4 ペールネールとの出逢い

 その日、シュメールは目立たない服を着て、こっそりと王宮を抜け出した。


 護衛も従者もつけず、ひとりで夜の森を冒険するのが大好きなのだ。


 城のまわりには危険な肉食獣は、ほとんどいない。魔獣など、一匹もいない。平和でのん気な、ノクターナル王国である。



 シュメールが森の小道を歩いていると、ぶ厚い茂みがガサガサ鳴って、一匹の獣が飛び出してきた。


 夜の国の住人は、月明かりがあれば、夜目が利く。最初、犬かと思ったが、それは犬ではなく、ブーカという名の一匹の《ネブカドネザル》だった。


 ブーカは隆々とした筋肉をむきだしにした、全裸の大男だ。いつも四つんばいで移動し、生え放題の髪と髭を、ずるずると地面にひきずっている。体表にはびっしりと黒い剛毛が渦巻いている。目のまわりの毛は白い。


 この《ネブカドネザル》というのは、大昔は人間だったものが、四足獣に退化した動物なのである。


 ノクターナル王国の国民割合は、次のようになる。


 人間 一割

 小人 八割

 獣族 一割 (ネコ族、イヌ族、フクロウ族など……)


 ……獣族というのは、動物から進化した者たちで、人間の言葉を話す。たとえば猫から進化したネコ族は、人間の腰くらいの身長で、二本足で歩き、尻尾が二股にわかれている。


 人間の割合が少ないのは、その多くが森に入って、ネブカドネザルに退化してしまったためだ。夜の森では魔法の力が働いているため、進化や退化のスピードが早いのである。


 このため、ネブカドネザルは『国民』ではなく『動物』とされている。森のなかは暖かくて実りも豊かなので、たいていのネブカドネザルは自由気ままに、幸せに暮らしていた。


 ちなみに、ネブカドネザルの体臭は、臭くない。むしろ、樹香に似たよい香りがするのは、おそらく果実や植物ばかり食べているからだろう。


(森の、高貴な香りがする……)


 とさえ、シュメールは思ったくらいだ。



「エサ……おくれ」


 ブーカが言うので、シュメールは自分のおやつのミックスナッツを、ブーカの前にこぼした。ブーカは嬉しそうにガツガツと、地面に口をつけて食べた。ネブカドネザルは、手は使わない。


「なあ、ブーカ。君、《昼の国》って知ってる……?」


 シュメールが尋ねると、ブーカは顔をあげ、白い毛に覆われたふたつの目を、ぎょろぎょろさせた。


「知ってる。聞いたことがある」


 ブーカはネブカドネザルとしては珍しく、かなりの物知りなのだ。


 シュメールは尋ねた。


「僕、昼の国へ行ってみたいんだ。どう思う?」


「……行ってくればいいさね。南へ向かってどんどん歩いていけば、やがて夜の森がなくなる。そしたら、昼の国にたどり着く」


「そっか」


 するとブーカは、あわてて口をもぐもぐさせた。


「あぶぅぉう、だけどね、だけど……これだけは忘れちゃだめだよ。昼の国の住人には、影がないんだ。だけど、夜の国の住人が昼の国に行くと、影ができてしまうんだ。昼の国の住人は影を忌み嫌ってる。もしも、影を見られたら、どんなひどい目にあわせられるかわからない……殺されてしまうかもしれない!」


「そうなんだ……」


 急に憧れがしぼんでしまって、シュメールは、しょんぼりした。


 おいしい新芽を見つけたブーカは、それをくちゃくちゃと噛みながら言った。


「恐ろしい昼の国なんぞやめて、あんたもネブカドネザルになればいいさ。オレたちと一緒に夜の森でのんびり暮らそうぜ」


 シュメールは苦笑した。自分がネブカドネザルになることなど、考えたこともなかった。


 ブーカは首を高くあげ、また新しい餌を見つけたのか、鼻をぴくぴくさせながら、茂みのなかに消えていった。



  ☪ ⋆ ⋆



 小川の水がしきりに流れて、水面にさらさらと、月の光をはしらせている。


 川べりに腰かけて、シュメールはため息をついた。


(殺されちゃうのか……昼の国……やっぱり無理かな……)


 ぼんやりと水の流れを見つめていたシュメールは、ふと、顔をあげた。どこからだろう……切なくて、哀しげな歌声が聞こえてきた。


(誰が歌ってるんだろ……)


 シュメールは立ちあがり、歌声の主を捜した。


 細く、高く、繊細な響きは、幼い女の子の声にも聞こえる。今にも崩れそうで崩れない、張りつめた最高音。その音が、ゆっくりとほどけて、ふるえながらの声に戻ってゆく。その声が細かくふるえて、泣いているようで……。


 しばらく歩いてゆくと、一本の木の根元に、くろがねで作られた鳥籠が落ちていた。歌はそこから聞こえてくる。


 シュメールは顔を近づけて、のぞきこんだ。……なかにいたのは、あんず色の羽根をした、美しい小鳥だった。


夜鶯よるうぐいすだ――!)


 一匹の夜鶯が、喉をふるわせて歌っている。シュメールの姿に気づくや、小鳥は羽根をばたつかせて叫んだ。


「ねえ、閉じ込められてしまったの! たすけて!」


「喋った! 君、精霊だね」


「うん、わたし、夜鶯の精霊。この木の実をあげるから、たすけてくれる?」


「木の実なんか、いらないよ」


 シュメールが言うと、夜鶯は黒くて丸い目をうるませて、「しおしお……」と力なく泣いた。助けてもらえないと、勘違いしたのだ。


 シュメールはあわてて付け足した。


「……なにもくれなくても、たすけてあげるよ」


 檻を持ちあげると、シュメールは長い指の、器用な手つきで、小鳥を救い出した。


「きっと、森の民が仕掛けた罠だね。運がわるけりゃ、食べられちゃうところだったよ。気をつけなきゃ」


 森の民は、森に住む狩猟民だ。


「うん」と、小鳥はうなずいて、自分がどうやって捕まったのかを説明した。


「わたし、素敵な赤い木の実を見つけたの。ひとつ食べたら、その先にもうひとつ見つけたんだ。そしたらね、それだけじゃなくって、その先にもたくさんたくさん、木の実が並んでた。『ラッキー!』って思って、順番に木の実を食べていったの。……そうしたら、いつのまにか、檻のなかに閉じ込められてたの」


 ふふ、とシュメールは笑った。


「おっちょこちょいだね、キミは」


「そうなのかな? みんなからよく言われるけど……」


 シ、オ、シ、オ――と、夜鶯は元気を取り戻して、綺麗な声でさえずった。


 次の瞬間、


「え?」


 と、シュメールは驚いて、口をぽかんと開けた。


 ふるふると体をふるわせていた小鳥の体が、みるみるうちに大きくなって、背中に翼を生やした、少女の姿へと変わってゆく――!


 裸の少女は、丸めていた手足を伸ばして、静かに立ちあがった。


「わたし、夜鶯の精霊……ペールネール」





✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


 助けた夜鶯は、美少女だった――!



【今日の挿絵】

夜の森のペールネール

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093074614672291

(裸じゃないよ!笑)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る