8 瀕死のペールネール

 ペールネールは客室のベッドに、寝かされていた。


 駆けつけたシュメールに、侍女たちが説明した。


「ボロボロのマントと汚れた服を着ていたので、きれいな部屋着に着替えさせました。今、お医者さまが容態をておられます」


 白衣を着た小人の医者が、シュメールのほうにふり返った。


「シュメール様」


「どうなの?」


「疲労困憊こんぱいといったところですな。まずは果実をしぼった新鮮なジュースを。それから、ヨルコムギのお粥を」


 シュメールは料理長ムーシュカを呼んで、療養食を指示した。


 《天使態》のペールネールは、翼がずいぶんと汚れ、毛羽立けばだっていた。長いあいだ、放浪の旅をしてきたようだ。顔や髪の汚れは、すでに侍女がぬぐい清めて、綺麗にしてあった。


 おもむろにシュメールは、少女の頭に手のひらをかざし、古代の呪文をささやいた。




 太古、夜の女神ミキエルディシスの御手おんては、


 世界を完全なるうつわとして造られたもう



 女神が血は、きよらなる海となり、なんじが心臓に打ち寄せん


 女神が肉は、ゆたけき土となり、汝が肉を養ふ


 女神が骨は、聖なるいつきとなり、汝が骨を支ゆ


 すべては今、ただちにいやされん……



 神聖治癒ラファライト――




 手のひらから魔法の光の粉が現れて、雪のようにそそぐ。この《ラファライト》は王家の祝福魔法のひとつで、ヒーリング魔法だ。


 光を受けているうちに、苦痛に歪んでいたペールネールの顔が気持ちよさそうに、うっとりとしてきた。


 ――しばらくすると、ふいに、まぶたをひらいた。



「……ああ、シュメール……」


 と、もつれるような舌で、ようやく呟いた。


「ペールネール、よかった、目を醒ましてくれて」


 シュメールのもとに、ムーシュカが絞りたてのジュースのグラスを運んできた。


「大丈夫、起きられる?」


「はい」


 シュメールはペールネールの半身を抱き起こすと、グラスを支え、ゆっくりと飲ませた。ペールネールは二三口飲んで、ふぅと、ため息をついた。


「甘くて……おいしいです」


「体が糖分を必要としていたのでしょうな、ヌホホ」と、ムーシュカ。


「うん、そうだね……。これも食べな」


 と、シュメールはお粥をスプーンですくって、ペールネールのあんず色の唇に、一口ずつ運んだ。


「熱くない?」


「はい。しょっぱくて……おいしいです」


「体が塩分を必要としていたのでしょうな、ヌホホ」と、ムーシュカ。


「うん、そうだね。料理長、ちょっと静かに……」と、シュメール。


「はい」


 シュメールはペールネールに尋ねた。


「ずいぶん、遠くまで行ってきたの?」


「はい。夜の国の境界線の、オケアノス川を越えて、《あかつきの国》まで……」


「暁の国!?」


 シュメールは驚きの声をあげた。


 すると、『静かに』と命じられても黙っていられない男……ムーシュカが、たちまち口を挟んだ。


「ムホッ! 《暁の国》は、夜の国の東の果てにあります。夜の国よりも明るく、昼の国よりも暗い。常に薄い光に覆われた国でございますよ!」


 えっへん、物知りでしょう? ……自慢げなムーシュカに、シュメールは肩をすくめた。ペールネールはうなずいて、自分の身に起きた出来事を語りはじめた。



  ☪ ⋆ ⋆



 シュメールに助けられたあの日、ペールネールは洞窟に帰るなり、《鳥の巫女》ブランディンに、その日あったことを打ち明けた。


 ブランディンは、腰のかがまった、背の低い老婆だ。色とりどりのはぎれを寄せ集めたパッチワークの服を着て、いつも暖炉のそばに腰掛けている。鳥の精霊たちにとっては、母親がわりと言っていい、知恵ふかく、やさしい、人間のおばあさんである。


(おや、《天使態》とは……!)


