7 女王太子・リンネ
「ねえ、『騎士ミューラー』のお話の、つづきを読んでよー!」と、マシュー。
「よし、オーケー」
と、リンネが本棚から絵本を取り出した。弟たちに本を読み聞かせるのは、彼女の役目だ。
リンネは赤ん坊のときから、言葉を覚えるのが異常に早い天才児だった。
父母が彼女に絵本を読み聞かせたのは、三歳までだ。三歳になると逆に、リンネは父母に、絵本を読み聞かせた。七歳で自分だけの物語をつくった。文学の知識にかけては、彼女の右に出るものはこの王国にはいない。
ふかふかのクッションを背にして横ずわりすると、リンネは絵本を床に置き、ページをめくった。マシューもシュメールも、ラーマ女王まで、絨毯の上に自由に寝っころがり、大きなクッションを引き寄せて、絵本をのぞきこむ。
この
リンネの朗読がはじまった。やわらかくて親しみのある声――本のなかに眠っていた物語が目を覚まし、たちまち動き出す。
マシューは絵本にかぶりつきだ。「えー? そんなぁ!」とか、「わーっ!」などと叫んで、いちいち、いい反応を返してくれる。それがリンネには、なにより嬉しかった。
「……それで、それで、ミューラーはどうなるの?」
「女王を城から逃がすために、一人で城に残って、敵と戦うの。かれは騎士だから」
「へぇー」
「マシュー、あんたもそういう状況になったら、城に残って、敵と戦える?」
「もちろん! 戦うよ!」
「勇ましいね。便りにしてるわ。ちっちゃな騎士さん」
リンネは弟のやわらかなほっぺたを、やさしくつまんだ。マシューはくすぐったそうに笑いながら、姉の指から逃げた。
リンネが読み聞かせに選ぶのは、勇ましい騎士物語……そんななかでも、人間らしい情愛や、やさしさの感じられる物語だった。シュメールも幼い頃から、姉のリンネにたくさんの騎士物語を教えてもらって育った。
……けれど今、シュメールは心半分だった。彼の心を占めていたのはもちろん、ペールネールのこと。
(今ごろ、どうしてるかな……)
絨毯の上に寝っころがりながら、窓のほうに目を向けて、ぼんやりしていた。
☪ ⋆ ⋆
翌日、シュメールがリンネの応接室を訪れると、意味深に、腕をつかまれた。
「ま、座りなよ」
もえぎ色の小さな部屋で、壁には趣味のよいタペストリが架かっている。大ぶりな蘭の花が、花台に誇らしげに咲いている。真ん中に小さなテーブルがあって、茶器が置かれている。
シュメールが椅子に座ると、侍女が背後からハイビスカスのお茶を注いだ。ほっとする心地よい香りが、湯気とともに立ちあがった。
リンネは侍女たちを隣室に下がらせ、
「シュメール、あんた、好きな子できたんでしょ」
「ななななな、なにを突然……!」
あからさまにあわてて、シュメールは椅子をガタつかせた。
「あんた最近、ずっとぼんやりしてるぞ。祝福の儀式のときだって……」
「そ、そんなことないって!」
「わたし、わかっちゃったんだー」
リンネはお茶を一口すすり、カップを置いて、ちらりと横目で見た。その目が、ニタリと笑っている。
「は? なにが?」
「昨日のピアノ、すっごく情熱的だったしー」
「ええ? そ、そうかな……」
意外な事を言われ、シュメールはたじろいだ。自分では、そういうつもりはなかったのだけれど……。
「さあ、白状しろ! 相手は、どこのどいつだ?」
そう言いながらリンネは、シュメールの脇やお腹を、くすぐり攻撃する。シュメールは椅子を引いて逃げながら……ついに観念して、ため息をついた。
「わかった、わかった、わかりました!」
シュメールは、森のなかでの出来事を打ち明けた。夜鶯の精霊で、黒い髪で、黒い瞳で、背中にあんず色の翼が生えていて……。リンネの両目が、興味津々、らんらんと輝き出す。
「で、その子のこと、好きなの?」
「わかんないって……まだ一回しか逢ってないのに!」
「むふふ」
恥ずかしがる弟の二の腕を、リンネは小突いた。
「姉上こそ、はやく結婚相手見つけろよ!」
シュメールが応戦すると、がははっと、リンネは唇に手も当てず、大口をあけて笑った。
「万巻の書物、古今東西の物語に目を通したこのわたくしの、おメガネに叶うような男が、そんじょそこらにいると思う?」
「……いや、書物どうこうより、まずその笑い方でしょ? ……問題は……」
弟の的確なツッコミに、リンネはまた、がはははっと大笑い。
「わたしのことは放っときなさい! それよりも、あんたのこと。……告白する時は、騎士らしく、堂々と、ちゃんと目を見て、気持ちを伝えるのよ」
「はぁい、わかってますって」
「ペールネールちゃんかぁ、どんな子なんだろ? 楽しみー!」
姉はケラケラと笑っている。
(……裸まで見ちゃったこととか、絶対言わないでおこう……)
繊細な十代男子のシュメールは、赤くなりながら思うのだった。大切な思い出を、いじられたくないのだ。
☪ ⋆ ⋆
ペールネールが王宮に現れたのは、それから二か月も後のことだった。
伝令の小人が、あたふたしながら飛び込んできた。
「シュメール様、シュメール様の首飾りを持った少女が現れました! ぼろぼろで、瀕死の状態で、門番小屋で倒れました!」
「なんだって!?」
聞くや、真っ青になったシュメールは、パッとソファを飛び越えて、廊下に躍り出た。
✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱
ペールネールにいったい何が!?
次回、ペールネールの冒険――!
【今日の挿絵】
バイオリンを弾く、リンネ姉
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