17 リンネに襲いかかった魔犬

 ついに痺れを切らした魔犬は、ガッと大口をあけ、牙からよだれをふりまきながら、リンネに襲いかかった――!


 その瞬間――


 黒い影がサッと現れ、野犬の首を木刀で強打した。


「ギュワン!」と野犬は叫び、たちまち身をひるがえすと、翼を使って北の方角に飛び去っていった。


 黒い影は、ボルカヌスだった。


「ご加勢が遅れましたこと、お詫びいたします」


 彼はふり返ると、リンネの前に膝を突き、深々とこうべを垂れた。


「……すべてを見届けさせていただきました。襲い来る野犬に立ち向かい、恐れずにらみつづけていたあなた様の、勇気と胆力! このボルカヌス、心底感服いたしました。リンネ次期女王陛下! ――私はあなた様に生涯、忠誠を誓います」


 ボルカヌスは両手を添えて、握っていた木刀のを差し出した。リンネはそれを受け取ると、刀身にキスをして、ボルカヌスに返した。


「騎士ボルカヌス、ご苦労であった。下がってよろしい」


「ハッ」


 恐ろしい事件の直後である。……にも関わらず、リンネは<<まじろぎ>>もせず、女王然とした口ぶりで、そう言ってのけたのだ! さすがのボルカヌスも、これには舌を巻いた。


(……脱力してしまってもおかしくない、泣き崩れてしまってもおかしくない……九歳の少女が! これは千年の王家の、血筋と教育の賜物たまものであろうか? いやいや、生まれながらにして女王なのであろう!)



 この話はすぐに国中に広まり、国民の話題をかっさらった。


(あのボルカヌスが、リンネ様を認めた――!)


 人々はリンネに最上級の尊敬のまなざしを向けた。


 リンネもボルカヌスも優しかったから、シュメールが逃げたことは、けして口外しなかった。シュメールはそれまで姉のことを「リンネ」と呼び捨てにしていたが、その日以来、呼び方が「姉上」に変わった。



「それにしても、なぜそのような魔獣が?」


 と、人々は気をんだ。


「北から、流れてきたのさ」


「北……」


「《常闇とこやみの領域》さ」


 常闇の領域は、ノクターナルの北の果ての果てにある。月の光も星の光もない、真の暗黒領域である。国家と呼べるようなものはない。


 そこにはノクターナルでは見られないような魔獣が生息していたが、魔獣は月や星の光を嫌うため、滅多に南には出てこない。それでも非常に稀なことだが、今回のように、迷い流れてくる魔獣もあった。


 騎士団は一時、警戒を強化したが、それ以後、魔獣を見たものはなかった。



  ☪ ⋆ ⋆



 シュメールは今、その事件を思い出していた。


(あの後、一ヶ月くらい、落ち込んでたっけ……)


 ハイビスカスの大きな花びらが、夜の風を受けて、ざわざわとゆらめいた。


(あの時のこと、姉上は一度もとがめなかったけど……)


 シュメールは木刀を振りかぶり、くうに打ち下ろした。


(あの後、僕は部屋にこもって、ひとりでずっと泣いてた。涙が出た理由は、姉上を置いて逃げた自分がすごく恥ずかしくて、悔しかったからだ。……だから、二度とあんなことがないように、ボルカヌスのもとで、ずっと剣を練習してきた)


 そうしてつづけてきた努力が、今はシュメールの自信へと変わっている。


 シュメールは旅立ちの日まで、けして日課を休まず、手をマメだらけにしながら剣の稽古を繰り返した。



  ☪ ⋆ ⋆



 十四日になった。出発まで、あと二日。


 十六日には、ボルカヌスと騎士団がシュメールとペールネールを守護して、国境付近まで送り届ける予定だ。


 シュメールとペールネールはふたりで話しあいながら、準備を進めた。日光を遮るための、フード付きのマントコート。着替え。タオル類。傷薬や腹薬。万能ナイフ。調理用の小鍋。食糧。おやつ。インスタント宝石。


 ……インスタント宝石というのは、お湯につけて三分待てばすぐに食べられる宝石である。


 すべての荷物に軽量化の魔法をかけ、ひとつのザックにまとめる。


「影吸いの宝石は首にかけて、スタクリ(スタークリエーター)は指輪にして……」


 影吸いの宝石には、魔力封じの小さな袋がかぶせてある。こうしておけば、身につけていても影は消えない。夜の国にいるあいだは、袋をかぶせておく。



 そんなところへ、女王とリンネ、マシューが様子を見にきた。


「どう? 準備はできた?」


「はい、もうだいたい……」


 ラーマはうなずくと、威厳ある女王の顔つきをして、ふたりを代わる代わる見つめた。


「あなたたちは国を離れますが、しっかりと国法を守って、夜の国の代表に恥じない、立派な行いを心がけてくださいね」


「「はい、女王陛下」」


 自然に声が重なったので、思わずシュメールとペールネールは目を見合わせて、微笑みあった。


(まあ、かわいらしいカップルね!)


 と、ラーマの頬もついついゆるむ。見ている方にまで、うきうきした気持ちが伝わってきた。




 その部屋から少し離れた、監視塔の一角――


 見張りの小人が、空を見つめながらつぶやいた。


「月が……妙に赤いようじゃないか?」




✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


 異変発生――!

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