発するように泣き声をあげたら、「リンネ!」と、父はすぐさま駆け寄ってきてくれた。


 父はケガの様子を見て取ると……たいしたことないと思ったようだ……いつもの大笑いをした。


「ガハハッ、見ろ、リンネ!」


 えぐっえぐっと、リンネは咽喉を引きつらせている。


「リンネ、見ろよ。よかったなあ。お前、ちゃんと赤い血が流れてたぞ。父さんや母さんと一緒だ」


「……それどころじゃない……」


 近づいた父の顔を、リンネは押しのけようとした。


 父はまた笑って、


「ガハハ! 見てみろって、自分の血を見るチャンスなんて、滅多にないぞ! ほぅら、お前の血は綺麗だぞ! よかったなぁ!」


 父の言葉に誘われて、リンネは一瞬、ちらりと自分の傷口を見た。でもすぐに、


「……それどころじゃない!」


 と火を噴くように怒った。自分の痛みと悲しみを受け入れてもらえない……そう勘違いしたのだ。拳をふりまわしたら、父のほっぺに当たった。……すべてが悲しくて、やりきれなくて……また泣きだした。


 父は平気な顔で、ちっとも怒らず、「やれやれ」とため息をついた。つき抜けてポジティブな性格の父レムリエルは、娘に、苦しみを明るく乗り越えることを教えようとしたのだが……それは失敗だった。


 駆けつけた御典医が、リンネの傷を丁寧に洗った。


 処置が終わると、父はリンネを背中に乗せて、長い脚で、ハイビスカスの庭を歩き回った。時々背中のリンネの体をゆらしては、あやす。


「リンネは強い……リンネは賢い……リンネは明るい……リンネは楽しい……リンネは大笑い……」


 そんなことを、唄うような調子で、ずっとささやいている。


 リンネは父の首のうしろに、ぎゅっと顔をうずめているうちに、だんだんとあたたかくなって、心地よくなって、いつのまにか眠ってしまった。



 ……そんなことを思い出しているうちに、使用人たちが来て、絵を取り外し、布でくるんだ。地下へ運ぶのだ。


「大切にな。頼むぞ」


「はい」


 肖像画の架かっていた場所が、四角い跡になっている。リンネはその跡に、そっと手を置いた。


(父上……われらをお守りください……)


 両目をつむり、心の底から祈った。



  ☪ ⋆ ⋆



 女王代理のリンネは、全員の避難を見届けてから最後の最後に、アルテミスの門のある地下道に下り立った。


 地下通路には篝火が並んでいて、シュメール、ボルカヌス、大臣らが待っていた。


 シュメールが、執事の小人に尋ねた。


「ペールネールを見た?」


「はい。ペールネールさまは、女王陛下のそばにおられました」


「そうか、よかった……」


 女王の体は、すでに地下の奥に入っている。ペールネールの安全が確認できて、シュメールは、ほっと息をついた。



 その時、ふいに全員が、ぎょっとして口を閉ざした。


 通路の奥から、小人族も、獣族も、人間も、数十人の男たちが、不穏な空気を漂わせながら、シュメールたちのほうに歩いてくるのだ。


「なんだ、貴様ら!」


 ボルカヌスが男たちにむかって叫んだ。


 先頭に立っていた代表らしき小人の年配男が、シュメールの前にかしこまって膝をついた。すると後ろにいた全員が、ザァッと一斉に膝をつき、シュメールに敬意を示したのだ。


「シュメール様、どうか、われらにお供をさせてください。われらはみな、シュメール様に子供の祝福を授けていただいた者たちです」


「え?」


「シュメール様の祝福を受けたおかげで、われらの子供はみな、健康に、幸福に育っております。子供たちを祝福していただいて、われらはどれほど嬉しく、感激したことか! どうかご恩返しをさせてください! みな気持ちは同じです。われらは、あなたのもとを離れません!」


 こらえがたい胸のふるえを感じ、シュメールは、ぐっと拳を握りしめた。


「ダメだ。君たち、戻るんだ」


「いいえ! 戻りません!」


 すると男たちは、みな熱い血をたぎらせながら、口々に叫んだ。


「シュメール様! われらの命をお使いください!」


「われらはシュメール様をお守りします! どうか、一緒に城に残らせてください!」


「戦います! どんな仕事でもいたします! シュメール様!」


 シュメールは腕をふりあげて男たちに静粛を促すと、唇をわななかせながら言った。


「みんな、聞いてくれ! 僕が祝福を与えた子供たちは、みんな僕の分身だ。。子供たちを護れ! それは、僕を護ることと同じだ。君たちの仕事は、子供を、家を護ることだ!」


「シュメール様……」


「これから、君たちの力が必ず必要になる! リンネ女王代理を助けてくれ、頼む」 


 シュメールの言葉に、男たちはみな肩をふるわせ、落涙した。




✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


 みんなから慕われる、シュメール!


 次回、アルテミスの門を発動し、地下への通路を閉ざす――

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