 ペールネールの姿を見るなり、老ブランディンは驚いた。


(ペールネールもお年頃かねぇ……)


 そんなことを思いながら、かわいい娘の話に耳を傾けた。



「――それで、お前さん、その罠につかまったのかい!」


 ブランディンは、あきれ返ってため息をついた。


「罠については教えたはずだよ。まったく聞いてなかったのか、こやつめ……」


 老婆は人差し指で、ペールネールのおでこを軽く突いた。


(わ、怒られてる?)


 と、ペールネールはあわてて、おでこを抑えた。


「それで、その後は……?」


 と、ブランディンは静かに話をうながす。


 ペールネールは、シュメールという少年に助けられたことを話した。「シュメール」という名前を聞いて、ブランディンは、さらに驚いた。


(アル・ポラリスの王子か……)


 ペールネールはそんなことは、まるで知らない様子で話している。


(ま、いずれ気づくじゃろう……)


 罠にかかったペールネールを見て、シュメールは『森の民に食べられちゃう』と言ったが、そこは少々、シュメールのほうが世間しらずだった。ブランディンは、森の民が精霊を食べないことを知っている。ペールネールが言葉をしゃべれば、必ず逃がしてくれたことだろう。



 ペールネールが昼の国について尋ねたので、ブランディンは、しわがれた穏やかな声で教えた。


「……確かに。昼の国に行けば、夜の国の住人は、影ができる。……でも、その影を消す方法があるんじゃよ」


「どんな?」


「『影吸い』と呼ばれる、魔法の宝石がある。その宝石で影を吸い、しじゅう身につけていれば、昼の国の住人と同じように、影はできない」


「その宝石は、どこにあるの?」


「はるか遠い、暁の国の、白雲しらくもの峰に住む、《暁の仙女》シャオレイが持っておる」


「じゃ、行ってきます」


 すぐに出て行こうとしたペールネールを、「お待ち!」とブランディンは息切れしながら、あわてて止めた。


「お前さん、もう少し落ち着いて、物事をよく考えなされ。だから罠にもつかまるのじゃぞ」


 しょんぼりしたペールネールの頭に手を置いて、老巫女は言った。


「これからみんなで食糧を用意して、お前さんの旅の準備をしようじゃないか」


 それはペールネールを包み込むような、楽しげで、温かみのある声だった。


 スズメの精、メジロの精、ヒヨドリの精……ペールネールと仲よしの三人娘は、話を聞くと、喜んで木の実を集めに行ってくれた。


 そのあいだに、ペールネールはシュメールへ、葉っぱの手紙を書いた。オウムがそれをくわえて、城まで運んだ。


 《小鳥態》だと、タカやワシに襲われる危険があるので、《天使態》で行く。ブランディンが、背中のあいた白いワンピースを出してきて、ペールネールに着せた。その上からフードのついたマントコートを羽織り、木の実の入った袋を肩にかける。マントは鳥の精霊用のもので、翼を出すための半袖が背中にある。


 仲間たちに見送られながら、ペールネールは洞窟を翔び立った。白雲の峰までは、ペールネールの翼で、一月以上かかるらしい。方角は、鳥の本能でわかる。


 シ、オ、シ、オ――


 ペールネールは調子よく歌いながら、星空を翔けていった。


 途中で出会った鳥たちには必ず、情報を尋ねた。鳥たちはみんな親切に、知っていることを教えてくれた。


 広い広いオケアノス川を越えると、あたりの様子がうっすらと明るくなってきた。


 巨岩がいくつもいくつも、やいばのように鋭く切り立っている。白い霧が立ち込めて、とても神秘的だ。鳥たちに尋ねると、この巨岩地帯の奥に、暁の仙女が住む白雲の峰があるという。


 しばらく飛んだ先に、抜きん出て高い、ひとつの山を見つけた。


「あれが白雲の峰ね」


 はるかに高い峰を見あげ、ペールネールは目を細めた。




✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱ 


 ペールネールの冒険――!


 白雲の峰の上に見たものは!?



【今日の挿絵】

星空の、ペールネール

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093074971960999

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